第23話 防御壁

 公園へと歩いている間、俺は瀬能さんの横顔と手をちらちらと見ていた。


 当然だけど、瀬能さんの手に触れることはできない。


 この手を取ったら怒られるだろうか、みたいなレベルに到達していない俺たちの関係性がひどく恨めしい。


 瀬能さんは、お父さんと会うということで緊張しているのか、歩き方がぎこちなかった。


 いつもより歩くスピードは遅く、歩幅も狭い。


 そんな彼女の隣の歩くのは大変だったが、俺は瀬能さんに合わせてゆっくりと歩いた。


 それくらいしか、できることはないと思ったから。


 公園内は、ジョギングをする人や犬の散歩をする人たち、家族連れですでににぎわっていた。


 駅南公園のシンボルとなっている大きな噴水のそばにあるベンチが待ち合わせ場所なので、真っすぐそこへ向かう。


 あそこなら人通りも多いので、万が一のことがあってもすぐに助けを求められる。


「さすがに早く来すぎたかな。俺たち」

「たしかに、ちょっと早いかもね」


 約束の時間まで、まだ一時間以上ある。


 ん? 待てよ?


 さっきすれ違った人たちからすれば、俺たちは公園デートを楽しむカップルに見えている、ってことでいいんだよな?


 そう思うと途端に緊張して、なにをしゃべっていいかわからなくなる。


 手もつなげない関係性なのに、なにひとりで妄想してひとりで照れてんだよ俺!


「でも、こうやってまったり歩くのも、なんかいいな」


 瀬能さんの不安を取り除いてあげたいとなんとか言葉を探したが、出てきたのは誰でも言えそうな言葉だった。


「そうだね。天気もいいし、なんだか落ち着く」

「な」


 瀬能さんの横顔をチラリと見る。


 お世辞にもリラックスしているようには見えない。


「ほんと落ち着くよなぁ。朝の公園って」


 意味のない言葉を繰り返すだけの自分が情けない。


 本当はその真っ白な手を握ってやりたいのに。


 それから、待ち合わせ場所のベンチまでは無言がつづいた。


 噴水の前には、詰めれば四人座れる焦げ茶色のアンティーク風ベンチが三つ並んでいる。


 一番右のベンチにはすでに家族連れが座っていたので、俺たちは一番左のベンチに向かった。


 俺が端に座ろうとすると、


「あ、待って」


 瀬能さんから呼び止められる。


「辻星くんが、真ん中に座って」

「え?」

「なんていうか、その、間に信頼できる人がいないと怖くて」

「そういうことね。わかった」


 瀬能さんの言う通り、真ん中に座ることにする。


 お父さんのためにお弁当を作ってみたり、かと思えばこうして怖がったり。


 信じたいけど信じられない。


 矛盾する感情を抱えた瀬能さんの苦しみが垣間見えた気がした。


「ありがとう、辻星くん」


 瀬能さんは、俺の右隣にちょこんと座る。


 握り拳二個分のスペースを開けて。


「いいって。それに警戒するのは当然だよ。今日ここに来ただけでも、ものすごい進歩だから」


 俺は瀬能さんとの間にある隙間に視線を落とす。


 この距離は、近いようでものすごく遠い。


 これが埋まらない限り、俺と瀬能さんとの関係性が進展することはないし、瀬能さん自身も前に進めない。


 とりあえずいまは、お父さんに対する防御壁として俺を使ってくれる、隣に座ってもいいよと信頼してくれている、その事実を誇らしく思おう。


「森本さんに着いたって連絡した方がいいかな? やっぱ早すぎるかな?」


 そう訊くと、瀬能さんは腕を組んで考え込む。


「連絡くらいならしてもいいんじゃない? お父さんも時間にゆとりを持つタイプだから」

「たしかに、森本さんは遅刻なんて絶対しなそうだ」


 上着のポケットに手を入れ、スマホを掴んで取り出そうとした時だった。


「あ……」

「どうしたの? もしかしてスマホ忘れた?」

「いや、そうじゃなくて……来た」

「来た?」

「ほら、あっち」


 瀬能さんは、俺がさっき見ていた方に顔を向ける。


 太ももの上に置いているバスケットが、わずかに上下した。


「……おと、お、お、とう、さん」


 上擦った声でそう言ってから、瀬能さんはマラソンを走り終えた後みたいに肩で息をし始める。


 瀬能さんの視線の先には、こちらに向かって歩いてくる森本さんがいるのだ。


 ベージュのパンツに黒のジャケット。


 爽やかさの中にダンディズムすら感じられる装いだ。


 スマホをちらちらと見ながら歩いており、たぶん俺たちには気づいていない。


 待ち合わせ時間よりはるかに早いから、俺たちがもう来ていると思っていないのだろう。


「落ち着いて。ほら、深呼吸」

「うん」


 すぅ、はぁ、すぅ、はぁ。


 彼女の息遣いを見ていると悔しさが込み上がってくる。


 唇が色を失っていた。


 本当は背中を優しくさすってやりたい。


 男性恐怖症だからそんなことできない。


「だいぶ落ち着いた。ありがとう」

「緊張するのは当然だから。いざとなったら俺がついてる」

「うん。そう思うと自信が湧いてきた」


 ぎこちない笑顔を見せた瀬能さんは、ぎゅっとバスケットの持ち手を握りしめる。


 俺は立ち上がって、森本さんに手を振った。

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