三日目(土曜日)その5

三人のもとへ戻ってくると、ロゼが声を掛けてきた。

「これで信じてもらえるよね」

 僕は大きく頷いた。

「実感は湧かないけどな。でも自分の瞳を見た瞬間、お前の言っていることが嘘ではないと思えたんだ。説明しろと言われてもできないけれど、ただ、そう思ったんだ」

「……よかった」

 ほっとした様子で胸に手を当てるロゼ。

 僕は気になっていることがあったので渡瀬に訊いてみる。

「自分がこの世界の住人ではないことは理解できた。そして同じ瞳を持つロゼとお前が、僕と同じ境遇だということも。だとしたら、渡瀬も何か特殊能力を備えているんだろ。一体どんな力なんだ? よかったら教えてくれないか」

 手から火を出したり、空を飛んだり、瞬間移動ができたりするのだろうか。もしそんな能力を持っているとしたら羨ましいな。僕の力なんてあってないようなものだし。

 僕は何の気なしに訊ねただけなのだが、この問いを聞いた渡瀬はひどく狼狽していた。

「えっと、あの、それは……」

 前髪が汗で額に張り付いている。その様子を見てとった春人がポケットからハンカチを取り出し、彼女に手渡す。

「もしかして、あまり口には出せないような類の力なのか?」

 しかし、渡瀬には僕の声など届いていないようで、渡されたハンカチを顔に押し当てじっと俯いている。

「代わりに、僕がその問いに答えよう」

 ロゼが口を開いた。その顔は何故か少し悲しげだ。

「まあ、それでもいいか。じゃあロゼ、教えてくれ」

「イブキの持つ力は少々特殊だ。そして、その力はボクがここにやってきたこと及び、昨日、今日と二日間にわたってボクが記憶喪失の演技をしていたこと、さらにはワタル、キミの記憶があやふやなものになっていることと深く関係している。いや原因といってもいい。では、言おう。イブキは――」

 一拍置いてロゼは言った。

「他人の記憶を操ることができる」

「え……」口から声が洩れる。

 もうなにを訊いても驚くことはないだろう、と高を括っていた。僕は足の力が抜けて地面に膝をついてしまう。

「イブキは他人、または自分の過去の記憶を消したり、書き換えることができる。つまり、偽の記憶を植え付けることができるんだ。そして、ワタル。キミの記憶が曖昧模糊になってしまっているのは、おそらくイブキがキミに対してその能力を行使したからだろう。もといた世界の記憶を消し、初めからこの世界の人間だという偽の記憶を与える」

 僕はベンチから立ち上がり、ロゼに訊ねる。

「……そんなことが可能なのか?」

「可能もなにも、キミ自身が一番理解しているだろ?」

「で、でも」

 僕はロゼに食ってかかる。

「渡瀬がやったっていう証拠なんてないじゃないか。僕が過去の記憶を失ったのだって、どこかに頭をぶつけたからかもしれないし……」

 僕の反論を聞いても、ロゼは顔色一つ変えない。そして一歩僕に近づくと言った。

「じゃあどうしてキミは、自らの父親が単身赴任をしていることや、母親が他界しているなどという嘘を知っている。頭を打っただけで記憶まで書き換わるとでもいうのかい?」

「それは……」

 反論できない僕を見てロゼは呆れたように首を横に振った。

「まあいい。とにかくイブキはキミに偽りの記憶を与えた。それがすべてだ」

 そう言うと、ロゼはふんと鼻を鳴らした。

 沈黙が下りる。しばらくすると、今まで黙っていた春人が口を開いた。

「お前はどうしてここにやってきたんだ」

 話を振られたロゼは春人の方に体を向ける。

「そうだね、波流春人。まだその話をしていなかった。でも、その話をするにはいくつか説明をしておかなければならない」

 咳を一つすると、ロゼは語り始めた。

「中学二年の終わり、キミとイブキはこの世界を調べるための調査員に選ばれ、中学三年に進級すると同時に世界を渡った。調査員とは言っても、実際にこの世界のすべてを調べるというわけではない。ただ学生としてこの世界で過ごしていくだけでいい。言うなれば留学生みたいなものだ。ただし、ひと月に一度、その月にあった出来事などを報告書にまとめて提出しなければならない。その報告書というのはボクのような学生でも閲覧ができるもので、学校全体に公開されているんだ。とは言っても、いちいちその報告書をチェックする人は多くない。なぜなら、ワタルとイブキの報告書には特別なことはほとんど書かれていなくて、至極当たり前のことしか書かれていなかったから。まあそれは二つの世界が非常に似通ったものであるから、別に二人のせいってわけじゃあないんだけどね。

