第6話 134号線は夕日に照らされて

 現地解散で皆と別れたあとは、真夜と孝介だけの時間が待っている。


 見事な茜色に彩られた国道134号線を、ソフトトップを開けたNAロードスターは西へ走る。自宅とは明後日の方向だが、孝介はそのようなことを一切気にしない。


 ブルーの塗装のロードスターは、やがて江ノ島を見据える場所に差しかかった。そのあたりのタイミングで、


「コウの昔のこと、詳しく聞いたことなかったわね?」


 と、助手席の真夜が質問した。


「コウが只者じゃないってことは分かってたわ。だって、あの強さだもの。コウが相撲とかいうものの選手だったっていうのは、前から知ってるけれど……」


 孝介はそれを聞き、


「……お前の育った国じゃ相撲はあまり知られてない競技か?」


 と、言葉を返した。孝介は真夜について、両親は日本人だが本人は海外で育ったという認識で今まで通している。


「まあ、そのほうが好都合だ。俺の過去はあまり詮索せんでくれ」


「何か秘密があるの?」


「そんなところだ」


 それを聞き、真夜はますます孝介を問い詰めたくなった。もしかしたら、魔王に報告するべきことを彼が握っているかもしれないからだ。


「私たちとの間で、隠し事はないほうがいいんじゃないの?」


 真夜はそう言ってみた。すると孝介は苦笑し、


「なら、お前が好きに調べてみるといい。俺の口からは言いたくないんでな」


 と、返した。


 この男には、どうもそのようなところがある。自分の過去を必死で隠しているというか——。


 女としての真夜を愛していることは確かだが、孝介はそんな彼女に己の全てを打ち明けていない。何か重大なことを隠している、ということが一目瞭然だ。彼に大きな謎があることは間違いない。


 この世界の理を司るほどの秘密を抱いているのか……?


 もしそうなら、何としてでもそれを聞き出そう。秘密を吐かせるために、孝介をその気にさせてしまえ。自分は真夜の内縁の夫だと勘違いをさせ、とことんまで利用してすべてを搾り取るのだ。そう、この男は私にとっての道具に過ぎない。


 が、そんな「道具に過ぎない男」にいきなり手を触れられると、心臓が高鳴ってしまうのはなぜだろうか?


「真夜……俺はお前が何者だろうと、今の生活を変えるつもりはさらさらない。お前もそのつもりでいてくれ」


 孝介は先ほどまでシフトレバーを操作していた左手で、真夜の右手を優しく包んだ。


「過去がどうあれ、今の俺はお前と暮らすことが大前提だ。……だからこそ、俺はお前に謝るべきだ」


「謝る?」


「5年も同じ家に暮らしておきながら、甲斐性だの何だのを理由にして“それ以上”のことをしてやらなかったからな」


「……何言ってるの?」


 真夜がそう聞き返した直後、


「ちょっと左手貸しな」


 と、孝介はそう指示した。よく分からないまま言われる通り、真夜は左手を差し出す。孝介はアロハシャツの胸ポケットから何かを取り出し、それを真夜の左手薬指にはめた。


 大きなダイヤモンドのついた指輪だった。


「いい加減、できない理由を探すのはやめようと思ってな。……真夜、俺と所帯を持ってくれ」


 そう言って孝介は、シフトレバーを動かしてギアを上げた。


 どうして運転中にそんなことを言い出すんだ、この男は。真夜は真っ先にそう感じ、不器用な孝介に対して強く呆れた。せめてクルマを停めて、私と向き合って言うのが礼儀ではないか。魔力を持たないただの人間のくせに、無礼にも程がある!


 しかし、そう憤慨しているはずの真夜の両目から涙がこぼれ落ちている。


 夕日の光を反射するダイヤモンドが、真夜の目には眩しく映った。光は彼女の心の片隅をも刺激し、何とも形容できないほどの罪悪感を生み出している。


 コウはこんな私に——。


 いや、これはむしろ好都合じゃないか。この先、コウをとことんまで利用するのなら、5年越しの彼のプロポーズを受け入れて妻に収まるのも悪くない手段かもしれない。


 ……などということを打算してしまう私を、コウは普通の女として見てくれている。コウは闇の地のことなど何も知らないし、この世界の者ではない私の身の上について根掘り葉掘り質問したこともない。コウは私を愛してくれている。コウは、コウは、コウは——。


「コウ、停めて!」


 真夜は咄嗟にそう声を張り上げた。孝介は言われるがまま、間近にあったコンビニの駐車場にロードスターを停車させる。


 孝介がシフトレバーをニュートラルに入れた直後、シートベルトを解いた真夜はまるで襲いかかるように彼に飛びつき、キスをした。


 お互いの口内の感触を確かめ合う、長い長いキスだった。


「……愛してるわ、コウ」


「俺もだ」


「コウといつまでも一緒にいたい」


「心配するな。最初からそのつもりだ」


「あぁ——」


 真夜は孝介の胸板に頬を当て、


「コウ、今夜は……今夜は私を抱いて」


 と、嘆願した。


 *****


 闇の地に古来から伝わるハジュラ語は、主に公式文書の記述の際に用いられる。


 ヒルダの手によって作成されたハジュラ語の報告書は、すぐさま魔王デルガドに届けられた。


 封を開けて紙面を読み進めるデルガドは、異世界にある「由比ガ浜」という呪われた海岸についての報告に釘付けになった。この由比ガ浜には幾百幾千ものスケルトンが埋められていて、異世界からの侵攻にいつでも対応できる状態だという。


 さらにヒルダは、スケルトンマスターや魔操師、上級ゴブリンとも出会ったらしい。異世界にもそのような魔物や職業の者が存在するとは初耳だが、ヒルダが実際に接したというのだから間違いはないはずだ。


 驚くべきはそれだけではない。何とヒルダ自身が、日本の戦士と結婚してしまったというのだ。この戦士は、前述の上級ゴブリンを素手で組み伏せてしまうほどの戦闘力を持っている。


 これはまさに大戦果だ。ヒルダは魔王の尖兵として、異世界に上手く潜り込んでいる。向こうの人間と同じ生活を送っている、という意味だ。この先、魔王軍を異世界に派遣できる「橋」が完成する日まで、ヒルダには引き続き日本の調査を命じることができる。


 デルガドは報告書の内容に満足した。


 *****


 新しい命令をデルガドから言い渡されたヒルダは、いつものように「橋」を渡った。


 露出度の高いハイレグ魔操服から、白いブラウスとタイトスカートに着替えて「松島真夜」という名で調査活動を行う。


 異世界での真夜の夫は、様々な情報に精通するライターだ。これを利用しない手はない。真夜は孝介のNAロードスターの助手席に乗り、日本各地の呪われた土地や魔物の眠る土地を巡る。この世界の征服を目論む魔王軍のスパイ、そして尖兵として。


 そう、真夜は尖兵なのだ。


 彼女は今日も、孝介と一緒に旅をしている。他の誰よりも愛する結婚相手と一緒に——。


<スケルトンの眠る海岸・終>

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