第11話 信じあえる
今日も屋上で瀬能さんと二人きりの、レッツランチタイム!
……なんて思っても楽しくなれない。
昨日の今頃は、今日のこの瞬間が楽しみでたまらなかったはずなのに。
万引き。
痴漢冤罪。
援助交際。
桐原くんからそんなことを聞かされて、平常心を保てという方がおかしい。
瀬能さんのことを信じたい気持ちと、信じるのが怖い、裏切られるのは嫌だという気持ちが、心の中でぐちゃぐちゃに混ざり合っている。
「辻星くん。はい、これ」
瀬能さんが俺の前に、緑のランチクロスで包んだお弁当箱を置いてくれる。
震えている指先や、ぎこちない言葉の節々から不安や緊張が感じ取れた。
「ありがとう。大変だったんじゃない?」
その弁当箱を見つめながら、なんとか言葉を絞り出す。
瀬能さんの手作り弁当だひゃっほーい! あ、でもここは冷静に振舞わないと……とバカみたいな男子高校生ムーブではしゃげたらどれだけよかっただろう。
俺は、瀬能さんに騙されているのではないか?
そんな猜疑心をほんのちょっぴりでも感じてしまう自分が、瀬能さんのことを信じられない自分が、本当に憎らしい。
「そんなことないよ。だって昨日、作るって約束したから」
瀬能さんの頬は、ほんのりと赤く染まっている。
こちらをちらりと見て目を逸らし、右耳に髪をかけた。
自分のお弁当には一切手をつける気配がない。
「じゃあ……食べて、いい?」
「聞かなくても、それは辻星くんの分だよ」
「そうだよね。いただきます」
「いただいてください」
しゅるりとランチクロスの結び目をほどくと、黒のお弁当箱が出てきた。
俺の心の中と同じ色だ。
蓋を外そうとして、手をかぶせたその時、
「……ど、どうしたの? 辻星くん」
どぎまぎした瀬能さんの声が聞こえてきた。
「どうした、って?」
「だって、泣いてる、から……」
「え?」
自分の頬に手を添えると、指先が濡れた。
途端に視界がにじんでいく。
目の奥が熱くなったと思ったら、さらにその奥の方、脳の真ん中あたりからつんとした痛みを感じた。
「こんな、なんで、俺……」
腕で何度拭っても涙が止まらない。
それどころか、喉が締めつけられているかのように苦しくなって、息がうまくできなくなる。
「おかしい、なんで俺……泣いて」
視界の端に、瀬能さんが俺の肩に手を乗せようとしている姿が映った。
しかし、俺に触れる直前で指先がビクンと波打ち、小刻みに震え始め、やがて彼女はその手を引っ込めてしまう。
つづけて悔しそうに唇を噛んで、膝の上で手をぎゅっと握りしめる。
「私のお弁当、食べたく、なかった?」
「そうじゃない。そうじゃないんだ」
「気を遣わないでいいよ。正直に言ってくれていいから」
「本当に違うんだ。……ただ俺は、俺は」
瀬能さんはいつだって俺のことを励まそうと、元気づけようとしてくれているのに。
こんなにも俺のためを思ってくれる瀬能さんのことを、ただのクラスメイトに言われた言葉に惑わされて、信じることができないでいるなんて。
「俺はただ!」
「ごめんなさい!」
突然、俺の声をかき消すほどの大声で瀬能さんが叫んだ。
「えっ。せ、瀬能さん?」
なにがなんだかわからないまま瀬能さんを見ると、目から涙がこぼれていた。
その透明な涙が、彼女の震えるこぶしの上にぽたぽたと落ちていく。
要するに、理由はわからないけど、瀬能さんを俺が泣かせてしまったってことだ。
「どうして瀬能さんが謝るんだよ」
先に謝りたいのは、謝りたかったのは、謝らなければいけなかったのは俺の方だったのに。
「瀬能さんが謝る必要なんかなにもないのに! そうやってまた自分を卑下して! 謝らなきゃならなかったのは俺の方だったのに!」
「だって、私が、辻星くんにそんな顔させたから」
「俺だって瀬能さんにそんな苦しそうな顔をさせて!」
「でも私、あなたのこと信じきれなくて、いまもこうやって変な空気にさせちゃって」
「……え?」
俺の心の中を占めている「信じきれない」という言葉を、瀬能さんが使うとは思わなかった。
「私は辻星くんを信じたい、信じなきゃって思ってるのに、桐原くんに言われたことが頭をよぎると不安になって、信じられなくて」
「…………え?」
冷水を頭にかけられたみたいに、すんと冷静さを取り戻す。
高ぶっていた感情が、いつの間にかどこかに消えさっていた。
瀬能さんも俺と同じ気持ちだって?
