第12話 圧倒的な敗北
お弁当箱の蓋を閉じてから、胸の前で手を合わせる。
体が満足感でいっぱいだ。
「ふぅー。ごちそうさま」
「お粗末様でした」
「すごくおいしかったよ。お店出せるんじゃないかってくらい」
「もう、また大袈裟なこと言ってる」
口元に手を添えて笑う瀬能さんは、すごくリラックスしているように見える。
さっき、あれだけ緊張していたのがうそみたいだ。
俺が最初の一口を食べる時、瀬能さんは口をキュッとすぼめながら、じろじろと俺の口元を見てきた。
気になって瀬能さんの方を見ると、目をはっと見開いてから顔を逸らし、なにも気にしていませんよーって感じで、髪をもてあそび始めた。
だが、俺がまたお弁当に視線を戻すと、直ぐに俺の方を向いて、そわそわと体を左右に揺らしだすのだ。
その視線のせいで正直めっちゃ食べづらかったが、俺の「おいしい」の一言を聞いて、ようやく表情を緩めてくれた。
その瀬能さんの笑顔の可愛さたるや、額に入れて永久保存したいレベルだった。
モナリザの美しさなんか比べ物にならない。
「全然大袈裟じゃないって。本当においしかったんだから」
瀬能さんが否定した分だけ、俺は肯定の言葉を重ねる。
だって実際、俺の言葉にお世辞は一言も含まれていない。
彼女の作った玉子焼きはふわふわでちょうどいい甘さだったし、一口大のハンバーグは豆腐とおからでかさまししたと言っていたが、俺がこれまでに食べてきたどのハンバーグよりもジューシーだった。
なにかコツがあるのだろうか。
その他のおかずも冷めていたのに、いや冷めていたからこそうま味がぎゅっと洗練されていて、とてもおいしかった。
「だったらよかった。作ってきて」
「これなら毎日作ってほしいくらいだよ」
「……じゃあ、そうしてもいい、けど」
「え? 本当にいいの?」
「私は最初からそのつもりだったし、そんなに喜んでくれるなら、作り甲斐があるかなぁーって、感じです。はい」
瀬能さんは嬉しそうに頬を緩ませて、何度も小さくうなずいている。
だから神様、こんな幸せあってもいいの?
絶対に今日の帰り道は、重い荷物を持って歩くおばあちゃんがいたら助けてあげるし、ゴミが落ちているのを見つけたらすぐに拾うことにする。誰ひとりとして立ち止まらない中、それでも誰かに届くようにと夢を追いかけて路上ライブをしているミュージシャンがいたら、俺だけは立ち止まってその曲を聞いてあげることにする。
それくらいの善行を積み上げないと、神様だって満足しないだろう。
「それに昨日も言ったでしょ? 労力はたいして変わらないって」
「じゃあ、お言葉に甘えてもいい?」
「もちろん。……あ、でも、その代わりにと言いますか、ひとつだけお願いがあって」
「え? なに? なんでも聞くよ」
「ありがとう。……じゃあ、ね、えっと、ね……そのぉ…………」
急にもじもじとしだした瀬能さんは、えさを求める鯉のように、上目遣いで俺をいじらしく見つめながら口を開いては閉じてを繰り返し始めた。
……いや、鯉じゃないな。
瀬能さんを鯉に例えるなんてありえない、錦鯉でも……あれだってただ豪華なだけだから瀬能さんに失礼だ。
その考えは逆に鯉に対して失礼じゃないのかと言われたら反論できないが、すまない、鯉よ。
いまだけは我慢してくれ。
瀬能さんは、マーメイドだ。
……うん、俺キモいな。
えさを求める鯉すら、「この男キモすぎなんだけど」って寄りつかないまである。
俺がそんなしょうもないことを考えている間にようやく決心がついたのか、瀬能さんはちょっとだけ前のめりになって、髪を耳にかけながら唇を開く。
「えっとね、辻星くんにはね、私とずっと、こうして友達でいてほしいの」
彼女の真っ赤な唇から目が離せなくなる。
友達。
その言葉はすごく嬉しいが、なんだか少しだけ違和感があるというか、しこりみたいなものを心が感じていた。
友達、止まり……。
なんて言葉が頭をよぎっていく。
「……辻星くん?」
瀬能さんが、桃色に染まった頬はそのまま、きょとんしたと隙のある顔で俺を覗き込むように見ているのにようやく気づいた俺は、
「え、ええっ!」
情けない声を発しながらふっと我に返った。
体が熱い。
天使のマーメイドよ、その顔はあまりに刺激が強すぎるぜぇ。
天使のマーメイドってなに?
