第7話 おひな祭り

 豆まきが終わり少しずつ暖かくなってくるとおふくろは大わらわ。ひな祭りが近いからだ。


 我が家のひな人形は四代前から伝わる由緒正しいものだ。実に精巧にできていて、人形が手にする道具とかも驚くほどていねいに作られている。


 姉がほんの少し手伝えるとはいえ、組み立て作業はほとんどすべておふくろがする。七段にもなるひな壇を組み立てることから始まり、大きな桐の箱から紙に包まれた人形を一つ一つそっと取り出していく。僕や親父が手伝うことはできない。「これは女の子のお祭りだから」というのがおふくろの持論だった。


 三日かけてひな飾りは完成した。


 そのあでやかさにおふくろと姉は感嘆する。僕には正直よくわからないことだったが。


 三月二日から三日にかけておふくろは料理作りに取り掛かる。ちらし寿司とはまぐり潮汁うしおじる、なんだか春っぽいサラダ、茶わん蒸し、キッシュ、飾りお握り、豚の角煮、タケノコとフキの煮物などなど。以前は菱餅ひしもちまで作っていたが今は旧道沿いの永華えいか堂で買うようになった。それでもここ何年かは毎年一品は増えているような気がする。以前におふくろがぽつりと漏らしていたけれど、今年もこうして姉がいることに感謝してのことだと言う。


 親父が自分のビールを買うついでにノンアルコールの甘酒を買ってきてくれた。料理作りはまだ続き、ケーキに取り掛かるおふくろ。農作業で疲れているはずなのに、それでもまだこれだけのことをするなんて、僕にはただただ驚きでしかない。余命いくばくもない娘へのせめてもの思い出作りなのかと思うと僕まで胸が苦しくなってくる。それがわかっているのか、姉もまだ今ひとつの体調の中おふくろを手伝う。姉は姉でおふくろに思い出を作ってあげようとしていたのかもしれない。


 三月三日その日が来た。夕方には従兄の「兄ちゃん」一家もやってきてうちは一気ににぎやかになる。晩ご飯のちらし寿司はもちろん、料理はみんなであっという間に平らげた。そのうち親父と伯父さんは豚の角煮で一杯やり始める。「兄ちゃん」も交えて農業の話や近所のうわさ話で盛り上がった。おふくろはそれにつきっきりで料理や酒を出す。結局僕と姉が仲間外れになった。姉が今日の主役のはずなのにどういうことだよ。と僕は少し憤慨ふんがいする。姉はクスッと笑ってボードゲームしに行こ、と僕を誘ってくれた。床の間のおひな様の前で僕たちは甘酒をちびちび飲みながらひな祭りをモチーフにしたゲームをプレイする。


「ゆーくんさっき少しむっとしてたでしょ」


 姉が笑顔をたたえつつも探るような目つきで言う。


「えっ、いや、そんなことないけど」


 姉の眼力がんりきに驚いた僕は、カードを引きながら何気ない風を装い答えた。


「ありがと」


「えっ」


 僕はなんでお礼を言われるのかわからなかった。


「ううん、何でもない。ほらっ、これで九段!」


「ええーっ、九段なんてできるのかよ! これは無理、絶対無理。負けたあ」


「ふふっ、ほんとゆーくん弱いよね」


「姉さんが強すぎる」


 親父がすっかり酔いつぶれてたかいびきをかく音が聞こえてくると、伯父さんもすっかりいい機嫌なようで、宴会はお開きとなった。伯父さんは「兄ちゃん」が運転するおんぼろ車に乗って、ガタピシ言わせて帰って行った。二回くらいエンストしたけど。


 その後は僕たちが後片付けをする。姉もリハビリの一環だからとかいいながら、足を引きずりつつも楽しそうにおふくろの手伝いをする。


 あらかた片付けが終わったところで僕は親父を起こして肩を貸し、親父を布団に寝かす。


 その帰り明かりの消えた床の間の横を通る。床の間に杖を突いた姉がいた。ひな人形をじっと見つめるその目は、どこか悲しげだった。


 ひな祭りで大変なのはひな祭りのあともだ。三月四日になればおふくろは姉にも手伝わせ大急ぎでひな人形を片付ける。ひな人形を片付けるのが遅れるとその分姉の婚期も遅れるからなのだそうだ。


 婚期が遅れる。


 姉はもうそこまで生きられないのに。


 これはきっとおふくろなりの祈りなのだろう。婚期を心配するほど生きていて欲しい、という祈り。


 そう思ったら少し胸が熱くなってきた。そこでおふくろと姉を手伝おうとしたら、男は手伝うな、これは女の祭りだ、と母と姉に叱られた。

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