第3話 歌声を届けろ!

音――それは秒速340メートルで駆け抜ける弾丸です。音、そして歌。このふたつでひきこもりをなんとかしようとした例は古今めずらしくありません。

 日本神話の天岩戸伝説は、悲しみにくれて天岩戸にとじこもったアマテラス大御神おおみかみ天鈿女命アマノウズメという神様のおかしな踊りとそのにぎやかさにつられて出てしまう、というオチです。

在ペルー日本大使公邸占拠事件では、大使公邸へ人質と共に立てこもった犯人グループに向けて嫌がらせとして大音量で軍歌が流されました。犯人たちはノイローゼになり、またその音でカモフラージュして体制側は地下トンネルを掘ったそうです。




『負けないで~♪ 努力は絶対に実るよ~♪♪ 頑張りだけが人生を切り開く道~♪ 思い描く明日を引き寄せろ~♪』(120dB)


 ……これは天岩戸作戦と意気込んでいるに違いありません、むこうは。ひきこもっているわたしの部屋のすぐ近くでアイドルが流行ソングメドレー58曲を歌い切るなんて、マジキチ企画。誰が考えたか知りたいです。こっちは立てこもり事件の犯人に見立てられたようでアルティメット心穏やかではありません。




『あなたを変える7つの習慣~♪ その2~♪♪ 終わりを思い描くことからはじめよう~♬』(110dB)


……


『フレンドリーファイアー♪フレンドリファイアー♪~~あなたのせなかを見定めて~~♪』(140dB)


dB(デシベル)についての説明は不要ですね?

軋む床、揺れ動く壁。衝き抜ける低音。万有の真相、唯一言にしてつくす いわく『うるさすぎ』と。

それにしてもです。なぜ先がないとわかっているのに、立てこもり犯たちは立てこもりを続けるのでしょうか?

逃走用の車を用意して貰いましょうか。


                    米


わたしの名は甘ヶ崎 真夜マヤ。血液型はA型。おとめ座。人生の酸いも甘いもなめ尽くし、苦渋に満ちた日々を知り、それなりに充実した暮らしをするガールです。

自称ひきこもりです。中学校は不登校。世の中にはひきこもりを無理やり部屋の外へと引きずり出し、自立を促す「引き出し屋」というおそろしいサービスがあるそうです。

 わたしの家にもある日おそろしい引き出し屋がやってきました。ただしそれはアイドルグループでした。歌って踊れる(たぶん孵らない)アイドルの卵、スマイリーMです。「ひきこもり少女を救え!」という企画を毎週15分、ネット上のTVチャンネルにて放送される番組「アイドルの突撃!チャレンジ街道」の内容にするそうです。

 一昔前までひきこもりは社会問題、ひきこもりというだけで流行の最先端を行くスターみたいな扱いだったのに、ひどいものですね。いまや悪ガキに見つかったヤドカリもかくやと引き出されます(注:「悪ガキに見つかったヤドカリでも、こんなに引き出されるものだろうか」の意)。


 わたしはおひきこもりさまですが、そこまで気合の入ったひきこもりではありません。お風呂やトイレには部屋を出ますし、食事はリビングでとることもありますし、あげくコンビニへ外出したりします(ハーゲンダッツを買います)。

 このことについてはまじめに謝罪いたします。わたしはsensu stricto(狭い意味)のひきこもりではありません。でもお風呂にもトイレにも出ないひきこもりなんて、歴史上のエリザベート・バートリ(注:超サディストの重罪人。晩年は窓もドアもない部屋に監禁されていた)くらいしか知りませんけどね。

とはいえタイトル詐欺になりかねないのであらためて謝罪させていただきます。


                    米


 時系列は、寄せ書きをもらった日の夕方。ひと仕事終えたわたしはお風呂に入ろうと階下へ降りていきました。父はまだ帰っておらず、母はお勝手でお夜食の準備をしています。少し前まで騒がしかったアレな企画の撮影班はもうすっかり撤収していて、家はいつものような住居の平穏を取り戻した……はずでした。


