第24話 趣味だから
「森本さん! こっちです!」
俺の声に気がついた森本さんが、手を上げてこちらに走ってくる。
しかし、俺たちの五メートルほど手前で速度を緩め、最終的には歩いて近づいてきた。
俺の体に隠れるようにして座っている愛娘に気がついたからだろう。
森本さんだって緊張しているのだ。
「すまない。待たせてしまって。こんなに早く来てくれていたとは思わなくて」
森本さんは、ジャケットのポケットから取り出したハンカチで額の汗を拭く。
「いえ。でも、どうしてそっちから?」
「そっち、とは?」
「だって入口は逆方向じゃないですか。向こうにはテニスコートくらいしかなかったかと」
「実はちょっと早く着きすぎてしまってね、ぶらぶら散歩していたんだ」
森本さんは苦笑いを浮かべる。
はやる気持ちを抑えることができなかったのだろう。
「そうだったんですね」
遊園地に行く前の子供みたいな森本さんを見て、なんだか少し空気が和んだ――俺がそう思っただけだった。
瀬能さんは少しだけ眉間にしわを寄せて、口をつぐんだままじっと自分の足元を見つめている。
「久しぶり、響子」
父の問いかけに、瀬能さんは反応するそぶりすら見せない。
あからさまに無視されて森本さんの目が少し泳いだが、それでもめげずに話しかけつづける。
「この前は、いきなり、悪かったな」
「……」
「父さん、こうして響子と会えて嬉しいよ」
「……はい。………………久しぶり、です」
瀬能さんはようやく顎を数ミリだけ引いた。
俺は、よかったぁ、とほっと胸をなでおろす。
森本さんも安心したようで、強張っていた両肩がすとんと落ちた。
「ありがとう。一緒のベンチに、座ってもいいかな?」
「……はい」
頷いた瀬能さんが、ちらりと俺を見上げる。
そう、だったな。
「すみません。俺が二人の間に座ってもいいですか?」
ものすごく聞きにくかった。
森本さんがショックを受けるのではないかと思ったのだ。
「ああ。構わないよ」
しかし、森本さんは顔色ひとつ変えずに快く了承してくれた。
瀬能さんの横に俺が座り、俺の横に森本さんが座る。
……。
…………。
………………。
って冷静に考えてなんだこの構図!
俺、どうしたらいいの!
「響子!」
「あ、あの!」
なにこの同時に名前呼ぶっていうラブコメにありがちな展開!
あなたたち親子ですよね?
だから息ぴったりなんですか?
「えっと、どうした、響子」
「ううん。そっちからどうぞ」
そうだよね、うんうん。
譲り合うまでがテンプレだもんね!
てかなんで俺の背中、汗でびちょびちょなの?
いつまでこの空気に耐えられるかなぁ!
「えっと、じゃあ、うん。見ない間に、すごく大きくなったなぁって思って」
「それは、まあ、お父さんたちが離婚してから、結構経ってるし」
「お父さん、たち……か」
森本さんがしみじみと呟く。
そうか。
両親のことを、お母さんたち、じゃなくてお父さんたち、と瀬能さんが言ったことが嬉しいのだ。
「えっと、お母さんは、元気か?」
「うん。元気」
「高校の勉強には、ついていけてるか?」
「うん。まだ最初だし」
「この前の朝ドラ、見てたか?」
「ううん。見てない」
ああもうだめだ!
なんだこのやり取り!
瀬能さんが会話のボールを全く投げ返そうとしていない。
一問一答じゃないんだよ!
「最近はまってるものとかあるのか?」
「えっと、料理とか?」
おっ! これはチャンスだ!
お弁当作ってきてるんだから!
「そっか。お母さん料理好きだったもんな。教えてもらってるのか?」
「うん。いまは家でほとんど私が作ってる」
「どんな料理作ってるんだ?」
「いろいろ」
「得意料理は?」
「ハンバーグとか? 全然うまくないけど」
「そっか。ハンバーグ、か」
「うん」
なんだこの、親から強制されたお見合いの空気感は!
俺お見合いしたことないけども!
ちなみに瀬能さんがいま言った『全然うまくない』は、上手くないと美味くないをかけているんですか当然違いますよね失礼しました!
「あの、森本さん」
もう我慢の限界だった。
極力二人で会話してもらおうと思っていたが、このまま二人に任せていたら仲よくなる前に地球が氷河期に突入してしまう。
「どうしたんだい? 辻星くん?」
「はい。実は瀬能さん、森本さんのためにおべ」
「あっ!」
瀬能さんがいきなり叫んだので、何事かと振り返る。
「自分で、その、言うから……」
俺にだけ聞こえるような小さな声で瀬能さんは宣言する。
そうだよな。
俺が邪魔することではなかった。
「響子? 震えてるけど、体調でも悪いのかい?」
「ううん。違うの」
瀬能さんは首を横に振りながら、バスケットの持ち手を掴んで、
「えっと、実はこれを今日作ってきてて、料理趣味だから!」
ぱかり、と開けた。
最後だけ叫ぶように言うなんて、その部分だけうそだって言ってるようなもんだからな。
でもナイスガッツ、瀬能さん。
「え、これ……響子が?」
バスケットの中には、青、ピンク、黄色の蓋がついた可愛らしいタッパーが入っていた。
そのタッパーの中にはおいしそうなサンドウィッチが詰められている。
「うん。料理趣味だから。サンドウィッチ作ってきて……料理趣味だから」
「ありがとう! 響子!」
森本さんの顔がぱあっと輝く。
ま、眩しくて失明しそうだぁ。
本当はそんなわけないけど、それくらい輝いているってことです、はい。
「父さん。緊張で朝からなにも食べてなくて、お腹空いてたんだよ」
「そっか。だったら、作ってきてよかった」
父の笑顔を見た瀬能さんも、ようやく表情を綻ばせた。
「私、料理趣味だから、本当に、それで、作ってきて、よかった」
うん、わかったから、料理が趣味だってもう言わなくていいよ。
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