第9話 約束
岩嶋春のせいでとんだ一日となった昨日はとうに過ぎて、ポップアップ2日目を迎えていた。
昨日の一件のせいで、社長に合す顔がなく朝からとにかく避けまくっている。
ありがたいことにお客様は次から次へとやってくるので、休む間もなく接客をしていて、社長と顔を合わさずに済んでいる。
お昼に差し掛かり少し客足が落ち着いてきてしまったので、このままだと社長と顔を合わせそうだ。
一旦休憩に入ろうと近くにいる人に声をかけて、バックヤードへ向かう。
昨日旬にメッセージを返し忘れたと思い、スマホで返事を打っていると、コーヒーを差し出す手が視線に入る。
顔を上げると、今朝から避けまくっていた社長が目の前にいる。
一気に心臓が跳ねあがる。
「今日も順調な客足ね。」
昨日は何もなかったかのように普通に話しかけてくる社長に対し、俺は間違いなく挙動不審になる自信がある。
恥ずかしい姿をさらす前にこの場を立ち去ろうと腰を上げる。
「ちょうど今、客足が落ち着いてるから、少し休んでから戻っても大丈夫ですよ。今来たばかりですよね。」
社長の言葉にこのままこの場を離れると、明らかに避けていることが分ってしまうだろうと思い、苦渋の決断の末、もう一度腰を下ろす。
何もしゃべっていないのに、社長はクスリと笑うと冗談めかして話し始める。
「昨日は折角ケーキを食べる機会を誰かさんのせいで台無しになってしまいました。私、無類のケーキ好きなんです。ケーキを食べるために頑張ってたのに。」
まさか社長から昨日の話題をふられるとは思ってもいなかったので、動揺してしまう。
「それは本当に申し訳ありませんでした。」
「春にお店の名前すら聞いてないから、確認しないと。」
社長からあの男の名前が出てくると、どうにも我慢できなくなる。
「あいつと2人で会うのは止めた方がいいですよ。気があるのかと勘違いされますよ。」
傷つくかもしれないが、社長に復縁する気があるのか探ってみる。
社長の回答が何か、心臓がバクバク音を立てる。
「じゃぁ、相馬さんが埋め合わせしてくれる。春とは行かないから。」
思ってもいない回答で、驚いてしまう。
驚きの余り何も言えないでいると、社長が慌てて続ける。
「食事じゃなくてもいいです。ポップアップが終わった翌日、みんな休みですよね。その日にサーフィンしに行きませんか。前に趣味がサーフィンって言ってましたよね。私もサーフィン好きなの。気分転換にどうですか?」
まさか社長から誘ってくれるとは思ってもいなかったので、嬉しさと驚きで心臓が爆音をたてる。
俺が返事をできずにいると、社長は何を思ったのか立ち上がって戻ろうとする。
このチャンスをふいにするわけにもいかず、慌てて戻ろうとする社長の手を掴む。
「それじゃぁ、朝6時に浦浜海岸で集合で。お先に失礼します。」
約束したことの嬉しさと、急に気恥ずかしくなり、この場にいられずフロアに戻る。
フロアに戻りながら、今起こったことを頭の中で整理する。
信じられないけど、社長と今プライベートで会う約束をしたようだ。
弾む心を胸にフロアに戻ると、直ぐ社長も戻ってきて目が合う。
目が合った途端、昨日の社長の言葉が思い出される。
食事に誘った時、社長はからかわれたかと思ったと言っていた。
さっきの約束を再確認しようと社長の近くに行き、すれ違い際に小声で社長に話しかける。
「さっきの約束本気ですから。忘れないで。」
これで約束を再確認することができたと安心して、近くにいたお客さんの相手をする。
この瞬間から約束の日が楽しみで、早くポップアップが終わればいいと何度も心の中で呟いていた。
そんな気持ちのまま、ポップアップ週間はどんどん過ぎていき、気付いてみればあっという間に終わってしまった。
蓋を開ければ、目標としていた数字をはるかに上回る数字で大成功を収めた。
社長と約束した日以降、忙しかったのと気恥ずかしくてまともに話す機会も無く、毎日が過ぎていった。
最終日の閉店後、全ての撤収作業を終えた後、社員に向けて社長から労いの言葉がかけられる。
「みなさん、ポップアップお疲れ様でした。目標以上の数字を達成することができて、みなさんには感謝しかありません。明日一日お休みですが、明後日からまた次に向けて頑張りましょう。お疲れ様でした。撤収!」
社長も話の後に、みんなそれぞれお疲れと言って帰って行く。
社長に目を向けると随分疲れた様子で荷物を運ぼうとしている。
「車まで運びます。」
労いの意味も込めて荷物を運ぶ。
荷物を社長の車まで運びながら、明日の約束を再度確認しなければ。
確認するだけなのに妙な緊張感が俺を支配する。
車まではお互い無言だった。
「お疲れさまでした。荷物ありがとうございます。」
社長が俺から荷物を受け取ると、トランクにしまう。
ここで明日の約束を確認しないと、機会を逃す。