 でもボクは毎月それにしっかり目を通していた。二人がどういう暮らしを送っているのか、とても興味があったから。

 そして、ワタルとイブキが旅立ってから二年近く経った三月の終わり。いつものように二人の書いた報告書を読んでいたとき、ボクはふと違和感を覚えた。二つの報告書の内容がとても似ていたんだ。なにが似ているのかは明確には言うことはできないけれど、直感でそう感じたんだ。その一度感じた違和感は、それ以前の報告書を読み返しいくうちにどんどん膨らんでいった。二つの報告書が似ていると言ったけれど、過去の報告書を読むと、イブキの報告書には特に変化はみられず、ワタルの報告書がイブキの報告書に似ていたんだ。その時、ボクは確信した。『もしかしたらワタルの身になにかあったのではないか』、とね。

 そう思ったボクは、数日だけこちらの世界に行かせてくれ、と先生に頼み込んだ。先生も、二人の様子を見に行くだけなら、と特別に世界を渡ることを許してくれた。そうしてボクはこの世界にやってきた」

 話し終えると、ロゼは大きく息を吐いた。

「それで僕のところにやってきたのか」

 ロゼは小さく頷いた。

「キミに会えばはっきりすると思ったからね。そうしたら、キミはボクのことをすっかり忘れていた。おまけに、もといた世界のこともね。その瞬間、ボクは気づいた。イブキがワタルの記憶を書き換えたんだと」

 初めて会ったときのロゼが何か知っている風な口ぶりだったのは、こういうことだったのか。

「僕にいろいろ訊いてきたのも、自らの推論に確信を得るためだったんだな」

「そうだ。確信が得たかったからね」

「なるほど。お前がこの世界にやってきた理由はわかった。でもまだ気になることがある。どうして記憶喪失のふりをする必要があった?」

 僕の問いを聞いたロゼは皮肉めいた笑いをみせた。

「ボクがキミの家を初めて訪れた次の日。キミが学校に行った直後、イブキが家にやってきたんだ」

「渡瀬が?」

 何故? という言葉が僕の頭の中を駆け巡った。僕に話すことがあるなら学校ですればいい。わざわざ、我があばら家に来る必要はない。とすると、僕以外の人間に会うために僕の家に来たということになる。僕の家にいる僕以外の人間は一人しかいない。いやでも、それはおかしい。渡瀬はロゼがこちらの世界に来ていることを知らないはずだ。それなのにどうして僕の家にロゼがいることを知っている?

 ああ、待てよ。ロゼは言っていた。僕の家は盗聴されている、と。

 ……まさか。

「盗聴していたのは渡瀬なのか?」

 突然の飛躍にロゼは目を丸くする。しかしすぐにもとの妖艶な表情を取り戻す。

「随分と察しがいいね。その通り。おそらくイブキはキミの家を盗聴していた。そしてボクとキミとの会話も聞いていたのだろう。これではワタルにすべてばれてしまう、そう思ったイブキはボクに会いにきた。ボクの記憶を消去するためにね」

 と言うと、ロゼは渡瀬に顔を向けた。渡瀬は神妙な面持ちで頷くと、言った。

「あの日、見境くんがマンションを出たのを確認した後、私はあなたの家に向かった。そして、インターホンを鳴らして出てきたロゼの記憶を消した……はずだった」

 すると、渡瀬はきっと顔を上げ声を張り上げた。

「そう、あのとき確かにロゼの記憶を消去したの。そして春人くんが書いてくれた置手紙を残して、私はロゼを連れて駅前に向かい、そこで彼女を置き去りにしたの。でも、なぜかロゼは見境くんの部屋に戻ってきた。そのときも疑問に思ったけれど、二人の会話を聞く限り、ロゼは記憶を失っていたようだったから一安心したわ。だけど、結局こんな状態になってしまっている。ねえ、ロゼ。どうしてあなたは記憶を失っていないの? 私の記憶消去は完璧だったはずなのに!」

 そこまで言うと、渡瀬は自分の腿を力の限り叩いた。

 いつも朝早くに学校に来ているはずの渡瀬がその日に限って遅刻ぎりぎりだったのは、このような理由があったのだ。それに、あの置手紙の筆跡。道理で見覚えがあったわけだ。 一昨日、春人の家を訪れた時、彼の母親はこう言っていた。『この表札、春人が書いたものなのよ』、と。

