第6話 大仕事

久々に寝坊した。

寝坊した上にシャワーも浴びていなかったから、急いで準備をした。

急いでいても身なりの確認はきちんとして家を出発する。

寝坊したので1本早い電車には乗れないので、北見課長と朝一緒にコーヒーを飲むことはできない。

昨日北見課長に朝から順とのことで怒られ、香さんとの仲を見せつけられて、まだ気持ちはどん底だった。

会社に着いて、企画部のフロアに入ると既にみんな出社してきている。

北見課長と目が合ったので、おはようございますとだけ言って給湯室へ向かった。

コーヒーを淹れようとしたところに、北見課長が入ってきた。

「いつも淹れてもらってばっかりだから、今日は俺が淹れる」と言って準備を始める。

更に北見課長は手を動かしながらこっちを見ずに、言葉を続ける

「今日は珍しく朝来なかったな。昨日のことで気分悪くさせたのは申し訳なかった。もう朝は来ないのか?」

想定外の質問にびっくりしたが、寝坊したことと元々朝が弱いことを伝えた。

「今日は寝坊しちゃって。本当は朝が苦手なんですが、ここ最近は課長とコーヒーが飲みたかったので頑張って朝起きていたのですが、疲れがたまっていたようです。明日からはまた朝来る予定です。」と答えたら、今までに見たことのない笑顔で唯の頭をぽんぽんとしながら、

「明日からまた来るのか。俺が淹れたコーヒーは美味いぞ」と言ってコーヒーを渡して給湯室を出て行った。

朝一緒にコーヒーを飲めなかったが、頭ぽんぽんというとんでもないご褒美を貰って、唯は舞い上がっている。

朝から感じていた暗い気持ちが吹き飛んでいった。

その日のミーティングで次回のビッグプロジェクトのメンバーに私の名前が呼ばれた。

良いことがあると連鎖すると良く聞くが、まさに今日がこの日になりそう。

プロジェクトメンバーになるのが一つも目標だったから、何が何でもこのチャンスを逃さずに成果を出そうと思った。

このプロジェクトで結果を出せば、次のプロジェクトメンバーにも選出されるはず。

ミーティング終了後に早速メンバーは残るよう指示があり、唯もそのまま会議室に残る。

プロジェクトは企画部、営業部、情報部、総務部、広告部と多岐に渡る部署の選出メンバーで構成されている。

続々と他の部署の選出メンバーが会議室に入ってくる。

そのメンバーの中に香さんの姿もあった。

部屋に入って北見課長を見つけると、空席になっていた隣の席に座った。

二人は顔を寄せ合って何か話している。

二人とも笑顔でしゃべっているので、仕事の話ではなさそうだ。

プロジェクトの一員になれて嬉しくて舞い上がっていたのに、二人のお似合いな姿を見るとその気持ちが萎んでいくのを感じた。

北見課長は唯に対して公私を分けて仕事をしろといったくせに、自分は大事な会議の前に香さんと仕事でもない話で談笑している。

唯は言っていることとやっていることが矛盾してると思いながら、イライラしながらその二人をじっと見つめていた。

すると隣に座っていた、順が「唯、見すぎだぞ。」と声をかけてきた。

順もプロジェクトメンバーに選出されており、隣の席に座っている。

「見すぎだったかな。だって課長は公私を分けて仕事しろと言ったのに自分は全然できていないと思うんだけど、そう思わない?」

「それは唯が課長が好きだから、香さんとのことが気になっているだけで、俺には普通に仕事の話をしているだけだと思うぞ。資料見ながら話てたし。」

順が話終えたところで全員が集合したようで、プロジェクトリーダーが「会議を始めます。」と開始の挨拶をしている。

唯はこれ以上話すことはできなかったので、プロジェクトリーダーの方へ視線を移したが、一瞬課長が視界に入った。

こちらを鋭い目つきで見ていたような気がしたが、議事が進行し始めたので、それ以上課長を見ることはなく会議に集中することにした。

最初の会議だけあり、全体スケジュールも含め議題が多かったので、会議が終わった頃にはお昼になっていた。

順と二人でプロジェクトの話をしながら部屋を出ようとしたとき、北見課長が声をかけてきた。

「山本ちょっと残れ。高岡は行っていいぞ。」

「唯、先にお昼行ってるな。美幸と仲良く食べてるからごゆっくり。」

「分かった。終わったら合流するから席をとっといて。」

順は短く会話を交わすと、北見課長に会釈をしてから部屋を出て行った。

「相変わらず、下の名前で呼び合ってるんだな。毎日お昼も一緒に食べているようだし、本当に仲が良いんだな。さっきも会議が始まる前に顔を寄せてしゃべっていたが、あんまり会議の前にああいうことをするな。」

