第12話 青葉と告白

「あっ、あのっ」


「ああ、どしたの。この間の提出物はちゃんと出してたよね」


「あ、あの、ちっ違くて、そっそうじゃなくてっ…… あっあの、その……」


 五月も下旬、青葉の季節。僕はひと気のない校庭隅の清掃中に話しかけられた。


 この背の小っちゃくてスクールボブの良く似合うかわいらしい子は、同じクラスの同級生。クラス委員だけれども堅物かたぶつ感もないし気さくでいい人だと思う。でも少しいい人過ぎるかな。

 僕はその「いい人」が僕を呼び止め、さらにはこんなにどぎまぎして真っ赤になっているのは見たことがない。それはまるで姉の前で真っ赤になってる僕そっくりだった。


「あっ、明日会えますかっ!」


「明日? 明日で構わないなら…… 何かあるなら今でもいいよ?」


「そっそれは! こっ心のっ! 準備がっ! はいっ!」


「ふうん」


「はっはいっ!」


 がっちがちに緊張して肩に力が入ってる。


「じゃ、明日、この時間にここでいいの?」


「はいっ、よっ、よろしくっ、どうぞよろしくお願いいいいいいたしますっ」


 彼女は壊れかかった機械のようにぎくしゃくと深々頭を下げると、右手と右足を一緒に出しながら器用に走って去っていった。


「……なんだったんだろ。あとここ、有名な『告白』ポイントだよね……」


 僕は掃除を終わらせてここから立ち去る。


「……まさか、ね」


 その翌日放課後掃除の時間、果たして彼女はいた。昨日よりも緊張した様子で。物事って先延ばしするとどんどんプレッシャーかかってくるんだよなあ。


「あの!」


 すごい目つきで彼女が言う。


「あっはい……」


 初手から僕は完全に気圧けおされてしまった。


「ああ言えない!」


 両手で顔をおおう彼女。なんなんだよもう。

 とにかく早く帰りたいんだ僕は。帰ってまず姉の具合を見て、それから姉のやりたいことをしてやって、部屋からリビングに行く介助もして、話を聞いてやって、今度は風呂場に行く介助もしてやって、おやすみって言って寝るまでちゃんと見届けたいんだ。


「あの、君、用事があるなら早く言ってよ。僕やることいっぱいあってさ」


「部活してないのに?」


「……家の事情。てかなんで僕が帰宅部だって知ってるの? 調べたの?」


「調べましたっ!」


「えっ」


 僕は引いた。


「なっ、なんで?」


「そっ、それっ、それはっ……」


 なんだなんだ今度は指をいじって急にいじいじし始めたぞ。


「知りたかった、から……」


「いやだから何で知りたかったの?」


「だって、だって……」


 すると彼女はかっと目を見開いて僕に向かって伸びあがる。


「だって好きな人のことってなんでも知りたくないっ?!」


 僕はびっくりした。「好き」という意表を突いた言葉に。


「す、好き?」


「あっ!」


 彼女は片手で口を押えたが、そんなことをしたからって、もう口を吐いて出た言葉が口の中に戻って聞こえなかったことになるわけでもない。


 がっくり肩を落とす彼女。こういう時はドンマイとでも言ってやればいいのだろうか。


 彼女は棒立ちになってぽろぽろと涙を流しながら真っ赤な顔でつぶやく。


「もっと、もっどぢゃんと、言いだがったぁ……」


 あんなにしっかりしたいい人の彼女にこんな面があるなんて知らなかったから、僕はむしろ少し好感度がUPしたけれど、彼女としては恥ずかしいばかりだろうなあ。


「あ、あの、話の趣旨は分かった。わかったから。大丈夫」


 彼女は大きな音を立てて鼻をすすりながら僕の方を見た。


「わかった?」


「あ、ああ、で僕はどうすればいいのかな」


 愚問だった。


「それはもちろん答えが――」


 ポケットティッシュで鼻をかむ彼女。


「あ、ああそうだよね! そうだよね…… じゃ連絡先を交換しておこうか」


「えっ、いいのっ?」


 彼女の顔がパッと明るく輝く。そしてすぐ暗くしぼむ。


「どうしたの」


「振られた時つらいから」


「え?」


「振られても連絡先って残るじゃない。思い切ってそれを消せるようになるまで、すっごくつらいじゃない。その連絡先の名前見るたびに切ないよ…… めちゃくちゃ切ない」


「ああ……」


「わかった。じゃ答えを出すまで時間が欲しい。あと二日待って」


「うん、そしたら私がここの掃除当番だから」


「わかった。それじゃ僕急いでるんで!」


「うん! あの、その…… 待ってるから!」


 僕はその言葉のすべてを聞かないうちに走り出していた。

 僕は帰宅途中自転車に乗りながら考えていた。この話をしたら姉はなんて言うだろうか、なんて顔をするだろうかと。早くも僕の頭の中には姉に一本取ってやったような情景が頭から離れなかった。悔しがって地団駄じだんだを踏むに違いない。僕はずっとにやにや笑いしながら帰宅した。


