第12話 勘違い
社長の赤くなった顔を思い出しては嬉しくなる。
勘違いでなければ、少しだとしても俺を意識してくれていようだ。
旬が社長は俺に気があるといった言葉もしぶとく記憶に残っている。
本当に社長が俺に気があればいいのにと何度思ったことか。
そんなことをぐるぐると考えていてもしょうがないので、体を伸ばしてからベッドから出る。
いよいよ今日は社長と出かける日だ。
ベッドから出ると、その実感が湧いてきて既に心臓が大きく動きはじめる。
そんな心臓の音に気付かないふりをしながら身なりを整える。
仕事じゃないから、髪の毛はラフにセットする。
ジーパンとポロシャツを手に取る。
気合が入った服もいまいちだし、ラフ過ぎてもいけないよな。
考えれば考える程、よく分からなくなってきて、最初に手にとったジーパンとポロシャツに着替える。
ぼーっと家にいても気持ちだけが逸るので、待ち合わせ時間にはまだまだあったけど、家を出よう。
お気に入りの時計をつけて気合を入れる。
気持ちを落ち着かせようと、いつもの香水を軽くふる。
忘れ物がないか、もう一度家の中を見渡してから、家を後にする。
待ち合わせ場所には1時間も前に着いていたので、ねぇちゃん達のパン屋へ寄ろうと店に足を向ける。
「おはよう。失敗作のパンでいいから1個頂戴。」
ちょうどねぇちゃんが店にいたから声をかける。
「朝早いわね。でもサーフィンするには遅い時間だから、どっか行くの?」
「そんなところだな。」
俺の声を聞いて、奥から義兄がやってくる。
「洋平、この間は助かった。ありがとな。」
先日、義兄の代わりに結婚式の打ち合わせに行ったことで、社長のお誘いに乗れなかったことが再び思い出される。
「陸さんのせいで、とんだ目にあったんだからな。その御礼としてパン食わせて。」
パンで相殺しようとしてる自分は優しいなと思いながら、義兄から手渡されたパンを頬張る。
「洋平、どこ行くのよ?」
ねぇちゃんがパンを食べている俺にしつこく聞いてくる。
「旬とだよ。旬と出かけるの。」
社長と出かけるとは言えず、適当なことを口にする。
「また旬くんと出かけるの。あんたもいい歳なんだから、結婚してくれる彼女を作りなさいよ。」
これ以上、ここにいてもロクなことが無さそうだ。
時計を見ると約束の10分前になっている。
「ねぇちゃん、陸さん、御馳走様。時間だから俺行くわ。」
そう言って早々に店を後にして、待ち合わせ場所に向かう。
社長が既にいるかもしれないと思うと、心臓がバクバク音を立てる。
待ち合わせ場所についたものの、社長の姿はない。
約束の時間まであと少しあったので、スマホを取り出しニュースを見る。
どれぐらい経ったのだろう、後ろに気配がして振り向くと社長の姿が目に飛び込んできた。
いつも仕事で見る社長も綺麗だけど、今日は特別綺麗で可愛らしい。
そんな姿に口元が緩んでしまいそうになるので、慌てて手で口元を隠す。
社長が俺に近付いてくるのに比例して、俺の心臓の鼓動もどんどん早くなる。
「遅れてごめんなさい。」
社長の声が耳に入ると、緊張がピークに達する。
「待ってないですよ。時間ぴったりです。」
やっとの思いで言葉を口にする。
「今日はどこ行きますか?」
事前に旬から情報を仕入れていて、行く場所を決めていた。
「俺の車でいいですか?」
「どこに行くのか教えて下さい。」
緊張のあまり行き先を言っていない自分に苦笑いが混み上げる。
そんな状況の中でも社長の喜ぶ顔が見てみたいと思い、行き先はサプライズにしたいという思いがむくむくと湧き上がる。
「着いてからのお楽しみ。こっちに車止めてるからきてください。」
俺の回答が不満だったようで、むくれ顔になる社長。
その姿が堪らなく可愛くてずっと見ていたかったが、目線を外し車の方を向く。
「車あっちに止めているので付いて来てください。」
あまりに可愛い社長に触れたいという気持ちが出て、社長の腕を掴んでいた。
社長は嫌がる素振りをしなかったので、腕を掴んだまま車に向かう。
社長の腕を掴んでいる掌が熱い。
車に着くと、掴んだ手をパッと放して、助手席のドアを開けて社長が乗り込むのを待つ。
社長の体温を感じなくなった手が寂しい。
社長が助手席に座ったところで、急いで運転席に回る。