「あっ」


廊下で湯上がり姿の木下アイコと遭遇エンカしました。ジャージの下にTシャツのような上着で、ほかほかと湯気を発生させてます。いまにも冷蔵庫をあけて冷たい牛乳を取り出し、「ぷはー」とか言いながら鯨飲しはじめそうな勢いでした。というか、たぶんその道中です。普段着でもさすがアイドルというのはオーラが違うものですね、まずその存在感といいますか――何でいるのですか、うちに!?


「お風呂いただいたよ」


お風呂を盗まれました。むう。


「……あの」


「あ。あたし住所なくてさ。ごめんねーあつかましいことしちゃって。明日は必ず別の場所、行くから」


真顔で。どころか笑みさえ差しながら余裕でそんなことをおっしゃりました。”住所がない”ということは、つまり”食う寝るところに住むところ”が決まっていないというわけです。女子高生で。


「そんなの拾われちゃうじゃないですか!」


キケン!

 アイコさんは答えました。


「今日はあなたのお母さんに拾ってもらったね。へへ。心配しないで、いつもは事務所で寝てるし。あとはバイト先とかに泊めてもらってるから。マヤちゃんが気にしてるようなことは、いままで全然なかったよ」


でもアイドルなら可能性を生み出しただけでアウトなのでは!? 令和の家なき子ことアイコさんはそのままキッチンへと向かい、冷蔵庫をあけて冷たい牛乳を取り出し、「ぷはー」とか言いながら鯨飲しはじめました。急速に温度が冷えて、彼女を覆っていた湯気がしぼんでゆきます。


「やっぱりお風呂上がりは牛乳だよね」


「はあ」


落ち着いて論点を整理しました。まず、住所がないとひきこもれないと思います。これはあまり恵まれない状況と言えそうです。そしてわたしは恵まれていますから、アイコさんを何泊でもこの家に迎えるのは望まれることですし、わが両親の許すことならいつまでだってそうしたいです。


「ううん、ありがたいけど。断るよ。だってこの家は甘ヶ崎さんたちのものだから。あたしは”よその子”だから」


申し出ると、そんな胸が締め付けられること、まるで当たり前みたいに言われました。もしもわたしに心があったら、いまのひとことで粉砕されていてもおかしくはありません。危なかったです。


「それよりごめんねマヤちゃん。いきなりでビックリしたよね。嫌だよね、突然外に出ろ、学校に行け、なんて知らないお姉さんから言われて。ふざけんなって思うでしょ」


「いいえ、撮影ですから、わたくしはそこまで……」


「じゃあ学校に行ってれるの!?」


わたしの手を取り、ぱっとアイコさんの目の色が輝きますが、自分でも驚くほど言下に斬り捨てました。


「そんなことは」


「はぁ。そっか……。あたしね、歌が好きなんだ」


「はい。プロフィールでそのように拝見しました」


「そう」と頷いてからアイコさんは語り始めます。


「音楽の学校に、行きたかったんだよね。レッスン付けてくれるし、結構、夢叶ってるけど。でも学校の放課後みんなと一緒にカラオケ行ったり、合コンしたり、ハロウィンは渋谷で自動車燃やしたりさー!」


「自動車燃やしたかったんですか!?」


「ウソウソ。冗談。でも学校に行けるってことは、ものすごく素敵なことだと思うから。まだ間に合う内に……って思っちゃうと、心配で夜も眠れなくて」


「…………」


「いつもマヤちゃんのこと考えちゃう。仲間だから、味方だからね」


グッとくる台詞。もしもわたしに心があったら、彼女をやり過ごすのはなんと辛かったことでしょう。


そしてこの日を境に、アイコさんがときどきうちに泊まりに来るようになったのでした。


                    米


『フレンドリーファイアー♪フレンドリーファイア♪~~あなたのせなかを見定めて~~♪』(140dB)