 僕は帰宅してすぐブレザーのまま息を切らせて姉の部屋へ駆け込んだ。姉の体調はまあよさそうで、ベッドに腰かけたままタブレットで何か見ていた。


「おー、お帰りー、何はーはー言って」


「うん急いで帰ってきたからね」


「へえ、何かあった?」


「あったあった、ぜひ御報告したいことが」


「なんだそれ?」


「当ててみる?」


「おーし、ゆーくんのことを何でも知ってる姉ちゃんがずばり当ててみようじゃない」


「フフッむりむり」


「なんだとー、えっとねえ、100点取った!」


「ブッブー、逆立ちしても無理」


「あー、じゃあ逆に0点を取った!」


「ブブブブブっ、いい事って言ったじゃん」


 その瞬間僕は思った。あれっ、これって本当にいい事だったのかな、って。


「ええー、先生に褒められた?」


「ブブー、今まで褒められたことなんてないよ」


「ハットトリックを取った!」


「ブブー、それは小五の時」


「家庭科の実習でめっちゃうまいカレーが出来た!」


「ブブーっ、あれは謎の悪魔の煮込み料理になっちゃったよ」


「あー、悪い奴からかわいい女子を救った!」


「おっ、ちょっと違う!」


「え? ちょっと違う? ってことはちょっと合ってるんだよね」


「んー、ふふふ、どうかなあ」


「えー、うー」


 姉ははっと何かに気づいた顔をした。さっきまでのふざけあいをするときの顔ではなくて、何かを恐れる顔だった。


「じゃ、じゃあ…… かわいい女子つながりで、かわいい女子に、告白……された……?」


「ぴんぽんぴんぽーん! やっと当たった」


 姉は変な顔をしていた。笑ってるのかしょんぼりしてるのかわからない顔だった。


「そ、そうなんだ……」


 絶対悪態をついたり悔しがったりすると思っていた僕は拍子抜けした。同時にこの姉の複雑な表情で僕のテンションも急速にしぼんでいった。


「それで、どうするのお返事」


 珍しく僕に目を合わさず静かな笑顔で話す姉。その唇は少し震えていたかもしれない。


「あ……」


 一番大事なことを忘れていた。彼女の真剣な気持ちにどう応えるか。僕は自分と姉のことばかり考えていた間抜けさを恥じた。


「まだ…… 考えてない」


「ちゃんとお返事してあげなきゃだめだぞ。その子は真剣なんでしょ」


「それは、たぶん…… そうだと思う」


「じゃ、ゆーくんも真剣に応えてあげなきゃ。ねっ」


 姉の横顔は笑顔をたたえてはいたが、まるで作り物のような笑顔だった


「う、うん」


 僕はかろうじてそれだけ言うと「じゃ……」と姉の部屋を出た。その後は晩ご飯の時もお風呂場までの介助の時もなんだか僕たちは言葉少なで、親父もおふくろも不思議に思うほど静かだった。


 一人風呂からあがった僕はベッドにごろんと転がる。少し不器用な告白をしてくれた彼女のことが頭に浮かんだ。かわいかった、と思う。普通だったらちょっとずっこけた、だけどとっても真剣な告白を受けたら誰だってOKしちゃうんじゃないかと思った。だけど僕の心は晴れなかった。僕が告白を受けた時のことを知った姉の様子を見たら、そんなの全部吹き飛んでしまった。その時の姉の顔ばかりが浮かんでは消えていく。


 僕は、姉に笑われたり、姉にからかわれたり、喜ばれたり、介助をしたり、ゲームの相手をしたり、上げ膳下げ膳したり、そんなことばかりしている。改めて僕は姉に関することしかしていない自分に気が付いた。部活に入らず、学校にお願いして委員会にも所属せず、友達も付き合いも必要最小限で、もちろん彼女なんかいない。


 つまり考えれば考えるほど僕は姉のためだけに生活をしているということだ。だけど後悔なんかしていない。むしろ胸を張って言える。


 さっきだってそうだ。告白された僕は彼女のことなんてすっかり忘れて姉がどんな反応するかばかり考えていた。そういうところからして僕の生活も思考も姉が軸になっているのは間違いない。

 だっていつついえるかもしれない姉の命を考えていたら、僕は余計なことなんかしていられない。友達付き合いで、部活で、学校行事で姉との思い出を減らしたくない。僕はこれから死にゆく姉に精いっぱいの思い出をのこしてあげたい。


 そこで僕の意思は決まった。考えてみれば初めから決まりきっていたことだったんだ。僕はまどろみながら思う。僕が告白を断ったと言ったら姉はどんな顔をするだろう。

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