桐原くんは瀬能さんにもなにか言ったの?
そもそもなんで俺は瀬能さんと言い合いしてんだよ。
「私は、辻星くんと一緒に過ごしてきて、辻星くんはすごく優しいって知ってるのに、なのに私は」
「ちょっと待って。桐原くんってどういうこと?」
「実は、昨日……」
それから瀬能さんは、昨日俺と別れた後に起こった出来事を語ってくれた。
瀬能さんも桐原くんから、俺がかつて二股、三股をかけていたクソ野郎であったこと、俺がいいカモを見つけたと周囲に言いふらしていること、を聞かされたらしい。
「桐原くんが、そんなことを」
そんなの、完全なでっち上げだ。
俺がそんなことをするはずがない。
でも、男性に対する不信感を持っている瀬能さんからすれば、その言葉たちはすごく怖いものに思えただろう。
「だから私、その時、桐原くんに言ったの。あなたの言葉より、私は辻星くんのことを信じたいって」
それでも、瀬能さんは桐原くんに俺と同じ言葉を言ってくれた。
今日こうして俺と会ってくれた。
その行動にどれだけの勇気が必要なのか、俺にだって簡単に理解できる。
瀬能さんは、桐原くんだけでなく、自分の中の男性を恐怖する心にも立ち向かってくれたのだ。
「でも、私はあの場ではそう言ったけど、辻星くんを信じるとは言い切れなくて、ただの願望で、いまだって桐原くんの言葉に動揺してぎこちなくなって、辻星くんのこと信じられなかった自分が許せなくって」
「お弁当」
瀬能さんに安心してもらうため、浮かべた笑顔にできうる限り喜びの感情を集めた。
彼女の震えている肩に手を置けないことが、ひどくもどかしい。
「俺のために作ってくれたじゃん。それは俺のことを信じてくれたなによりの証でしょ?」
瀬能さんも桐原くんのうそに惑わされ、悩んで、苦しんでいた。
俺と同じ気持ちだった。
だけど瀬能さんは、それでも俺のために行動してくれた。
ぐちゃぐちゃな気持ちの中でも、きちんと約束を果たしてくれた。
その気持ちがとても嬉しくて。
とても悔しい。
俺はなにもできなかったから。
疑いつづけるだけだったから。
「それは、だって辻星くんと約束したから」
俺の前に置かれてある黒のお弁当箱をチラリと見た瀬能さんは、涙を拭いながらつづける。
「お弁当持ってこなかったら、私のせいで辻星くんがお昼抜きになっちゃうから」
「たしかにそれは困るな」
ちょっと瀬能さん、律儀すぎんだろ。
その理由を聞けて、なんかほっこりした。
「けどさ、瀬能さん。俺はどんな理由であれ、瀬能さんが俺を信じてお弁当を作ってくれたことがすごく嬉しいんだ。本当にありがとう」
目尻からこぼれ落ちようとする最後の涙を拭うと、視界がようやくクリアになった。
今日ってこんなに空が青かったんだな。
こんなにいい天気の中だったら、互いに泣いているより、笑顔の方がいいと思うんだ。
笑っている瀬能さんの方が絶対に絵になると思うんだ。
「だから俺もさ、そうやって俺のことを考えてくれる瀬能さんのことを信じるよ。いや、信じられるって、いま確信した」
俺は桐原くんの言葉の呪縛からようやく解放された。
あんなクソみたいな言葉を信じるなんてありえない。
いまこうして俺のためにお弁当を作ってくれて、涙を流してくれる瀬能さんの方を信じないでどうするんだ。
誰かを信じることは、全然怖くなんかなかった。
むしろ、こうやって瀬能さんを信じられたことが、すごくすごく嬉しかった。
「瀬能さん」
「はい!」
背筋をピンと伸ばした瀬能さんとしっかりと向き合う。
「本当にごめん。実は俺もさ、昨日桐原くんに、瀬能さんのうその話聞かされて」
「え、そうなの?」
「それで、いまのいままで瀬能さんのこと、疑ってた」
俺も正直に、昨日あったことを話した。
「でもいまは信じられる。瀬能さんのこと。だって他の誰かの言葉より、目の前の瀬能さんの方が真実に決まってるから」
「私も。やっぱり自分で見て感じた辻星くんの方が正しかった。それを信じていいんだって、信じられるって、いまは思う」
瀬能さんは涙を指で拭いながら笑う。
そのきらきらと輝く笑顔が、いまこの瞬間は俺だけのものだって思うのは傲慢だろうか。
人を信じることに対する恐怖は、もうない。
俺は、誰かと信じ合えるという最高の幸せを、人間らしい生き方を、またひとつ瀬能さんのおかげで手に入れることができた。
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