とりあえず、天空にいるのか海中にいるのかはっきりさせた方がいいかな。
「ちょっと、そんなに驚かなくてもいいじゃん。どうしたの? 顔赤いよ?」
「……いや、さっきからなんか日差しがやけに強くてさ。俺ってほら、暑がりだから」
なんかごまかし方おかしかった気がするけど、もうしょうがない。
「たしかに、ちょっと熱いもんね」
瀬能さんは、ふぅーっと息を吐きながら、顔を手で仰ぐ。
その姿は、控えめに言ってものすごく色っぽい。
俺が病気にかかっているだけか。
「……で、辻星くん。さっきの、その……友達でいてほしいっていうやつなんだけど」
瀬能さんが顔を伏せながらもう一度訊いてくる。
瀬能さんがこうして想いを伝えてくれているのだから、俺も恥ずかしいけど、それに真摯に応えなければいけない。
「それ、なんだけどさ」
「うん」
「俺からも逆にお願いしますっつーか」
「……え?」
「だから、俺も瀬能さんと、その……これからもずっと友達でいたいっつーか」
ごまかすように後頭部をかきながら、つとめて冷静を装って言った。
なにを誤魔化したのか、瀬能さんに伝わってほしいような、まだ伝わってほしくないような。
ああくそ。
ここで好きだと言えていたら、俺すげーカッケーのに。
でも、友達でいたいって言ってきた相手に告白したら、その瞬間、友情が壊れちゃう可能性の方が高い。
だったら、このままの関係性の方が、絶対いい。
順序は大事だ。
順序を大事にしすぎることは、大事じゃないとわかっているけど。
「ありがとう。私、これからも二人分、毎日お弁当作ってくるね」
瀬能さんは胸の前で手を合わせ、顔をキラッと輝かせた。
「こちらこそ。今後ともお昼はお世話になります――――でも」
瀬能さんの喜びに水を差すようなことをしてしまうのは忍びないが、これだけは言っておかなければいけない。
「……でも?」
瀬能さんが不安げに訊き返してくる。
心配しなくて大丈夫だよと、俺は破顔した。
「俺が友達だと思うのは、そういうことじゃないって、伝えときたくてさ」
「ん? そういうこと、って?」
「だからえっと、瀬能さんが毎日お弁当を作ってくれるから友達になるみたいな、契約的な感じじゃなくて、そういうのがなにもなくても瀬能さんと一緒にいたいから、普通に、当たり前な感じで友達でいたいって、そういうことだから」
「……」
ぽかんと口を開けている瀬能さんから目を離せず、結果として、俺たちはまた五秒ほど見つめ合っていた。
吹いてきた風が、俺の熱くなった体を覚ますどころか、その熱さがあるという事実を強調させてくる。
「あ、そういやこれ、お弁当箱」
俺はランチクロスで丁寧にお弁当箱を包み、彼女の前にそっと置いた。
「うん。あ、ありがとう」
それを瀬能さんが受け取って、自分のお弁当と共に鞄にしまう。
――そもそも手渡しできるようにならなきゃな。
友達以上とか、そういうのはきっとその後だ。
指が触れ合ってしまうのを防ぐため、面倒だが、俺たちは相手の目の前に置くという方法で物の受け渡しをしている。
本当は手渡ししたい。
というより、手を……その…………つなぎたい。
だけどその前に、まず改善しなきゃいけないのは瀬能さんの男性恐怖症だ。
彼女が男に触れるようになる。
そうならなければ、俺どうこうの話ではなく、単純にこれからの社会で生きにくい。
単純計算で人間の半分を占める男という存在とかかわらずに生きるなんて、どだい無理な話だから。
「そろそろ戻るか」
スマホで時間を確認すると、あと五分で昼休みも終了。
瀬能さんといる時間は過ぎるのが早い。
「そうだね。戻ろっか」
瀬能さんと一緒に立ち上がるが、どちらもなかなか動き出そうとしなかった。
もしかして、瀬能さんも名残惜しさを瀬能さんも感じているのか?
「でも、楽しい時間ってほんと過ぎるの早いよね。私、もう少し辻星くんと話してたかったなぁ」
瀬能さんが俺を見てにこりとはにかむ。
ああ、嬉しさが体に染み渡るぅ。
「その理論でいくと、同じクラスだったら暇な授業も早く感じるかもな」
「私は授業中に誰かと話すようなような不真面目じゃありませんけど」
「俺だって、授業中は一言も発さずに寝てるよ」
「不真面目に変わりないよそれ」
他愛もない会話をしつつ、二人で屋上を後にする。
扉を開けて、階段の踊り場に出て二歩進んだその時。
「結局俺は、ただの噛ませ犬だったってことか」
後ろから声がした。
振り返ると、扉の横で、死闘を繰り広げた後のボクサーみたいにぐでんと座っている桐原くんがいた。
「そういうキャラじゃねぇんだけどなぁ」
鋭い舌打ちが聞こえ、瀬能さんが俺の後ろに隠れる。
「俺は、お前らの仲を深めただけかよ。ほんと俺……最低だわ。完敗だわ。初めての敗北が、こんな冴えないやつだなんて」
「辻星くんは、冴えないやつじゃない、です」
俺は瀬能さんの方を振り返っていた。
瀬能さんは、怯えながらも桐原くんを睨みつけている。
その視線を追って再度桐原くんを見ると、桐原くんは茫然とした顔を浮かべていた。
「辻星くんは、誰がなんと言おうと、素敵な人です」
「けっ、冴えなかったのはずっと俺の方かよ」
桐原くんは、一瞬だけ下唇を噛んでから、険しかった表情をすっと緩めた。
なぜか知らないけど、彼が見せた力の抜けた顔は、どこか満足げに見えた。
「瀬能にそんな顔させるなんてな。そりゃそうだ。やっぱ完敗だ。辻星、お前はすげぇ。瀬能が辻星を選んだ理由がよくわかったわ。お前ら、すげぇお似合いのカップルじゃねぇの」
「か、カップルじゃないから!」
俺が即座に否定すると、桐原くんは意外そうな顔をする。
「え? そうなの?」
「と、友達だよ!」
「いや、そんなに反射的に焦ったらさ、もうみとめ…………ま、いいや。あーおかしい」
桐原くんは、俺を見てなぜかケラケラと笑いはじめた。
「でも……ここまでの絆を見せられると、逆に清々しいな。大完敗して大発見だわ」
気だるげに背伸びをしながら俺たちの横を通り過ぎていく桐原くん。
すれ違いざまに見た彼の横顔は、やっぱり満足そうだった。
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