第29話 ブチ切れた
「そんなことくらい、魔術師だって考えてるだろ──、っ!」
宿屋が怒りの声をあげた次の瞬間、
「くそっ」
召喚師が指を組み直す。しかしそれより蜥蜴は速かった。
大きく開いた口から炎が飛び出そうとしたその時に──すっ転ぶまでは。
「……うわ、小学生男子みたい」
仕掛けた私が、あまりに綺麗な転びっぷりに驚いた。
魔術師捕縛に使うためのロープで、蜥蜴の足を引っかけただけなのだが……まさか、ここまで綺麗に決まるとは思っていなかった。ロープは砕け散ったが、やむを得ない。
「セコいが助かった」
召喚師に言われて、私は苦笑いする。
「ちょうどいい。今、約束の時間になった!」
その言葉と同時に、戸口が音をたてて壊れる。それは、どっと流れこんできた水によるものだった。
「水だと!?」
「この屋敷の中は空気で満ちてる。入ってくるはずが──」
事情を知らない召喚師と料理人がうろたえている。
そう。普通は入らない。水を操れる相手が、無理矢理送り込みでもしない限り。
水に混じって、青緑の鱗が流れこんできた。あの人嫌いがどうやって祖父の申し出を受けたのか、想像してみるとちょっと面白い。
「お、溺れる──」
怖がる料理人の横を、水がかすめる。水は蛇のようにうねり、蜥蜴の周りをうずまいた。
「前座としては」
「よくやった」
それに続いて、入り口からどっと冷気が吹き込んできた。強烈な冷気にあてられて、水がみるみる氷になっていく。全身を氷で封じられた蜥蜴が、苦悶の声をあげた。
「炎を操るお前には、冷気はさぞきつかろう」
「少々我慢してもらうぞ、魔術師に背いた罰だ」
「わーい、火蜥蜴の爪がとれるー」
続いて、味方がやってきた。一名は通常運行だが、精霊の加入は実に頼もしい。
「連絡がとれないはずじゃなかったのか?」
召喚師が顔をしかめると、宿屋がにやっと笑った。
「相手の本拠地に乗り込むんだ。通信を邪魔されるのなんて想定内よ。俺の家にだってトラップがあるんだからな」
「ああ、そうだった……」
思い出したのか、料理人が嫌そうな顔になった。
「だから俺は食い下がった」
前線の生死を左右する通信が使えなくなった時のことは、もっとよく考えるべきだ。集まりの時に、宿屋はそう主張した。
「君がそう言い出すと思ってたよ。だから『普通は』って言ったんだからね」
祖父は、その主張を笑って受け入れる。
「地図以外になにか案があるのかい?」
「忍び込んだ隊と一定時間連絡が取れなくなったら、切り込み隊は無条件で突入する。そういう手はずにしておくのはどうだ」
「そりゃ、ないない」
医者が呆れた様子で手を振った。
「戦力を確保できてない状態で、全員捕まりに行こうってのか。今度こそ本格的に、奴隷にされるぞ」
『しかし、彼が言うことにも一理ある。人質が増えた状態で、我々が今までの生活をすることに意味はあるのか? 何もかも知ってなお、口をつぐんでいて胸が痛まないか?』
「……そうは言ってないが」
宿屋を人質にとられたところを想像したのか、医者は頭をかいた。
「そうじゃな。住人が自分に従わないとわかったら、怪物を使って恐怖政治をされるかもしれん。最初からチャンスなど、この一度しかないのだ」
職人がため息をついた。それで、話は決まった。
私は得意そうな宿屋の顔を、再び感謝をこめて見た。言い出してくれてよかった。これで、本格的な反撃が始まる。
「思ってたよりいい状況じゃない? 人質になる一歩手前ってとこだったけど」
かわいそうな蜥蜴の爪を削り終わったアイテム屋が、嬉しそうに戻ってきた。ホール中央に集合した一同の顔を見て、彼女は口を開く。
「召喚師、元気そうじゃない」
「お前は元気を通り越して不快だな。俺がやった召喚獣も、ちゃんと相手してないだろう」
「そんなことないですうー」
召喚師が確かめるようにこちらを見てきた。
「確かに、一回も見たことない」
「裏切り者──ッ!」
事実なんだから仕方無い。