またすっぽかされたら立ち直れないだろうから、意を決して確認する。
「明日の約束覚えてますよね。遅れないでくださいね。」
一瞬社長の動きが止まったので、明日の約束は俺の勘違いだったのかと背中が冷たくなる。
「相馬さんこそ、早いので寝坊しないで下さいね。」
社長の答えを聞いて、ほっとして思わず笑みがこぼれる。
「俺も朝は得意ですので。それでは、また明日。」
これで安心して家に帰れると足取り軽く、車に向かう。
車に乗った途端、内ポケットに入れてていた携帯が着信を知らせる。
着信相手を見ると旬だった。
まるで俺の行動を監視しているかのようなタイミングに苦笑いが零れる。
「はいはい。何か用?」
「何かようじゃないだろ。岩嶋の情報聞くだけ聞いて、無視するなよ。何があったんだよ。」
旬の言葉に返信するのをすっかり忘れていたことに気付く。
それほど余裕がなかった自分に呆れてしまう。
「ごめんごめん。とにかく忙しかったんだよ。今日は残業?」
「残業の予定だったけど、残業辞める。久々に飲みにいかない?」
「俺も飯誘うとしてた。だけど、明日は朝早いから俺は飲まない。」
「明日って?仕事か?」
「仕事じゃない。後で話すわ。いつもの店でいいか?」
「OK。先に着いたら飲んで待ってるわ。」
そう言うと旬は電話を切った。
そうと決まれば行き先を家からいつもの店に変更する。
急いで行っても、やはり旬の方が先にお店に着いていた。
宣言通り先に飲んでいる。
「お待たせ。」
「おう。なんか忙しそうだな。明日も朝早くから何すんだよ。」
「今日までポップアップだったからな。明日は彼女と海へいく。」
「へっ??!!」
旬のまぬけな声に笑いが込み上げる。
「変な声だすなよ。俺も注文するわ。」
「おいおい、話を逸らすなよ。彼女と付き合ってるのか?なんで岩嶋のこと聞いてきたんだよ。」
「腹が減ってるから、先に注文させて。」
注文している間も旬がしつこく聞いてくる。
ようやく注文を終えると、メニューから顔を上げる。
「彼女とは付き合ってない。あくまで社長と秘書の関係。それに彼女は俺に気があるそぶりを一切しないから脈無しだ。」
「じゃぁ何で明日一緒に海に行くんだよ。」
旬の問いかけにポップアップで岩嶋が現れたところから、今日の帰りに至るまで洗いざらいに話す。
こんな話をしてるなんて、まるで女子会のようだなと段々可笑しくなってもくる。
「おいおい、お前に気があるんじゃないか?そうじゃなかったら誘わないだろ、普通。」
全て話終えた後の旬の反応に少し嬉しくなる。
「そうだけど、俺が仕掛けても全く反応しないんだよな。むしろ嫌がられてるような。受け取り方によってはセクハラになるかもしれん。」
自分で言っておきながら、その事実に愕然とする。
「嫌だったら二人きりで出かけるなんて誘わないわ。明日告白しろよ。」
「ダメだった時、一緒に働くことに耐えられないわ。脈ありならまだしも、全くそんな感じないし。」
「俺の経験によると、明日ランチ用といって手作り弁当を持ってきたら、間違いなくお前の事好きだから告白しろ。」
「明日お昼はダメなんだよな。姉貴の結婚式の打ち合わせについて行かないといけないから。義兄が店番だから。かったるいけどしょうがない。」
「それはないだろ。一日デートしろよ。」
「そうしたいけど、姉貴と義兄が怖いからな。しかも社長はかなりお疲れだから、午前中で帰してあげないと。」
「お前もったいないことするな。とにかく、手作り弁当持ってきたら告白しろ。」
「朝6時に待ち合わせだぞ。そんな朝早くに弁当なんか作ってる余裕ないだろ。」
「だからこそ、弁当持ってきたらお前のことが間違いなく好きってことだよ。たとえ持ってこなくても、それは朝早かっただけだから、落ち込むな。」
「持ってくる訳ないだろ。それに彼女が俺のこと好きなんて120%ないから。」
自分を否定して悲しくなってくる。
「そんな弱気でどうするんだ。とにかく誘われた時点でお前は嫌われてない。明日は強気でいけ。」
単純に明日社長と出かけるのが楽しみだったが、旬と話したことで余計なことを気にそうだ。
運ばれてきた料理を食べながら、旬に会うんじゃなかったと後悔する。
注文した料理を全て食べ終え、早々に旬と別れる。
分かれ際、旬がしつこく言ってくる。
「明日、彼女に告白しろよ。お前は機会を逃し続けてきたんだから、ここで勝負しろよ。報告待ってる。」
「分かった分かった。また連絡するわ。」
適当に返事をして旬と別れる。
家に着いたら、手早くシャワーを浴びる。
スマホの目覚まし時計を5時にセットして、早々にベッドに潜り込む。
旬に会う前まではそんな気一切なかったが、旬のせいで明日社長に告白するべきか悩んでしまう。
悶々とした気分のまま夢の世界に旅立った。
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