 感情を昂ぶらせている渡瀬に、そう問われたロゼは宙を見上げると、言った。

「ボクが記憶操作に対する対策もなしにこの世界にやってくるわけないだろう」

 その言葉に渡瀬は絶句した。おそらく、渡瀬の能力を封じる手があるのだろう。

 二人の間に沈黙が下りる。僕は腕を組み、渡瀬の話を反芻する。

 なるほど、そういうことだったのか。ロゼは渡瀬がボクの家にやってきた段階で盗聴されているのだと悟った。そして記憶喪失のふりをすることで渡瀬を油断させた。今日のデートだって渡瀬をここにおびき寄せるための罠だったのかもしれない。何故、一日中デートをしたのかはわからないけれど。

 何度も頷いている僕を見て、ロゼがおもむろに口を開いた。

「どうやらワタルも事情を把握できたようだね」

「ああ、おおよそは。ただ、一つだけ腑に落ちないことがある」

「奇遇だね。ボクも一つだけどうしても理解できないことがあるんだ。おそらくキミの考えていることと同じだろうけどね。これはいくら考えても答えに辿り着かないんだ。ねえ、イブキ」

 そう言うと、ロゼは渡瀬に近寄った。その声に真剣みが帯びる。

「どうしてワタルの記憶を操作したの? その動機はなに?」

「そ、それは……」

 しかし、そこで渡瀬は口を閉じてしまう。

「ワタルもボクと同じ疑問を抱いているんでしょ?」

 僕に同意を求めてくるロゼ。僕はかぶりを振る。

「いや、それももちろん気にはなるんだけど。僕が一番気になるのは、春人、どうしてお前が渡瀬と一緒なのかということなんだよ」

 そう問われた春人は、諦めにも似た表情を浮かべた。

「たまたま、って一言じゃあ納得してもらえないよね」

「当たり前だ」

 たまたまこの時間にこの公園の木の陰にいたなんていう言い訳が通用するわけがない。

 僕が即答すると、春人は大きく肩をすくめた。

「やっぱりそうだよな。でも俺は言う気はない。言いたくないんだ」

 そうきっぱりと言う春人。これじゃあ埒が明かない。するとロゼが口を開いた。

「じゃあしょうがない。二人とも話してくれる気がないのなら、実際に視るしかないかな」

「視る?」

 首を傾げる僕に、ロゼは噛んで含めるような調子で言った。

「ワタル、キミの力は未来を視ることができるものだ。それに対してボクの力はキミの反対の力。すなわち、過去を視る、または視せることができるんだ」

「そんなことが可能なのか?」

「それを今からみせようというんだ。ところでワタル、先ほどキミはこの公園にはブランコが設置されていたと言ったね? そして子どもが使用中に事故を起こして撤去されてしまったと。それは嘘だ」

「え? いやだって現にここにはブランコはないじゃないか」

「ブランコは確かに撤去された。それは事実だ。僕が嘘だと言ったのは、撤去された理由だ。事故で撤去されたのではない。昨日、この辺をぶらついていたときに聞いたんだ。ここにあったブランコは、ある日ズタズタに切り刻まれて使い物にならなくなってしまったらしい。それが撤去された理由だ」

「そんな。それじゃあ何故僕は子供が事故を起こしたなどと……まさか」

 ロゼは頷いた。

「おそらく、イブキの仕業だろうね。キミにブランコの存在を思い出させないために」

「どうして?」

 どうしてそんなことをする必要がある。僕にとってそのブランコは余程重要な存在だったとでもいうのか。

 ロゼは言葉を続けた。

「また、ボクは一昨日こう言った。『高校に入る直前の時期に記憶を失うような出来事があったはず』だと。さらに、聞いた話によると、ブランコが壊されていたのは去年の四月の初旬頃らしい。この二つから考えられることは、高校入学前の春休み、この場所でイブキがワタルの記憶を作り変えた、ということだ。どうかな、イブキ?」

 水を向けられた渡瀬はしばらく固まっていたが、やがて小さな声でこう呟いた。

「三月三十一日」

「なるほど、三月最後の日か。では視てみるとしようか。一年前の三月三十一日、この場所で何があったのか」

 そう言うと、ロゼは右手で僕の左手を握った。続いて左手で渡瀬の右手を握る。

「ほら、ワタルも波流春人の手を握って」

 言われるがままに、空いた右手で春人の左手を掴む。春人も同様に右手で渡瀬の左手を掴む。

「じゃあ目を閉じて」

 そう促され目を閉じた瞬間――頭の中に強烈なイメージが飛び込んできた。

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