 時刻を現在に戻して、爆音が鳴り響きます。音波は炸薬の衝撃波にくらべて破壊力は少ないですが、壁扉を透過するのです。もちろん耳栓なんてこのレベルには貫通無効です。

 音源ソースはアイドルの歌うポップソングのはずなのに、部屋に襲ってくるのは溢れんばかりの”響きと怒り”。精神はともかくもう鼓膜が物理的にたえられないです。こうなったら、少し予定を早めてもらうしかありません。

震える部屋の中で倒れそうな洋服スタンドを押さえながらフタッフにコールを掛けました。


「もしもし扇さん!? わたくしが扉の外へ出ていくのは40曲目ぐらいの手はずでしたよね!?」


「そうだね」


扇ディレクターは涼しげにうなずきました。


「いま何曲目か教えていただけますか!?」


「3曲目だね」


「まきませんか!?」


まくというのはテレビ用語で、撮影を予定より早く終わらせるという意味です。まきますか、まきませんか。


「うーん」


悪い大人に渋られます。


「8曲くらい歌ったらもういいでしょう!?」


「うーん。それじゃスマイリーMちゃんの疲れ切った表情が撮れないよ」


なんで40曲も歌わないと疲れ切らないんですか!? フィジカルの化物ですか!?


「でも扇さん!? 疲れ切った演技をするよう指示すればいいだけの話ですよね!?」


「それじゃあ演技感でちゃうよ~彼女たちに。ヤラセになっちゃうもん」


扇ディレクターは首を縦に振ろうとしません。


「それなら40曲目ぐらいになるまで待ってって言われたのもヤラセですよね!? いますぐ出ていきたいんですよ部屋から!? それがわたくしのリアルですよ!?」


バックうるさすぎて一生絶叫しています。たぶん、70dBくらい出ていれば良いかな……。


「あーじゃあ彼女たちに確認取る。 うんしばらく続けたいって。そろそろいいか? ってジェスチャーしたら、首振って『もっと歌いたいんです!』って…」


「ならせ゛め゛て゛音量をどうにかできま゛せん゛!?!?!?!?」


「了解でーす」


…………



その後の記憶がほとんどありません。やっと部屋から出られた頃には、困憊しきってほとんど意識は飛んでいました。なにやらすごく感動的な場面が撮れた気がします。やりきった表情の若いアイドルガールたち。堅牢な心をひらいてとうとう部屋からあらわれ出てきてくれたわたし。やっと部屋から出ていくことが出来たわたし。音響作戦の終了。雲の切れ間からのぼる神々しい太陽のカットと若々しい歓声。スタッフ一同の拍手。


そうしてわたしはリーダーのナナさんに肩を抱えられながら、特設ステージへと引き上げられたのです。救急病院ではなく。


「よかったあ! 成功だ~。やっぱりアイコのアイデアが正解だったね」


「―――へ?」


わたしが呆気にとられていると、ナナさんは続けました。


「あたし歌ヘタだからちょっと恥ずかしかったけど、アイコがこうしようっていったから!!」


「アイコさんの発案……?」


ステージの上には全身汗だくになったアイコさん。わたしとその目を合わせると、ビシッとサムズアップして爽やかな笑顔をつくります。わたしの目には、地獄の戦場を駆け抜けた英雄のようでした。


『いつもマヤちゃんのこと考えてるから。仲間だから、味方だからね』


味方だからといっていつでも守護者になるとは限りません。フレンドリーファイア、戦場では仲間に背中から撃ち抜かれることもあるのです。味方砲火フレンドリファイア。そうして気付かされることも世の中にはあるのです。

世の中ってほんとうにクソですね。


わたしがアイコさんを嫌いになったかはともかく、140dBのフレンドリーファイアというスマイリーMのデビュー曲にはトラウマが植え付けられました。


(4話 外に連れ出せ! へと続く)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る