第15話 はじめてのボイトレ!
初ダンスレッスンが終了しました。わたしは汗でしとどになって床に倒れ伏します。たった一時間。といえ全力でキツすぎました。
「マヤちゃんはまず基礎体力を戻そうね。一日に何回かこれをやってみて。ダイエットにもなるから」
そうして鞍原さんから特訓メニューの書かれた紙を渡されます。
「始めはシンドイかもしれないけど、サボったらどんどん辛くなると思っておこたらないこと。できるかな?」
「……肝に銘じます」
トレーナーの鞍原さんはわたしの見立てでは言いたいことをはっきりと言うサバサバ女子です。スマイリーMたちにもレッスン中ばしばしと改善点を指摘していました。わたしに対して少しあからさまに優しいのは、ひきこもりだったわたしに気遣ってのことか、もはやアドバイスしようにも直しようがない状態なのかもしれません。
「……体力がないんです。わたくしにはダンスなんて向いてないです」
わたしは弱音を吐きました。「弱音ハク」ってボーカロイド、いそうですね。
「自信を持って? 14歳の若さ、ナメないでよね、体力だって身体だってこれから作られていくんだから。やればやるほど成長するのよ。むしろダンスなんて全然関係なく、すべての活動の為にトレーニングは大切よ!?」
鞍原さんから激励されました。わかります。わたしはひとえに努力がしたくないとか、ダイエットがしたくないという訳ではないのです。ただアイドルになりたくないだけで。
「さあ! マヤちゃんはここで終わりだけど、残りのレッスンはきっちり続けるわよ!!」
「「「はい!!!」」」
うってかわって鞍原さんがスマイリーMを奮い立たせます。
「じゃあ終わったらまた会おうね~~!!」
とナナさん。大きく手を振ってくれました。あれほど軽やかに、楽しそうにレッスンを受けられるまでにどれほどの積み重ねを要するでしょう。羨ましかったです。どれほどの陶酔、アイドルへのどれほどの強い動機付けが今ここへナナさんを導いたのか。たとえわたしとは少々考え方が違っていても、みていて悪いものではありません。
誰もがそんな風に生きられる分けでは無いんですけどね。
そのあとナナさんの「終わったらまた会おうね」という言葉を半ば無視して、わたしはスタジオから抜け出しました。時間がなくて帰りたかったので。かくもわたしは日陰者です。
米
ある日の、さる土曜日のことです。朝の特訓メニューをこなして1Fへ降りていくと、出会いがしら母がわたしに伝達しました。
「そういえば、あんた宛に郵便局留めの荷物が届いてるの知ってる?」
「どんな?」
わたしはすぐさま聞き返しました。母上様はこう答えます。
「たしか……番組を見たひとからのファンレターやプレゼントの内で、あんた宛のものをチェックして纏めて送ってくれたって。テレビ局の方に感謝しなさいね」
わたしは扇ディレクターの顔を思い浮かべ、残念ながら感謝の念は湧いてきません。無感動に吐き捨てました。
「取りに行って」
ところが、です。
「お母さんね、きょうは美容院に行かなくちゃいけないの。しかも郵便の受取期限は今日まで。お願いね?」
「どうして……」
「だってあんた宛てに送られたプレゼントでしょうが。手紙がほとんどだって聞いたけど、ほらもしかすると贈り物もあるかもしれないわよ、PS5とか」
その言葉にわたしは反射的に即答しました。
「取りに行ってきます!」
と。こうしてわたしは郵便局〒までトットコ駆けてゆくことになったのです。
米
郵便局の窓口で、呆れて立ち尽くしていました。受け付けのお姉さんと一緒に。
「あの……持って帰れます?」
ひとつひとつの箱がかなり重そうなダンボール、それが
こんなにファンレターや贈り物が大漁なんて、夢想だにしませんでした。だって、いままで一通も受け取ったことはなく、ネットの反応にも
それにしたって、常識的におかしいです。ただのひきこもりですよ、褒めるにつけ貶すにつけ、ここまでの熱意をもってする価値なんてないはずです。世論の正気を疑います。
その実、ひとかどの有名人になったかのようで気分がよかったのはヒミツです。
いつまでもおめでたい気分に浸っていないで、さて運ぶのはどうしよう、と考え困り果てていると、キリエさんとアカリさんに偶然出くわしました。
