第28話 ピンチになった
「この先の廊下、右方向に二体の使い魔。一旦、ビリヤード室に隠れてやり過ごしましょう」
画家の言葉を受けて、服屋の糸が動き出す。糸が示した部屋に、私たちは足を踏み入れた。
「ここまできたら……あと……ひと息……」
画家の言葉に、急にノイズが入った。声が弱々しくなり、何かしゃべっているのは分かるが、具体的な内容がつかめない。
「魔……は……き……」
必死で喋っている気配は感じるのだが、肝心なところが分からない。
「仕方無い、こっちだけでやろう。万が一の時の手順を確認しておくぞ」
万が一というのは魔術師(偽)と出くわしてしまった時のことである。
「相手にガードを固められたら、勝ち目は薄い。先手必勝、だったね」
「俺が煙幕で目をくらますから、その間にお前が」
「このロープで捕縛」
精霊にもらった品、二品目。放りさえすれば持ち主の意のままに動くという便利な品だ。縛っていつまでもつかは分からないが、逃げ出す時間くらいは稼げるはずだと言われている。
「よし、行くぞ」
そっと部屋の扉を開けていく。このエリアはさっきの使用人室と違って、煌々と明かりがついていた。
すると、ピンクの内装の寝室に、小太りの男が座っているのが見えた。
「料理人!」
部屋に入ろうとすると、扉に恐ろしい顔が浮かぶ。しかし宿屋がなんの躊躇も無く手斧をたたきこんだため、すぐに元の扉に戻った。宿屋、思い切りが良すぎて頼もしい。
部屋に入った宿屋を認めて、料理人は目を丸くした。彼は茶色い髪を短く切りそろえた中年男性で、丸い鼻とつき出したお腹が、いかにも美味しい物を作りそうな風情をかもし出している。
「宿屋! ……と、誰?」
料理人が目を丸くした。ますます、部屋にまたあった招き猫に似てくる。しかし同じ招き猫が何体いるんだろうか、この屋敷。
「新入りだ。魔術師に頼まれて、一緒にお前を助けに来た」
それだけで全てを察したように、料理人の顔がぱっと明るくなった。
「本当か? この先の温室に、召喚師も閉じ込められてるんだ。あいつも助けてやってくれよ」
「もちろん」
「料理人、偽物の魔術師がどこにいるか知らんか? 非戦闘員のお前ならともかく、召喚師の奪還は全力で邪魔してくるはずだが」
それを聞くと、料理人は得意げに胸を張った。
「だったら今しかないな。あいつ、姿消しのマントを羽織ってどっかへ出かけたぜ」
「本当に!?」
「なんだったかな、どっかに放ってた使い魔が誰かにボコボコにされて助けを求めてきたみたいで、現状を確かめに行くって……」
「わあ……」
思わぬ収穫だった。こんな結果になるのなら、逃げ回った甲斐があったというものだ。
「では、今のうちに一気にいくぞ」
「はい……」
私はこの時になって、また背筋が寒くなった。さっきと同じ感覚。なんなんだ、この奇妙な感じは。
しかしそれをうまく説明できないまま、宿屋と料理人に急かされて部屋を出た。
温室と聞けば、硝子張りで外の光がさんさんと差し込むイメージだったが、魔術師のそれにはびっしりと黒い蔦が生い茂り、完全に陽光を遮断していた。
蔦はさらに部屋の中央で絡まり合い、頑丈そうな檻を作っている。大人が数人入れそうなその中に、男が目を閉じて正座していた。
「召喚師って……人間じゃなかったのか」
男は緑の髪に青い目、抜けるような白い肌をしていた。そして最も特徴的なのが、肩幅近くもある長い耳。ファンタジーでよくある、エルフの造形である。宿屋と並ぶと、まさにエルフとドワーフの再現だ。
「ああ、お前は知らなかったか。おい、無事か召喚師」
宿屋が声をかけると、召喚師は身じろぎと共に目を開いた。
「……宿……屋……?」
まばたきと共に現状を認識すると、召喚師はがばっと身を乗り出した。
「私は、捕まっているのだな!?」
言うまでもないことを、召喚師は必死になって聞いてきた。どうやらずっと眠らされていたらしい。
「そうだけど……」