唯はさっき課長も香さんと同じことしてましたよ、と言いたかったがここは言葉を飲み込み

「すみませんでした。呼び方については、順・・・ではなく高岡とは仕事中は苗字で呼び合うよう約束しましたが、長年の癖が抜けきらないので、もう少しだけ時間をください。お昼はいつも一緒に食べていますが、同期の片岡さんも一緒です。3人で仲が良いんです。」

「話したいことってこのことですか?」

また順とのことでお説教かと思うとうんざりしたので、最後は投げやりに課長に聞いた。

「仕事以外のプライベートは名前で呼び合うっていうことなのか?」課長はしつこく名前のことを言っているが続けて

「まぁいい。話したかったことはこれではない。本題は市場マーケティングについて、今回のプロジェクトは俺と一緒に情報収集をする。これから外に出るからすぐ準備しろ。」

「10分後に地下駐車場に集合だ。」と言い残すと会議室を後にした。

さっきまで順とのことでお説教されてうんざりしていた唯だが、今は課長と二人で出かけられることにどきどきしていた。

10分後に地下駐車場に行かなければならないので、大慌てでカバンを取りに自分のデスクに向かう。

地下駐車場についたのは約束時間の前だったが、北見課長はすでに車の前で待っていた。

課長は「遅い、早く乗れ。」とだけ言って、運転席に座ってしまった。

明らかに社用車ではなく北見課長の車だったので、唯は助手席に乗るべきか後ろの席に座るべきか迷った。

結局香さんに悪いと思い、後ろの席のドアを開けたら

「俺は運転手じゃないぞ。早く助手席に乗れ。」と課長に言われた。

「すみません。」と小さい声で謝り、慌てて助手席のドアを開けて座る。

乗った瞬間課長の香がして、心地良い革張りのシートにすっぽりと座るとほんのりあったかいので、まるで課長に抱かれているかの幻想を抱いてしまう。

「出発するぞ。」という課長の声で現実に戻る。

現実に戻った途端、密室に課長と二人並んで座っていることに妙に緊張してしまう。

しばらく無言で車を走らせていたが、「暑いか?顔が赤いぞ。」と課長が心配したようにこちらをのぞき込んでくる。

あまりの距離の近さに思わずのけぞって「すみません。少し暑いので、冷房の温度下げてもよいですか。」と課長に答えた。

本当はたいして暑くもなかったが、緊張して体に力が入って汗ばんでしまっていたようだ。

「分かった。少し下げるが寒かったら教えてくれ。お昼ご飯まだ食べてないから、食べてから向かおう。」

「何か食べたいものあるか?」と聞かれたが、唯は課長と二人でご飯を食べるという現実に既にパニックになっており

「好き嫌いがないので何でも食べれます。課長と食べられるなら、喜んでご一緒させていただきます。」

と訳の分からない回答をしてしまった。

「好き嫌いのないことは良いことだ。それじゃぁ、俺がよくいく店でいいな。」と嬉しそうに笑う課長を見て、唯も嬉しくなった。

再び課長は運転に集中して、車内は静かになった。

それにしてもさっき、課長に顔をのぞき込まれたときの近さを思い出して、また体が熱くなってきた。

いつもクールな感じで仕事をしていて、あまり笑う姿は見ないけど、さっき嬉しそうに笑った顔を思い出して、違う一面が見れて嬉しかった。

人間よくばりなもので、もっともっと課長に近づきたいと思ってしまう。

「着いたぞ。」という課長の声で再び現実に戻ってきた唯は、慌てて助手席から降りる。

「ゆっくり食べたいところだが、時間がないから今日は急いで食べろ。今度は少し早めに出るからゆっくり食べよう。」と課長は言いながら、店に入ってく。

唯は”今度”という言葉を聞いて、また次があるということが分かり嬉しい気持ちでいっぱいになりながら、課長の後を着いて行った。

「いらしゃいませ。あれ、祐樹。女の子と一緒なんて珍しいな。女の子と一緒に来るなんて初めてじゃないの?」とカウンターから顔をだしたのは、この店のマスターらしき男性だった。