車に入ると、さっき乗ったばかりの社長の香りが車内を充満している。
その香りと助手席に座っている社長を見ると、今起きていることが現実だと改めて認識する。
認識した途端に、しばらく静かだった心臓が再び暴れ始める。
気を紛らわそうと、急いでエンジンをかけて静かに車を発進させる。
車を発進されたものの、車内は無音で気まずい空気が流れている。
そう思っているのは俺だけかと思いながらも、耐え切れなくなり社長に話しかける。
「嫌いな食べ物とかありますか?」
小学生のような質問をした自分に恥ずかしくなる。
「特にないですけど。あえて言うならケーキは大好物です。」
幼稚な質問にも関わらず社長が返事をしてくれる。
ケーキが好きだという社長の表情はまるで少女のようで思わず笑いが込み上げる。
「好き嫌いのない人っていいですよね。」
俺の言葉に対して社長は言葉を返さず、窓の方を向いてしまった。
再び無言になる車内に耐えられなくなる。
「ちょっと車走らせるので、疲れているようでしたら遠慮せず寝て下さいね。」
とりあえず寝てくれれば、この気まずさから逃れられるだろう。
ただ、ここで寝られたら男として意識されていないような気がして自信がなくなる。
そんな複雑な気持ちを抱えていると、社長の声が耳に入る。
「少しだけ休憩させてもらいます。」
まさか俺の提案に乗るとは思っていなかったので、横をちらっと見ると既に目を閉じている社長が目に入る。
俺を男として意識してないと言われているようで、気持ちが沈んでいくのが分かる。
気持ちを落ち着かせようとラジオをつける。
つけてから思ったが、最初からラジオをつけていれば、寝ろなんて言わずに済んだ。
あまりに余裕がない自分に、この後ちゃんと一緒にいられるのか不安になってくる。
しばらくすると寝息が聞こえてきて、社長は本当に寝てしまったようだ。
そんな社長にがっくりきてしまう。
もしかして社長は俺に気があるのかもしれないと思っていた自分が恥ずかしい。
窓に映った社長の寝顔を見て、愛おしさが込み上げてくるが、社長も同じ気持ちではないことが悲しくなってくる。
そうは思っても、今から社長とご飯に行く事実は変らない。
余計なことを考えずに、純粋に社長とご飯を食べることを楽しもうと決めて、目的地へ向かう。
そんな俺の気持ちを知るはずもない社長は結局目的地に着くまで起きなかった。
駐車場に車を止めると、寝ている社長を少し眺めてから声を掛ける。
「社長、着きましたよ。」
俺の声に直ぐ社長は目を開ける。
直ぐに鞄から鏡を取り出して、自分の寝起きの顔を確認している。
社長の一挙一同が可愛くて、からかいたくなる。
「寝顔可愛かったですよ。心配しなくてもよだれは垂れてないですよ。さぁ、行きましょう。」
社長は固まって車から降りる気配がないので、シートベルトを外してあげて、熊から出るように促す。
「さぁ、早く降りて。」
社長が車から降りたのを確認して、入り口の方へ向かって歩く。
社長とご飯に行くと決めたその日の夜に、旬に相談して決めた店だ。
女と遊びまくっている旬だからこそできるお店のチョイスで、この時ばかりは旬に頭が上がらなかった。
お店に入ると店員さんに声をかける。
「予約していた相場です。」
感じの良い店員さんが予約を確認して席に案内してくれる。
席に着くと目の前に社長が座っている。
妙な緊張感が再び俺を襲う。
何か気の利いたととを言わないとと焦って言葉を口にする。
「社長、仕事の時と雰囲気が違いますね。」
俺は何を言いたいのかと自分の言葉に再び慌てる。
「勘違いしないで下さいね。仕事の時もいいですけど、仕事じゃないときの社長は幼い感じがするというか。仕事の時は美人ですが、プライベートな時は可愛いですね。」
フォローしたつもりがフォローになっておらず、余計に墓穴を掘ってしまう。
俺の言葉に社長は返すことなく、周りをキョロキョロしてから話を変えてきた。
「メニュー持ってこないんですね。」
旬がコースを予約するのが普通だと言い切ったので、その言葉通りコースを予約してしまっていた。
「ごめんなさい。席を予約したとき、料理も注文してしまったのですが、よかったですか。」
自分で食べるものぐらい自分で選びたいのが普通だよなと後悔していると、社長は思いのほか笑顔になっている。
