第8話 広がる距離

行きたくなくても太陽が昇り日付が変わるのが自然の摂理。

目が覚めるといつも通り、1本前の電車の時間。

課長と顔を合わせる勇気がなかったが、ここのチャンスを逃すと課長との接し方が難しくなると思い、いつも通り1本前の電車に乗り会社へ向かった。

会社に着き課長と顔を合わせた時のシミュレーションをして、いざ企画部へ。

行き込んでいったものの、課長の席は空席だった。

ホッとした気持ちと避けられているかもしれないとも思い、気持ちがざわざわした。

とりあえず気持ちを落ち着かせるためにコーヒーを淹れて、パソコンを立ち上げメールのチェックをするが一向に内容が入ってこなくて、仕事が進まない。

今日は仕事を諦めて屋上に行き気分転換をすることにした。

屋上に行くと風が気持ちよくて、下を見ると従業員が出勤してくる様子が見える。

順と美幸も見つけた。

その後ろを歩く二人組は課長と香さん。

今日は早く来ずに香さんと一緒に通勤している姿を見て、私には到底勝ち目なんてないことは分かっていたはずなのに、一緒に仕事をするうちにどんどん惹かれていく自分が怖かった。

だけど、今決めた。

この気持ちはこの屋上を出た瞬間から終わりにして、仕事に打ち込もうと。

そう決意すると、意外にも気持ちがすっきりした。

とにかく仕事だけに集中して頑張ろうと、企画部に戻ると既に多くの人が出勤していた。

課長の方に目を向けるもこちらを見ることもなく、仕事をしている。

既に気持ちの整理をしたのだからと自分に言い聞かせ、唯も仕事にとりとりかかった。

昨日のミスを挽回すべくとにかく自分にできることは何か、誰かが仕事をしやすいようにフォローするということを徹底した。

あっという間に一日が過ぎ、気付いた時には終電間際の時間になっている。

ふと一日を振り返ると、課長と話すどころか目が合うこともなかった。

気持ちを切り替えたつもりでいるので、中途半端に課長と接触があるぐらいなら、いっそのこと今日のように接触がない方が、気持ちが溢れてこなくて案外楽だなと唯は思っていた。

そのまま、企画部を後にして帰宅の途についた。

課長と接触することがなく数週間が過ぎていく。

もちろん今まで通り唯は1本早い電車に乗って会社に来て、課長との朝の時間を楽しみしていたが、課長が朝早く来ることはなかった。

課長とはどんどん距離が離れてい行くが、相変わらず順と美幸とはお昼を一緒に食べている。

順とはプロジェクトが一緒なこともあり仕事を一緒にする機会も多かった。

順はプロジェクトが終わったその日の夜に美幸に告白すると意気込んでいた。

お店選びは唯も手伝っていた。

ただ、お洒落なお店なんか知らなかったので、夜仕事で残っていた企画部のメンバーに駅前で雰囲気の良い店はないかという話で盛り上がっていた。

企画部のメンバーには順と相思相愛だなとからかわれながらも、良いお店を聞くことができた。

途中順と二人で行くのかとしつこく聞かれたので、そうではないと否定していたがみんな信じてくれていないようだった。

この話をしているとき北見課長は席にいたが、普段仕事のこと以外では起こることが無い課長がいきなり席を立つと、

「お前たち余計な話をする時間があれば、家に帰るか仕事するかのどちらかにしろ。ここは会社なことを忘れるな。」とすごい剣幕で怒ってきた。

普段、仕事が忙しいから数分レベルの雑談は気分転換になるしコミュニケーションも大事だからと言って、雑談OKという感じだったのに今日は様子が違った。

何か仕事で気に障ることがあったのか、とにかく機嫌が悪かった。

凄い剣幕で起こった課長は、そのまま企画部のフロアを出て行ってしまった。

課長がフロアから出ていくと、みんな一斉に

「課長がこんなことで怒るなんて珍しいね。普段、生産性のないことは絶対にしない人なのに。こんなことで怒るなんて、何かあったのかな。」と口々にみんなが話始めた。

唯も北見課長に何かあったのか心配になったが、そんなこと聞ける立場ではなかったので、みんなの話を黙って聞いていた。

その後、一通りみんなが自分の意見を言ったところで満足したのか、それぞれ自分の仕事に戻っていった。

1時間後、北見課長と香さんが二人揃って企画部へ戻ってきた。

北見課長は何やら、香さんにお礼を言っていた。

やはり何かあった時は香さんのところへ行くのかという現実を見て、気持ちに蓋をしたつもりだったが胸がチクりと痛んだ。

課長も唯のことを避けているのか、数週間も話をしていない。

さっきのこともあったので、課長に仕事がたくさんあって疲れているのかもしれないと思った唯は思い切って課長に

「課長お疲れのようですが、何か手伝えることはありますでしょうか。」と話しかけてみた。

「お前に心配されるとはな。心配するな、特に手伝えることはない。」と課長は冷たく言い放たが、一度しゃべりかけるとしゃべりかけるハードルが下がった唯は「お疲れのはずです。さっきはいつもの雑談レベルの話で怒るようなことではないと思います。課長がつかれているからイライラしてるんだと思います。とにかく手伝わせて下さい。」と唯は引き下がらなった。