マスターの言葉を聞いて、香さんとも一緒に来たことがない店に連れてきてくれたことが分ると、唯は優越感を感じていた。

「余計なこと言わなくていいから。メニュー決まったら呼ぶな。」と課長は言うと、唯の肩を抱いて奥の席にスタスタ向かった。

肩を抱かれたことで、課長との距離が一気に縮まり心臓の音が聞こえてしまうかと思うほど、唯の心臓は早鐘を打っている。

唯はマスターと目が合ったので会釈しすると、マスターはニヤリと唯に笑いかけた。

「余計なこと言ってごめんな。ここの喫茶店は俺の幼馴染がやっている店でよく来るんだ。変な奴だが、味は間違いないぞ。特にオムライスが絶品だぞ。」と唯が席に座らせ課長が話しかけてきた。

課長との距離ができ、我に返るとさっきまで何で肩を抱かれていた事実に頭がパニックになる。

さっきのマスターの言葉といい、課長のふるまいといい、勘違いしそうになる。

香さんがいるから勘違いするなと自分に言い聞かせ、メニューを選ぶ余裕もなかったので、課長に勧められたものを注文することにした。

「課長おすすめのオムライスにします。」と課長に告げた。

「おい、いいのか。まだメニューはたくさんあるぞ。」と課長は言ってきたが、唯はすかさず

「メニューは次一緒に来た時の楽しみにとっておきます。」と言った。

課長は嬉しそうに目尻を下げて微笑んでいたので、唯も嬉しくなって課長を見た。

そこへ「そこのお二人さん、見つめあっているところ失礼しますが、メニューはお決まりですか。」とマスターが割って入ってくる。

課長は一瞬でいつもの顔に戻り「見つめあってなんかいない。変なことを言うな。こいつはただの部下だ。オムライス2つ。」と言うなり、鞄からパソコンを取り出し仕事を始めてしまった。