「好き嫌いないから何でも大丈夫よ。ありがとう。」
砕けた口調の社長に少し嬉しくなる。
そうだ、よく考えたらいつものように社長と秘書のスタンスで接すればいいんだ。
男と女で接しようとするこから、おかしくなっていたことに気付き、そこからはいつもの通り仕事の話をする。
社長も仕事の話はよく話してくれるので、料理がくるまで会話は途切れることがなかった。
話し込んでいると料理が運ばれてくる。
話ながらも料理を堪能する。
「これほっぺが落ちる程、美味しいですね。」
「よくこんな美味しいお店見つけましたね。」
何を食べても美味しい美味しいと言ってくれる社長に嬉しくなる。
あっという間にコース料理を食べ終えると、デザートが運ばれてくる。
デザートはお願いしてチーズケーキにしてもらった。
先日のお詫びも兼ねてのケーキだ。
社長は一口頬張ると、その顔が一気に緩んでいく。
「このチーズケーキめちゃくちゃ美味しいですね。よくこのお店見つけましたね。」
「社長がケーキをお好きと言っていたので、必死に探したんですよ。」
本当は旬に聞いたとは言わず、少し見栄を張ってしまった。
あっという間に食べ終わり、コーヒーも飲み終える。
「そろそろ出ましょうか。」
いつまでも席にいるのもお店の人に悪いと思い、席を立つ。
予約した時にネットで決済していたので、支払いは済んでいる。
この後どうしようかと頭を悩ませながら車に向かい、助手席のドアを開けて社長を待つ。
直ぐに社長がやってきて車に乗り込む。
俺も運転席に乗り込んでエンジンをかける。
「お食事代、ありがとうございました。とっても美味しかった。これはなんですか
」
と手にした保冷バックと俺を交互に見ている。
次どうしようかで頭がいっぱいだったが、予約した時にお土産のチーズケーキもお願いしていたことを思い出す。
「ここのチーズケーキかなり有名らしいのでお土産。社長ケーキが好きでしょ。」
嬉しそうな顔をしている社長を見て、俺も嬉しくなる。
「シートベルト締めないと出発できないよ。」
いつまでもシートベルトを締めない社長は子供のようだなと思いながらシートベルトを締めてあげる。
このままどっかに行きたい気持ちもあったが誘って断られたら立ち直れないし、社長を長時間拘束するわけにもいかない。
「時間も時間だし戻ってもいいですか?」
行きは社長の寝息と共に来たけど、帰りは仕事の話だったが社長と話しながらドライブが出来て幸せな気持ちに浸っていた。
そんな幸せな時間も終わりを迎え、あっという間に海に着いてしまった。
このままお別れかと思うと名残り惜しく、思い切ってこの後の予定を聞いてみる。
「少し海辺歩きますか。まだ時間大丈ですか?」
社長からの返事を待つ間は緊張でドクドクと心臓が音を立てる。
社長がこくりと頷く姿を確認すると一気に体の力が抜ける。
「少し散歩でもしましょうか。」
並んで海辺を歩き始める。
朝会った時は無言が気まずかったが、今はちっとも気まずくない。
この時間がずっと続いてくれればいいのにと幸せな気持ちに浸っていると、ねぇちゃんのパン屋が目に入ってくる。
何でこっちの方向に歩いてきたのかと自分を攻めてみるものの、どうしもないのでやり過ごそうと歩くスピードを速める。
「ここのパン屋さん美味しいんですよ。特にクロワッサン。入りましょうよ。」
まさか社長がねぇちゃんのパン屋に行っているとは思ってもいなかったので驚いてしまう。
「俺、お腹いっぱいなので、遠慮しておきます。」
そもそも今日は旬と出かけると言っていたのに、社長が旬に見えるわけながい。
ここでお店に入って、ねぇちゃんに社長と一緒のところを見られたら何を言われれるか分からない。
嫌がる俺の腕を社長が掴んで店に入っていく。
幸いなことに店には誰もいなかったので、見つかる前に店を出ようと急いでドアに向かう。
「あれっ、洋平じゃない。珍しい。結婚式のことで何かあった?」
一番聞きたくない人の声が耳に入る。
「ごめんなさい。お連れ様がいたのね。」
振り返るとニタニタした顔のねぇちゃんが目に飛び込んでくる。
余計なことを言うなという意味も込めて、ねぇちゃんを睨みつける。