課長は少し驚いた顔をして、「ないと言っているだろ。無駄な時間は使いたくない。今すぐ席に戻れ。」と大きな声で唯を怒鳴りつけた。

あまりに大きな声だったので、唯は驚いて「すみませんでした。」と言って急いで席に戻った。

周りからは課長がお疲れなんだから、刺激するようなこと言っちゃ駄目よと怒られた。

朝、早く来ない課長への苛立ちと避けられている寂しさで唯も余計なことを言ってしまったと反省した。

こっそりと課長の方を見ると、課長は難しい顔をしながら仕事の手が止まっている。

何か考えているようだったが、何を考えているのか唯には想像がつかなかった。

課長のことは気になるが仕事は山のようにあるので、嫌でも仕事にとりかからなければいけなかった。

やることが多かったので集中して仕事をして、ふと時計を見るとさっきの事件から3時間程経っていた。

休憩もせず集中していたので、一度息抜きをしようと給湯室へコーヒーを入れに向かった。

お湯を沸かしている間、ぼーっと立っていると給湯室へ入ってくる人がいた。

「コーヒーを淹れるなら、俺のも淹れてくれ。」と北見課長が入ってきた。

数週間もしゃべりたいと思っていた人が、いきなり目の前に現れて唯は驚きで固まっている。続けて「さっきは悪かった。あんなことを言うつもりはなかった。やっぱり俺も疲れているようだ。明日の打ち合わせに同行してくれ。お詫びにお昼も一緒に食べよう。」と早口に言うと、そのまま課長は給湯室を出て行ってしまった。

唯は今の出来事は一体何だったのか現実を把握するのに必死だった。

とにかく明日数週間ぶりの同行とお昼を一緒に食べるということは理解した。

理解した途端、嬉しくて一人ガッツポーズをしてしまった。

慌てて誰かに見られていないか確認してから、課長のマグカップにもコーヒーを淹れて持って行った。

「明日はよろしくお願いします。」と言いながらデスクにコーヒーを置いた。

課長は「あぁ。」とだけ言って顔を上げなかったが、心なしか耳が赤くなっているようだった。

待ちに待った同行の日がやってきて、唯は朝から気合が入っていた。

課長の迷惑にならないよう、今日行く会社の情報は全て頭に入れたつもりだった。

11時頃課長が「山本、行くから準備しろ。」と課長に言われ、待ってましたと言わんばかりに唯は席を立った。

「10分後に駐車場で。」と言い残すと課長は先に企画部のフロアを出ていった。

唯も準備をしてから駐車場に向かった。

今回は迷わず助手席に座り、課長に「よろしくお願いします。」と告げると、課長は車を動かした。


前に見た景色の道を行くので、お店は前の喫茶店に行くと分かったので課長に

「前に見れなかったメニュー見るのが楽しみです。」と言うと課長も「楽しみにしとけ。」と言ったきり店に着くまで無言だった。

車の中では二人とも無言だったが、心地よい無言の空間だった。

店に着くと課長と幼馴染のマスターが「久しぶり、いらっしゃい。」とだけ言って奥の席を案内してくれた。

待ちに待ったメニューを見ると、唯の大好物ばかりが並んでいた。

唯は悩みに悩んで、ハンバーグとナポリタンで迷っていたがナポリタンを注文した。

課長はその姿をじっと見ていて、ハンバーグを注文した。

注文してから、「ハンバーグも食べたそうだったから後で少しやる。」と言った課長の耳が少し赤くなっている。

料理を待っている間、唯はミスについて改めて謝罪をした。

「きちんと確認せず、適当なことを言って決済をもらい結果的にご迷惑をおかけしてすみませんでした。」と唯が言うと

「ミスをした後、きちんと自分のやるべきことは何か考えて行動していたし、同じミスをしないように仕事をしていたから、全く問題ない。」と課長は言う。

唯はミスを犯してから数週間も課長に避けられていたので、まだかなり怒っているとばかり思っていたので「課長はまだ怒っていると思っていました。」と告げた。

「俺がしっかり確認せずにお前に任せてしまったから俺が悪いと思っていたからお前に合わせる顔がなかった。後処理も俺に頼るべきなのに、高岡に頼っていたし、休憩室で抱き合っていたし、俺は黒子に徹した方が良いと思ってな。」と課長は訳の分からないことを言ってる。

「課長に一番に電話しましたが、会議中で出なかったので身近にいて状況を把握していた高岡に手伝ってもらっただけです。私は高岡に貸しがたくさんあるので、彼断れないんです。それに抱き合ってないですよ。それは勘違いです。課長に避けれてて、私悲しかったです。」と唯は正直に告げた。

課長はそれを聞くと、少し考えこんだ後で「それはすまなかった。お詫びにプロジェクトが終わった夜に食事に行こう。」と誘ってきた。

すごくすごく唯は行きたかったが順が美幸に告白する運命の日だったので「その日はすみません。高岡が勝負の日で一緒に食事に行くんです。翌日はどうですか。」と課長に聞くと、課長は「駅前のイタリアンに行くのか?時間は19時から?」と聞いてきた。

その通りだったので「その通りです。でもなんで?」と言ったところで、注文していた料理がきた。

料理がきたので、この話は終わり二人は料理をぱくついた。

課長は約束通り、ハンバーグを少しくれた。

この日を境に二人の関係は元に戻り、朝も課長がいるので二人でコーヒーを飲んでから仕事をしている。

前と違うことは、色々あったので課長との距離が近くなり色んな話をするようになっていた。

行きたい場所とか、好きな食べ物の話とか。

話の流れで行きたい場所に一緒にドライブに行こう、おいしものを食べに行こうと、社交辞令でも課長からそう言われると唯は嬉しかった。

好きな気持ちに蓋をしたはずなのに、その蓋ははずれかかっている。

その後プロジェクトも順調に進み、唯はミスをすることなく大成功に終わった。

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