第3話 記憶の欠片

 今日はとても気持ちのいい朝だ。二日ぶりの晴れだ。なんだか久しぶりに感じる。今日は足元を気にすることなく散歩出来そうだ。

 出際にニュースをつける。

「夜になると雨が降るところがあるでしょう。明日の朝にかけて……」

 夜から雨が降るみたいだ。今日は早めに帰ることにしよう。そう考えながら玄関へ向かった。




 学校から帰る途中にはもう、空の青色が薄くなり始めていた。足早に家に帰り、荷物を置く。一応、傘を持って出かけた。



 いつものペースで歩く。カラリと乾いた空気が心地良い。アスファルトの端が少しだけ湿っているのが、昨日まで雨が降っていたことを思い出させる。住宅地の大きめの歩道を歩きながら、あの橋へ近づいて行く。橋が姿を表していく。彼女は居るだろうか。期待と不安が入り混じる。








 今日は彼女はいなかった。








 また消えてしまったかもしれないという不安が心をぎる。

 大丈夫だ、彼女はきっと雨の日に姿を見せてくれる。そんな不確かな予感が、何故か僕の頭の大半を占めていた。きっと大丈夫だ。

 歩く雨上がりの地面が少し肌寒く感じた。




 橋を渡り終えると、右手にある道に気を取られた。いつもは気にせずに通るのだが、今日は何故かとても気になる。なんとなく、今日はこちらの道を通ってみようと思った。



 この道を散歩するのは久しぶりだ。前はこちらをよく散歩していた。何故いまの道に変えたのかは覚えていないが、たぶん僕のことだから理由は無い。気分で変えたのだろう。

 そんなくだらないことを考えながら、慣れた足取りで歩く。



 しばらく歩いてふと、何かが目に入る。道路脇、白いガードレールの下に空き缶があった。

 その中を覗くと底の方に茶色くへばりついた花があった。花は枯れてしまっているようだったが、紫苑しおんのように見えた。

 カラカラに萎れた紫苑。

 何故かはわからないが、嫌な感じがする。いつもはこんな風に意味も分からず不安を感じることは無い。気持ち悪い何かが、頭の中でグルグルと巡る。



 ふと、涙が出てきた。その花から目が離せない。ぽろぽろと涙がこぼれ落ちて止まらず、しゃがみ込んだ僕の膝に涙が染み込んでいく。こんな歳になって、歩道の真ん中で泣いているなんて恥ずかしい。自分を客観視できるのが一番厄介だ。

 でも、何故かここから離れる事は出来なかった。


__


 数十分が経過し、夕陽が赤く沈み始めた。

 少し落ち着いてきたみたいだ。何故泣いてしまったのかわからないまま呆然とする。

 ぼうっと景色を眺める。


 視界の斜め上に青っぽい何かがずらりと列を成している。空っぽの頭は左手にある花壇に目がいったようだ。紫陽花の花壇らしい。

 ここら辺で見ないと思ったらここにあったみたいだ。こんなに綺麗に咲くのか。僕は息を呑む。梅雨はやはり紫陽花が美しい。一年にひと月も咲かない花はどこか儚さを感じる。晴れの日に見る紫陽花は少し特別な感じがした。


 しゃがみ込んだ僕より背の高いその花壇には、紫色と青色の花が互いを飾るようにぽつぽつと咲いていた。

 何故か、目の前の一輪の青い紫陽花に目を奪われる。

 目の前に咲くそれはこちらを伺うように垂れていた。可愛らしくしゃがみ込むそれは、なんだか僕を慰めてくれているような気がした。


 柔らかく咲くその青は、雨を待ち焦がれるように静かにそこにいた。

 夕焼けに光るその花に、しばらく見惚れていた。




 僕は満足してやっと一歩を踏み出す。気分がすっきりと晴れたような気がした。




 僕は気がつくと君を思っていた。





 家に着く頃には、もうほとんど日は落ち切って部屋は暗くなっていた。電気をつけようとカーテンを閉める。すると、パラパラと音が聞こえ始めた。カーテンを捲ると、夜闇に降る、無数の雨粒が街灯に照らされていた。天気予報はかなり正確だ。

 そういえば、こんな雨のことを小夜時雨さよしぐれというらしい。前に彼女が言っていた。

 今日はずっと彼女のことを考えている気がする。明日は会えるだろうか。




 僕は空に願いながら、寝床についた。


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