ここでねぇちゃんのことを紹介した方がいいのか、いきなり家族を紹介されても社長は困るだけだよな、とか色々考えていると思わぬ言葉が耳に飛び込んできた。
「すみません。急用を思い出して。今日はありがとうございました。」
驚いて社長の方を見ると、俺の方を見ることもなくドアを開けて外に出てしまった。
さっきまで楽しい雰囲気だったのに、何が起きたのか分からず急いで社長の後を追う。
直ぐに追いついて社長の腕を掴む。
「ちょっと待って。急用って何?」
社長の腕を掴んで、自分の方に体を向けると社長が泣いている。
ねぇちゃんと会ったことがそんなにまずかったか。
というか、ねぇちゃんだと紹介する前に社長は店から飛び出したから、何に泣いているのかさっぱり分からない。
俺が気付かないうちに社長に何かしてしまったのか不安にもなる。
まさか体調がおかしくて辛いんだろうか。
混乱する頭のまま社長に訳を聞くしかなかった。
「どうしたの。なんか俺悪いことした?どっか痛い?」
社長の顔を覗き込むと、社長の腕を掴んでいた手を振りほどかれる。
「婚約者がいるのに勘違いするようなことしないでよ。裏で私のこと笑ってたんでしょ。馬鹿にしないでよ。」
涙でぐちゃぐちゃになった社長が俺のことを睨みつけている。
婚約者なんていないし、裏で社長のことを笑っていたこともない。
益々頭が混乱してくる。
「ちょっと待って。婚約者って?」
俺の返答に対して、更に声を荒げる社長。
「さっきの綺麗な人が婚約者でしょ。もう誤魔化さなくていいよ。マスターからも話を聞いてるし、何回も2人でいるのを見たんだから。」
マスターが誰かも分からない。
しかもなんでねぇちゃんが俺の婚約者になるんだ。
もう何が何だか分からない。
「マスターって??俺の婚約者が姉貴?」
俺の言葉に社長は益々顔を歪める。
「姉貴なわけないでしょ。姉貴と結婚する奴がどこにいるのよ。」
見たこともないほどに社長が取り乱している。
涙はとめどなく社長の頬を伝っている。
そんな社長を目の前にして、気付いたら社長を抱きしめていた。
抱き締めた腕の中で社長がもがくも、小さい子をあやすように優しく背中を擦る。
「ちょっと落ち着いて。ほんとにあれは姉貴なんだって。義理の兄がパン屋の店長で来月結婚するんだよ。2人で店をやってるから、結婚式の打ち合わせに2人揃っていけないから、時々俺が代わりに行ってただけなんだよ。」
腕の中にいる社長のぬくもりを一度知ってしまったら、離せなくなってしまう。
振られてもいいから、この勢いで告白してしまおう。
お願いだから俺の気持ちを受け止めてと心の中で祈りながら、高鳴る胸を落ち着かせるために深呼吸をする。
「ねぇ、俺が誰が好きか教えてあげようか。」
俺の言葉に腕の中にいる社長の体が固くなるのが分かる。
「いい聞きたくない。何で私にわざわざ言うのよ。放して。」
このタイミングを逃したら、一生告白できないとだろう。
想いをぶちまけるかのように言葉を社長に投げる。
「俺が好きなのは社長だよ。高梨凛が好きなんだよ。」
心臓がはちきれるかと思うほどに激しく鼓動する。
腕の中で暴れていた社長の動きが止まる。
「えっ。」
腕の中にいる社長と目が合う。
断られたくなくて、もう一度俺の気持ちを社長に伝える。
「こんな風に言うつもりじゃなかったんだけど。俺が好きなのは社長だから勘違いしないで。」
「そんなこと急に言われても。」
これは断られる前台詞なのだろうか。
社長の目から次々と涙が溢れてきて、頬が涙で濡れていく。
もう泣いて欲しくないし、断っても欲しくない。
もう一度社長に伝える。
お願いだから断らないでくれと想いを込めて。
「俺と付き合ってくれない?」
どんどん社長の目から涙が溢れてくる。
俺の気持ちに対して肯定なのか否定なのか分からない。
心臓が大きく鼓動し、息をするのも苦しくなってくる。
急に腕の中にいる社長が俺の体をぎゅっと抱き締めてきた。
社長の体温がより感じられる。
これは俺の気持ちを受け止めてくれた返事なのだろうか。
もう自分自身を止めることはできない。
抱き締めた社長の体を離して、涙でぐしゃぐしゃの社長の顔に近寄る。
唇にも社長の体温を感じる。
嬉しくて俺も涙が溢れてきた。
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