「ちゃんと頼るときはあるわよ! ──こういう時にね!」
アイテム屋に言われて、はっとした。精霊たちと騎士が、敵を警戒するように前に出ている。
屋敷の天井がうねり、鬼のようにつりあがった黒い目と、大きくつり上がった口が現れた。口からしきりに、真っ黒な液体がしたたり落ちてくる。
「出てこい!」
いつの間にか水晶球を手にしていたアイテム屋が叫ぶ。大きな鷲が現れ、風で落ちてくる液体を吹き飛ばした。
飛沫が床に当たると、じゅっと嫌な音をたてた。どうやら、落ちてきているのは強い酸らしい。丈夫なのか、うろうろしている騎士の鎧には損害がなかった。
「あー、よかった出てきてくれて。アイテムとってきてって言っても、三回に一回くらいしか来ないんだもん」
「それは『くだらないことで呼ぶな』と言われているのでは」
「正解。君とは気が合いそうだ」
「こちらこそどうも」
私と召喚師が握手しているのを、アイテム屋が憎々しげに見た。
「なあ、精霊たちのところまで風が届いてないぞ。どうするの?」
料理人が一番常識人らしい反応をみせる。
「半死人とは違う。熱で無ければ我らは死なん」
「が、鬱陶しいからさっさと片付けろ」
精霊はぼたぼた垂れる黒い水をはらいながら、アイテム屋を見た。
「分かった分かった!」
アイテム屋は鷲に顔を向けた。
「どうせ直すの魔術師だし! 好きにやっちゃって!」
アイテム屋が発破をかけると、鷲は翼をより大きく動かす。空気の塊が三日月状になって、天井の顔へと飛んでいった。
天井にヒビが入り、断末魔の叫びが響く。声と共に顔も消え、黒い水が落ちてくることもなくなった。
「見事」
「へへーん! これで攻撃も終わりかな?」
「そんなわけないだろ?」
アイテム屋に答えたのは、忘れようもない男の声だった。黒いマントをまとって歩いてくるその男は、想像していた以上に若くて小さい。
「よくも騙してくれたな、偽物」
「お前のための料理なんか、もう作るもんか!」
召喚師と料理人が怒鳴る。現れたのは、魔術師だった。
彼が顔をあげる。四角い顔に極端に細い眉毛、何かに怯えるように忙しなく瞳が動いていた。
「あれ?」
私は魔術師の声は知っていても、顔は見ていない。それなのに何故か、彼の顔には見覚えがある。──どこかで会ったのか?
私が考えている間に、魔術師は両手を広げた。
「何を言っている。本物も偽物もない。先代は死んだ。だから僕が次代になった、それだけのことだ」
「死んだ? お前が殺した、の間違いだろうが」
召喚師が吐き捨てた。
「殺すつもりはなかった。力を試し合って、劣っていた先代が死んだんだ」
偽物はしゃあしゃあと言って、私に視線を向けてきた。
「……君は新入りなのに見込みがあると思っていたんだけどな。後継者の話、もう忘れてしまったのかな?」
忘れてなどいるものか。私は怒りをたぎらせながら、首を横に振った。
「そうか、それは良かった。ここの誰かに色々吹き込まれたんだろうけど、それは全て嘘だよ」
魔術師が笑った。ろくに歯医者に通っていないことが明白な、ぼろぼろの乱ぐい歯が見えて悲しくなる。
「僕は戦いたくないんだ。君がみんなとの仲立ちになってくれないかな? 誤解さえとければ、今まで通り楽しく暮らせるようになるよ」
微笑む魔術師に見えないところで、アイテム屋が私になにかを手渡してきた。表面がすべすべしている。
「そうですか」
「分かってくれたかな?」
「──分かるかボケエ!!」
私は手にしたものを、魔術師に向かって思いっきり投げた。幸運なことに、それは相手の鼻筋にもろに当たって床に落ち、転がっていく。
「……アイテム屋。ちなみに、私が今投げたものは何?」
「召喚獣の水晶」
「貴様アアアアア──!!」
微笑むアイテム屋の横で、召喚師がマジ切れしていた。よく見ると鷲が消えている。……鷲も怒って帰ったんだろうな。
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