三日目(土曜日)その4
「まず、ボクとキミがいた世界についての話をすることにしようか。ボクらが住んでいた世界は、こことほとんど変わらないよく似た世界だ。けれど、こちらの世界にはないものがある。それは、並行世界と元いた世界を行き来できる人々が存在しているということ。しかし世界中すべての人間が、そのような世界を超える能力を携えているわけではない。異なる世界に行くことができる人間――ボクらの世界ではそのような人種を、並行者(パラレーター)と呼んでいる――になるためには、三つの条件がある。このうちの二つは先天的なもので後天的に習得することはできない。
一つ目の条件。並行者は、十五歳から十八歳までの間しか異世界に赴くことはできない。まあこれは時が来れば誰にでも当てはまることだ。二つ目の条件は、常識では考えられないような特別な力を有していなければいけないというもの。ねえ、ワタル。キミは普段生活していて、自分が他の人とは何か違う力を有していると感じたことはなかったかい?」
僕は曖昧に頷いた。
「あるにはある。でも、それはたまたま偶然が重なっただけで、別にそれが特別だとは思わない」
「その力っていうのは、少し先の未来を視ることができる、といったものでしょ?」
僕は驚いた。この力のことは誰にも言ったことがないのに。
「どうしてそれを知っている?」
「それはね、前にも言ったと思うけれど、ボクとキミが幼馴染だからだよ。ほら、見せたじゃない、遠足の時の集合写真。忘れちゃった?」
忘れているわけがない。あの、あどけなさの残る僕が映っている写真は切り抜いて机の引き出しに閉まってある。
「もちろん憶えているさ。あれは素晴らしい写真だ」
「そ、そうだね……」
何故だか、ロゼが憐みを含んだ目をこちらに向けてくる。
「ん、何かおかしなこと言ったか?」
「う、ううん。それよりね、あの写真には僕らが同級生だったことを示すほかに、もうひとつわかることがあるんだ」
そう言うと、ロゼは懐から件の写真を取り出した。僕が映っていた部分が切り取られている以外は、何の変哲もないただの集合写真だ。
「ほら、ここ見て」
指を向けられたところに目を落とすと、そこには眼鏡を掛けたおかっぱ頭の陰気そうな少女が映っていた。笑っている顔もどこかぎこちない。
「この子がどうかしたのか?」
小首を傾げる僕に、ロゼは苛立った声で言った。
「よく見てみなよ! この子誰かに似ていない?」
「そう言われてもなあ……」
第一、記憶を失っているんだから、わかるはずがないんだよな。
腕を組んで考え込んでいると、ロゼが僕に目配せを送っていることに気がついた。ロゼの視線の先には、渡瀬。隣には春人が寄り添っている。
もう一度、写真に目を戻す。確かにどこかで見たような気がしないでもない。それに、この翳りのある表情。
「もしかして、これって渡瀬なのか?」
ロゼは指で丸印を作った。
「正解」
現在の渡瀬が眼鏡を掛けて、髪をおかっぱにしたらこの写真の少女のようになるかもしれないな。
待てよ。ということは。
「まさか、僕と渡瀬も同級生だってのか?」
ロゼは首を大きく縦に振った。
「だとすると、お前が今まで言っていたことをすべて信じるとするなら、渡瀬も僕と同じように並行者とやらなんだな」
「その通り。あ、もちろんボクもだけどね」
顔を綻ばせるロゼ。そして明るい調子で続けた。
「どう? これで自分がこの世界の住人ではないってことがわかったでしょ?」
僕は小首を傾げた。
「うーん、とてもじゃないけどこれだけじゃ信じられないな」
「なんで!」
声を荒げたロゼは顔を近づけてくる。目に涙を溜めなくたっていいじゃないか。
僕は距離を取る。
「だってそうだろ。第一、その条件とやらも根拠としては薄い。年齢制限は言うまでもないとして、その異能とやらだって、僕の場合は他人より少しだけ第六感的なものが鋭敏なだけかもしれないし。それにその写真だってそうだ。僕とロゼ、渡瀬の三人が本当に同級生だったとしても、お前の言う並行世界の話とやらが嘘っぱちで、ただの小学校の時の集合写真かもしれないじゃないか」
