第16話 はじめての合唱!
長い淡い夢を見ました。しぃちゃんとはじめて出会った頃のことです。夢のイメージはあまりに儚くて、
生涯の親友。けれど一秒だってわたしはしぃちゃんの手を
『半ば忘られぬる古き物語の如く、
初恋も始ての友情も諸共に立ち現る』(注:ファウスト)
いきなり寝覚めました。覚醒発作とも呼ぶべき残念さです。わたしからパスを通して
久しぶりにポエムを書こうと思いたちました。わたしはペンと紙を曳きずって、束の間のドキドキ文芸部ごっこに興じます。はて、一語引き、一語書いたところで手が止まりました。
もし将来アイドルになったら、自分たちで作詞・作曲して曲を発表することもあるのでしょうか。そしたらいま書こうとしているこのポエミィも、いつか歌になって全国に発信される日を見るかもしれません。
→ 結論。ルーズリーフをビリビリに破り捨てました。どうせ考えすぎです。でも、やっぱりそんな結末にあたいするポエムはわたしは書けません。気を取り直して別のことに取り掛かるとしましょう。
最近は定期的にレッスン場へと通っています。というか合唱コンクールまでは毎日、声出しと歌の練習です。やっぱり独唱は失敗してはまずいと気がつきました。なんたって独唱です、しかも口パク禁止の生歌。ダンスがないのだけましです。本番、上手くいくとよいのですが……。
米
その日行われた市立◯◯中学校の合唱コンクールに、スマイリーMのマネージャー傘山とエシックプロの代表・
プログラムでは1~3年生まで各学年の全クラスが競い合う。日ごろの練習成果の発表。マヤの出番は開会から数十分後である。
思い思いに選定された定番の合唱曲が歌い継がれる中で、どれもみな独唱部分がアレンジとして採り入れられていた。この学校の伝統か、はたまた番組関係者が無理矢理ねじ込んだルールかは言うまでもない。
「あ、次ですね」
傘山がそれとなく聞こえるように呟いた。矢来は懐からオペラグラスを取り出す。
2年2組。課題曲は誰もがよく知っているもの。雛壇の中心に、控えるようにマヤという少女は立っていた。黒髪ロングストレートの
なにやらプロモーション番組が高い視聴率(ここでは評価数 / 視聴者数 の値をこう表している)を叩き出した立役者らしいと、マヤについて矢来はそう認識していた。たしかに見映えはよかったが、そこまで光るものがあるのかと彼は懐疑的にオペラグラスを通してすがめる。
歌が始まった。
「なるほど、なるほど」
しばらく独り言でうなずくように合唱を聞いて、
彼の手からオペラグラスが凍ったように滑り落ちた。
この合唱コンクールが開催された日と前後して、丁度インターネット配信でひきこもり少女マヤがスマイリーMと一緒にカラオケへ行く回が公開された。構成からしてスマイリーMの歌唱シーンを全面に押し出す演出だったが、マヤの歌っているシーンもあった。マヤは声出しを許可していなかったのだが、さすがに歌のすべてを編集するとなると場面の趣旨がいちじるしく損なわれるため、音声スタッフの独断で歌っているところは生声のまま乗せることとなった。
多くの視聴者はこのときマヤの声をはじめて聴いた。彼女の歌う『蘇州夜曲』に類を見ない大反響が寄せられたことは、いわゆる「エクセルシオール計画」がのち強く
米
「あっ、これは矢来社長! いらっしゃったんですか」
午前の
「うん。しっかり撮ったかね」
背広を羽織り直して、パイプ椅子をよけながら矢来は尋ねた。
「もちろんですとも! この後、どこかでご予定でも?」
扇もまた一旦収録を終え、昼休憩を取る直前だった。
「そりゃそうだがね。なに時間はすこしあるよ」
と矢来は応じる。
「でしたら一緒に食事なんてどうですか。あっ、でどうでしたかマヤちゃんは?」
すると矢来は左手でオーケーサインをつくった。満足げな表情に、隣で傘山も胸をなでおろしている。
「ほほお、こりゃ、アイドルデビューは決まったようなものですな、社長。ははは」
「嗚呼。番組の方は任せたよ。さて、行くか」
ひょっと振り返り、背中を見せて去っていく矢来。扇はその姿が小さくなるまでお辞儀をして見送った。やりとりが終わると、扇はため息ひとつついてあたりを見渡した。
生徒たちの雑踏、保護者たちのざわめきに混じって、へこへこして媚びる自分に対して嘲笑の声でもきこえてきやしないかと耳を尖らせてみたが、むなしいだけだ。その空間は完全に、どこかの公立中学校の合唱コンクールの合間であり、扇の存在はいないもののように扱われていた。
「まあいいや。午後からも審査員の仕事がんばるとするか~」
と扇は肩で伸びをしながら独り言をつぶやいた。
やがて午後の表彰式では、2年2組が全審査員一致の金賞を飾って優勝した。
米
それから一週間後のこと。興味本位かは定かでないが、「もっとマヤを出せ」「マヤの歌声を聴かせろ」などの意見がマヤのカラオケを視聴したユーザーから届きはじめていた。
しかし、マヤとは連絡がとれず、レッスンにも学校にも来ていない状態がもうかれこれ数日間も続いていた。行方不明にでもなったというならば事件だが、目立った動きもなく、ただ再びひきこもったに違いないだけだった。
プロデューサーは
「どうしよ、マヤちゃんまた引きこもっちゃった!」
とあたふたするナナ。
「どうしてだろうね。合唱大会は大成功で、全体優勝のトロフィー貰ったってきいたけど。あとナナ落ち着け」
たしなめるアイコ。
「私たち見に行けなかったわね。もしかしたらそれで……」
と杞憂するキリエ。
「ただの体調不良で、風邪みたいなのにかかっちゃった可能性ない?」
と推測するアカリ。
「コロナですかっ!?!?」
びっくりして訊くキリエに
「そこまでは言ってない!」
とアカリはむきに反論した。
「とにかく行ってみよ! たとえそうだって、そのときは防護服つけて側にいてあげればいいよ」
ナナは断乎とした態度で言い切った。どこまで本気かわからないところがナナの侮れない点である。一同は先に立って駆け出すナナを見失わないよう早足で追随していった。
( 新編につづく)
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