「あらあら、奇遇で」
「やっほ~」
アカリさんに右腕を、キリエさんに左腕を掴まれてサンドイッチ状態になります。
「大丈夫? 荷物、困ってるなら車に載せていく?」
アカリさんの申し出にはたいへん助かりましたが、わたしはそのまま当然の権利のように都心のレッスンスタジオまで連行されてゆきました。スメルシュに逮捕されるモスクワ市民のように。
バタン
車輌の中にはアイコさんとナナさんもいました。つまりこれは何時かあったこと、完全なるデジャヴュです。
「ごめんね~急に拉致して」
と笑顔でテヘるナナさん。圧巻のテヘり。テヘラン事件も真っ青です。
「ほんとですよ! トレーニングだったら、あれから自主的にやってるので心配しないでください」
これはいちおう真実でした。健康の為にやっています。
「きょうはボイストレーニングだよ。合唱大会が近いでしょ? だから自主練のつもりでやろうよ」
とはアイコさん。といいつつも、裏ではわたしをアイドルに仕立てあげようとしている心胆です。でも、土台まかりなりませんよ。もしちょっとでも大変でキツかったり、結果が伴わなかったりしたら、わたしはすべてを諦めてしまうことが目に見えています(既にちょっとキツいです)。
米
ボイストレーニングは防音室で、アイコさんとふたりきりで行われました。
「え、なぜですか?」
「しょ、しょうがないよ。チューターの
アイコさんからおもはゆそうに社内事情を説明されます。なんでもアイコさんたちに歌唱の基礎を叩き込んだカリスマ的な指導者がエシプロには在籍しているらしいのですが、気づけばめっきりレアキャラになってしまって、最近では姿を見つけることが難しいそうです。
「なるほど」
運がよければ、そのうちレッスンを付けてもらいたいものですね。
アイコさんがわたしにこう言いました。
「というわけであたしが先生役ね。それよりも、合唱大会ではマヤちゃん独りで歌うパートがあるって聞いたよ。緊張に弱そうだけど、大丈夫?」
「たしかにそうです。大丈夫じゃありません」
「いや、しっかりしなきゃだよ!」
いいツッコミでした。アイコさんは慌てて、とあることをわたしに伝授してくださいました。大舞台でも緊張しない魔法のようなものです。きっとコンサートの直前とかにアイドルが重宝するのでしょう。
「いい、まずこうやって手のひらを合わせるの……手の中でオーラを循環させるイメージをつくって――」
オーラって何なのでしょうか?
「――。はい、やってみて」
はあ。アイコさんに薦められるまま、わたしは魔法の行使を試みました。てのひらを合わせて――
「……いま緊張していないので、効果があったか分かりません」
わたしは実直にそう報告しました。”しかしなにもおこらなかった” です。
「普通の状態じゃ、落ち着かせる効果があるのか分からないよね」
そういってアイコさんはこちらの方へ近づくと、いきなりわたしのことをぎゅっと抱きしめました。
「ななな何するんですかっ!?」
「ドキドキした? じゃあもう一度試してみて」
なるほど。これはちょっとした生体実験がおこなわれましたね。
「…………はい、たしかに気分が和らぐ気がします」
即物的に考察すると、掌と掌が触れ合っている時点ですこし安心できます。ほんの気休め程度しかはたらきませんが、要するにこれをルーチン化すればよいわけです。
アイコさんが言ったことに、
「本番でも忘れないでね。……今から教える基礎さえ身につければ、ぶっちゃけマヤちゃんは緊張がなかったら何も心配ないから。ナナと違って音感もあるし、声もめちゃ透き通って綺麗だよ」
と太鼓判します。「音感がある」というのは、一度企画でいっしょにカラオケに行ったからわかるのでしょうか? あのときわたしは一曲しか歌いませんでした。けど、アイコさんはよく聴いていたようです。
「はやく同じステージで歌いたいね」
満面の期待感を押し出して、全身からきらきらと陽電荷のオーラを溢すアイコさん。えくぼをみせて屈託なく笑います。
「ソウデスネ」
わたしは社交辞令を坊主読みしました。
( はじめての合唱! につづく)
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