僕の反論を聞き終えると、ロゼは不敵な笑みをこぼした。
「確かに一理あるね。でも、ボクはまだ並行者であるための第三の条件を言っていないよ」
「ああそうか、三つあるんだったな。じゃあその最後の条件とやらを聞かせてもらおうか」
ロゼがぐっと表情を引き締めるのがわかった。その挙動を見て僕も唾を飲み込む。
「それはね…………ここだよ」
ロゼは自らの灰緑色の瞳を指差した。
「視力が悪いと駄目だったりするのか?」
だとしたら渡瀬は不適合なんじゃないか? さっきの写真では眼鏡を着用していたし。
「違うよ。瞳の色が大事なんだ。ボクのような灰色がかった緑色でないといけないんだ」
なるほどな。如何にもな話ではある。ロゼのような瞳の色はあまり、というかほとんどお目にかかったことがない。
「ほお。それは実にファンタジックなことだ。しかし、ロゼよ。その条件はお前に当てはまっても、僕や渡瀬には当てはまらないだろ。ほら、見てみろよ。僕の瞳の色はどう見たって黒だ。真っ黒だろ」
両目を見開いてみせる。しかし言い負かされたはずのロゼは一切の動揺を見せない。むしろその顔からは余裕さが垣間見える。
その態度に少しむっとした僕は、渡瀬に援軍を求めようと考えた。ベンチに目をやると、渡瀬はだいぶ落ち着きを取り戻したようで、いまは春人とぽつぽつと会話を交わしている。
「なあ、渡瀬」
近づいて訊ねる。途端に渡瀬は顔を伏せてしまう。
「な、なに、見境くん」
「ちょっと頼まれてくれないか。お前が必要なんだ」
「う、うん。わかった」
「じゃあ、すまないがちょっと顔を上げてもらえるか」
「こ、こう?」
渡瀬は躊躇いながらも面を上げた。案に違わず、彼女の瞳の色は黒だった。それもかなり大きい。僕はロゼに勝ち誇ったよう笑みを向けて言い放った。
「渡瀬の瞳もご覧の通りの色だ。これでお前が嘘をついていたことが確定したな。並行世界なんてない」
高笑いまであげてみせたけれど、ロゼは相も変わらず悠然とした態度を崩さない。
「ワタルの言うとおり、今は二人とも黒目だね」
「今は?」
時間帯によって、文字通り目の色が変わる人間など存在するのだろうか。実在したら、オッドアイどころの騒ぎではないな。
「ところでさ」
と言って、ロゼは懐から親指ほどの大きさの物体を取り出した。
「今日はまだ目薬差してないよね」
言われてはっとした。そういえば、朝、ロゼに急かされたせいで差すことを忘れていた。
「てか、なんでお前がそれを持っているんだよ」
ロゼは目薬のボトルをふるふると振った。
「洗面台の上にあったから拝借したの。で、どう? 目の調子は。痛かったりするでしょ」
瞬きを何度かしてみる。
「痛いというよりは乾いている感じかな。僕、実はドライアイだからさ」
「ドライアイねえ……いつから?」
「いつからって…………あれ?」
いつからだ。自分がドライアイだと自覚したのは一体いつだ。
「まあいいや。とにかく差しといたほうがいいよ」
投げられた目薬を受け取り、上を向いて点眼する。すると、みるみる瞳全体に潤いが伝わっていく。どうやら自覚以上に乾いていたらしい。キャップを締め、点眼薬をポケットに入れると、ロゼが口を開いた。
「話を戻そうか。ボクが言った第三の条件は、瞳の色が灰緑色であること。ボクは見たとおり、この条件を満たしているが、ワタルとイブキのは黒色。だからボクの言っていることはおかしい。そう言いたいんだね」
「そうだ。矛盾している」
「では、これからイブキに、僕の言っていることが矛盾していないということを証明してもらおう」
そう宣言すると、ロゼは渡瀬に顔を向けた。渡瀬は少しの間戸惑いをみせていたが、やがて胸中定まったのか大きく頷いた。
すると、渡瀬は信じられない行動に出た。なんと自らの瞳に指を突っ込んだのだ。
「おい、なにやってんだ!」
突然の行動に僕は思わず叫び声をあげてしまう。次いで、その青天霹靂の行動を止めるべく渡瀬の手を掴もうと試みたが、伸ばした手は春人によって阻まれてしまう。
「よく見てみろよ。目潰しをしているわけじゃないぞ」
言われてみて初めて気づく。よく見ると、渡瀬は指を突っ込んでいるわけではなかった。