「こいつ照れるとすぐムキになるんだよね。今の言葉は気にしないでね。可愛い部下ちゃん。」とウインクして、マスターは去って行った。

「山本、あいつの言葉は聞き流して良いぞ。オムライスが来るまで、メールチェックさせてくれ。」と課長は言うとすぐパソコンに視線を移してしまった。

分かってはいたが、改めて課長の口からただの部下と言われて唯は一気に気持ちが沈んでしまった。

さっきまで肩をだかれ笑いあって課長と話せてたのに、突き放されてしまった気分になる。

そもそも課長には香さんがいて、私のことなんて眼中にないのはわかっていたのに一瞬でもいつもと違う扱いをされ、自分が特別な存在なのかもしれないと思ってしまった。

冷静に考えるとなんて恥ずかしい勘違いなんだと、頭の中お花畑状態を解消するために、小さい声で「お手洗いに行ってきます。」と課長に告げて、席を立つ。

一度冷たい水で手を洗って、現実に戻ってこようと思った。

手を洗い、席に戻ったときにはオムライスが机の上に2つ置いてある。

「今来たところだから、食べよう。」と課長が言ったので

「いただきます。」と言って唯も食べ始めた。

オムライスにナイフを入れるとトロットロの卵が溢れてきて、ほどよく酸味のあるケチャップライスとの相性は抜群だった。

唯は今までに食べたオムライスの中でも一番おいしいと思いながら、課長のことはすっかり忘れてオムライスに夢中になっていた。

ふと視線を感じ顔を上げると、課長が目を細めて笑いながらこっちを見ていた。

目が合うと「お前、ほんとに美味しそうに食べるな。一生懸命食べている姿が小動物みたいで可愛いな。」というなり口についていたと思われるケチャップを指で取ってくれる。

可愛いという言葉と課長の行動に一気に顔が熱くなるのを感じた。

「課長、早く食べないと遅れちゃいますよ。美味しいものは、集中して食べるべきですよ。」と唯は照れ隠しのつもりでわざと大きな口をあけて食べ、課長に返事をした。

「そうだな。急いで食べて向かおう。」と言うと再び二人はオムライスに集中し、カチャカチャと食器とスプーンがあたる音だけになった。

唯はオムライスを食べながら、さっきの課長の言葉を思い出していた。

可愛いと普通に言っていたが、小動物みたいと前置きがあったから女性として可愛いと言われたわけではないし、課長には香さんがいるからその言葉に全く深い意味はない。

取引先に行く前に口をケチャップだらけにしていたら、みっともないと思ってとってくれたんだ。

勘違いしてはいけないと自分に言い聞かせた。

色々な思考を頭に巡らせながら、オムライスを食べ進めていたら、あっという間に食べ終わっていた。

課長の「行くか。」という言葉で席を立つ。

さっきお手洗いに行っていた間に課長が支払いを済ませてくれていたようで、お財布を出して支払いしようとしていたが、そのまま支払うことなく店を後にした。

こんなスマートな立ち振る舞いに、改めて課長がカッコいいと思ってしまう。

取引先に行く前に課長の振る舞いのせいで、頭が混乱している。

そんなことを知ってか知らずか、課長は取引先に向かう車の中ではこれからリサーチすべきことの打ち合わせをしていたので仕事以外の話はしなかった。

おかげで頭の中を仕事モードに切り替えられた。

あっという間に取引さきに着き、打ち合わせが始まる。

取引先での課長も堂々としたもので、最初から最後までこちらのペースでうまく話しをまとめていた。

私は議事録をとるのに必死で、途中課長が降ってくれた話題に口を挟むのが精いっぱいだった。

帰りの車中で課長が「山本と高岡は今回初めてのプロジェクトだろうから、色んな人の仕事の仕方をよく見て勉強するんだ。そして、このプロジェクトを通して人脈を構築するんだ。分かったか。高岡にも伝えてくれ。」とアドバイスをしてくれる。

「高岡とはよく呑みに行くのか?」と唐突に課長が聞いてきたので

「同期ですから、嫌なことがあったときにストレス解消で付き合ってもらうことはよくありますね。ただ、今回はこのプロジェクトが終わるまでは呑みにいかないと約束したので、このプロジェクトが終わったら、パーっと呑みに行きます。」

「高岡、今回のプロジェクトが終わったら一大決心の告白をすると言っていたので、それまではお預けするようです。」

と唯は課長に言った。唯は順からこのプロジェクトが終わったら、美幸に告白するから手伝ってくれと言われていたので、それを課長に告げたつもりでいた。

ところが、課長の顔が一気に曇って「プロジェクトが終わったら、一大決心の告白ね・・・・」と言ったきり黙りこんでしまった。

唯は何か怒らせるようなことを言ってしまったかと不安になったが、今言った言葉を思い返して何がいけなかったのか分からず黙りこんでしまった。

そのまま会社に着くまで、二人が会話することはなかった。

企画部のフロアに着くと順が寄ってきて「お昼食べないなら連絡ぐらいしろよな。」と言ったので、唯は「ごめんごめん」と謝りながら、さっきの課長のアドバイスを順に伝えた。

車を止めて戻ってきた課長と目があったが、直ぐに逸らされてしまった。

この日を境にプロジェクトが動き始めたので、唯は忙しく終電間際に帰宅する毎日が続いた。

そんな中で課長と二人で出かけることも多く、お昼も一緒に食べることが増えた。

相変わらず優しい目で笑いかけてくれることもあり、勘違いするような言動も多かったが、自分に勘違いするなと言い聞かせて毎日を過ごしていた。

ただ、課長と一緒にいる時間が長ければ長いほど、課長に惹かれていく自分に気づき苦しかった。

このプロジェクトが終わったら、助手席にのることもないし二人でご飯を食べることもないという現実に蓋をして、ただただ今の課長との時間を大切にしていた。

限られた時間の中で少しでも幸せでいたいと思っていた。

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