「なんということだ。約束が三十件もあったのに、全てすっぽかしてしまった!」
召喚師は頭を抱えてうめいた。
「想像してたタイプと、だいぶ違うな……」
もっと軽い遊び人だと思っていたのに、苦悩している姿はまるでエリートサラリーマンのようだ。
「済んだことは仕方無いだろう。今逃げ出さないと、謝罪の機会もなくなるぞ」
宿屋に言われて、召喚師はようやく顔を上げた。
「こいつを切るから、ちょっと下がってろ」
宿屋の斧が、再び動いた。その斬撃は、蔦の檻をあっさり食い破る。
「すまない。この借りは返す」
頭をかきながら出てくる召喚師を見て、料理人が歓声をあげた。
「元気そうだな。戦力が足りてないんだ、さっさと参戦してもらうぞ」
宿屋に言われて、召喚師は苦笑いした。
「分かった。私を助けるだけではなく、それ以上のことをしようとしているのだな」
「察しが良くて何よりだ。さて、画家たちに連絡を取らないと」
「さっき通信が使えた場所まで戻るしかないね」
そう言って私たちは温室をあとにし、メインホールまで戻ってきた。
「ん、おかしいな……」
「どうしたんだ?」
「さっきはここなら通信できたはずなのに、反応がない。それに、さすがにここに使い魔が一体もいないってのはおかしいな……」
そうつぶやいた途端、私は不意に気付いてしまった。
「あ」
さっきからしきりにしていた、不吉な予感の正体に。
「待って、まずいことになった」
「なに?」
「偽物の魔術師は外出なんかしてない。私たちの動向を、ずっと見てるはずだ」
「どうしてそう言い切れる?」
「招き猫。蒸留室と寝室にあったよね。入った時は左手を上げてたから、右肘の黒い染みが見えた。でも、出るときには猫が妙に白かった。それはきっと、右手の方を上げていて、染みがこっちから見えなくなったから」
「それが侵入者感知の合図だと!?」
「可能性はあるな」
本当に私は、バカだ。何故、あの時もっとよく調べなかった。
「とにかく逃げて──」
私が言い終わるより先に、ホールの扉が粉々に吹き飛んだ。破片に混じって炎が噴き出す。それを放っていたのは全身真っ赤な蜥蜴で、今にもホールに乱入しようとしていた。
「通信は!?」
「ダメだ、まだ通じん!!」
宿屋が素早く手斧を構え、前傾姿勢をとる。転がって炎をかわし、蜥蜴に切りつけた。
「炎がホールを覆い尽くしてない。あまり強い種族ではないが、油断するなよ!!」
召喚師がそう叫び、指で印を結ぶ。すると、白い鎧をまとった騎士が現れた。私の身長の倍はある騎士は蜥蜴と向かい合い、その鋭い爪を剣で受け入れる。
「出てこい!」
私も、加勢のために犬を呼び出した。犬は吠えまわり、蜥蜴に向かって火球を投げつける。しかし蜥蜴の外皮は、あっさりそれをはね返した。
「ウーッ」
犬が悔しげに唸った。
「効かないなら邪魔にならないよう、こっちへ!」
さっさと現実的な判断を下して、私は部屋を見回した。宿屋と騎士が前線を引き受け、召喚師がその後ろに陣取っている。彼は、また新たに蝶の召喚獣を呼んでいた。
蝶の羽根からは細かい粉が出ていて、私たちにかかる火の粉をいなしてくれている。ただ、料理人はそれでも怖いのか、大きな柱時計にしがみついてガタガタ震えていた。
「こいつをどかせ!」
「わかってるよ!」
入り口付近に陣取っている蜥蜴をなんとか移動させようと、宿屋と召喚師は挑発を繰り返した。しかし蜥蜴も自分の仕事をよく理解していて、入り口から頑として動こうとしない。
「それなら……」
入り口ひとつにこだわっているから、どこにも行けないように感じてしまうのだ。一旦屋敷の奥に戻って、どこかの窓から外に出ればいい。
私はそう思って、そろそろとホールの奥へ移動する。ノブに手がかかりそうになった時、不意に扉がものすごい勢いで閉まった。
「うわっ!」
閉まった扉は、がっちり固定されていた。
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