顎を引き、上目遣いをすると、中指で瞼を引き下げ、同じ手の人差し指と親指を瞳に近づける。
そう、これは幾度か見たことのある光景だ。僕自身、経験がなかったから勘違いしてしまっていた。
「……なんだ、コンタクトレンズか」
ほっとしている僕を尻目に、渡瀬はもう一つの瞳からも同様にコンタクトレンズを外していく。外し終えたのを見計らって、僕は渡瀬に声を掛けた。
「まったく、驚かせるなよ。何事かと思ったよ」
「ごめんなさい。別に驚かせるつもりはなかったの」
申し訳なさそうに言うと軽く頭を下げた。
「勝手に驚いた僕が悪いんだよ。だから顔上げろって」
渡瀬は顔を上げる。そして僕と彼女の視線がぶつかる――その瞬間、我が目を疑った。
つい先ほどまで黒色であった彼女の瞳が――灰緑色になっていた。
「お、おい渡瀬……お前、その目」
渡瀬は沈痛な面持ちを浮かべたまま言った。
「……そう。私もこの世界の住人じゃないの。この瞳の色が何よりの証拠。普段は取り替え不要のカラーコンタクトレンズを着用しているから、瞳の色について言及されることもないわ。交換が不要な代わりに一日一回必ず点眼薬を差さないといけないんだけどね」
そう自嘲気味に笑うと、渡瀬は人差し指に乗っているコンタクトレンズをぎゅっと握りしめた。
「そして、見境くん。あなたも私と同じコンタクトレンズを使用しているわ」
あまりの突飛な発言に僕は笑ってしまう。
「嘘だろ? もし僕の目にレンズが入っているのだとしたら、違和感を感じるはずだろ」
「ええ、そうね。でも、その違和感がある状態が、当たり前の状態なんだと見境くんが感じていたとしたら?」
「…………」
渡瀬が立ち上がり、僕に歩み寄る。
「よかったら、私が取ろうか?」
優しく問い掛けられた僕は、力なく頷くことしかできない。
「じゃあここに座って」
指示されたとおりにベンチに腰掛ける。隣に腰を下ろした渡瀬が僕の顔に向かって手を伸ばす。白く冷たい手が僕の顎を掴む。もう片方の手も顔に伸ばされ、細く長い指が僕の瞼を引き下げる。
そして、瞳からなにかが外れる感覚がした。
「取れたよ、見境くん。反対のレンズも取るね」
そう言うと、渡瀬は手際よくもう片方の目に着けられていたレンズも外した。
「どう、どんな感じ?」
心配そうに一連の様子を眺めていたロゼが訊いてくる。僕は眉根を揉んでから答えた。
「いや、特に変化はないかな。強いて言うなら、目に対する圧迫感が多少和らいだくらい。なんだか、目が軽くなった感じがする」
「……傍から見たら随分変わったけどな」
春人が僕の顔をまじまじと見つめる。その言葉に渡瀬とロゼも頷く。
おそらく彼らには僕の瞳が灰色がかった緑色に見えているのだろう。自分で確認できないことがもどかしい。
でも鏡なんて持ち歩いてないしな……いや、あるぞ。
「ちょっと待ってて」
僕はそう言い残すと駆けだした。公園には高い確率で公衆便所が設置されている。そして、この豊丘公園にも。
公衆便所特有の嫌な臭いに顔をしかめつつ中へ。鏡は流しの上にあった。しかし、僕は鏡の前に向かうのを躊躇ってしまう。
これまでのロゼの言い分や渡瀬の表情などを見る限り、彼女たちが異世界からの来訪者で、この僕もそうだということはおそらく嘘ではない。九割九分そうなのだろう。
だが十割ではない。その一パーセントに縋って、僕は自分が並行者と呼ばれる存在ではないと否定することができる。けれど、もし鏡を見て自らの瞳が灰緑色であるとわかってしまったら、九十九パーセントが百パーセントになってしまう。そうしたら、もう逃げられらない。僕がこの世界の人間ではないということを認めなければならないことになる。とは言っても、今更引き返すわけにもいかない。ここまで来たのは自分の意志だ。誰かに唆されたわけではない。だからもう、選択肢は一つしかない。
臍を固めた僕は、鏡の前へと一歩を踏み出す。そして顔を上げた――
鏡に映った僕の瞳の色は、奇麗な灰緑色であった。
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