第27話 名乗った

「信じたいとは思ってますよ。……ただ、なかなか吹っ切るのが難しくて」


 だから、いつまでもとってつけたような敬語が抜けない。アイテム屋はそれを見抜いてつっかかってきたが、バレても私は鎧を脱ぐことができなかった。


「君には力があるよ。壁を動かしてた能力、無意識に魔術を使ってるからね、あれ。君は攻撃より再構成──守りの方が得意だろうけど。みんなそれを知ってる。でも君を利用しようとはしなかったろ?」

「……そうでしょうか」

「こりゃ病が重いね」

「必死になったら、そういう疑念を忘れられる時もあるんですけどね。──今回もそうできるか、どうか」

「できるよ。一度出来たことは、そう簡単に忘れないものさ」


 善意で言ってくれた言葉であることはわかった。しかし、私にはあまり染みない。


 魔術師にも拒否の雰囲気が伝わったらしく、苦笑いをされた。


「……じゃあ、こうも言おうか。常夜明人とこよの あきとくん」


 いきなり本名を言われて、私はすくみあがった。その名前は捨ててきたはずだ。誰にも教えていない。私の脳内を覗いたのだろうか?


「なんで知ってるかって顔してるね。そりゃ、僕が君の祖父だからさ」

「は?」


 私は全ての感情を忘れ、一瞬あっけにとられた。


「記憶がないのは無理ないよ。僕がここに来たのは、君が生まれる前だから」

「嘘、でしょう」


 疑う私に向かって、魔術師は私の祖母や母の名前をすらすらとあげてみせた。それだけでなく家族しか知らないようなことも言われ、私は認めざるを得なくなる。


「祖父は、病気で亡くなったと聞きましたが」

「病気だったのは本当。ただし、死ぬ前に家出して、ここに引きこもったのさ。進行性の病気で、放っておいたら妻と娘の荷物になるのは目に見えてたからね。そのまま死亡宣告が出たんだろうが、子供にそこまで言うつもりはなかったんじゃないか」

「あれ、それならなんで私の名前を知ってたんですか?」


 私が首をかしげると、魔術師は笑った。


「私はこの湖付近で目撃されていたからね。ここで自殺したんだろうって話になって、一度だけ、娘が家族を連れて参りに来てくれたことがあったのさ。──水の中でも、あの声は忘れようがない。娘が呼んでいた、君の名前もね。すぐに魔術で外の様子を見たさ。今で言うストーカーみたいだろ?」


 魔術師は私に向き直った。


「君と再開した時、成長していたけどすぐ分かったよ。外で色々あった様子だったし、私も子供の姿だったから、すぐに名前を呼ぶことはできなかったけど」


 魔術師は私の肩に手を置いた。


「娘も婿も、君をとても大事にしていた。そして、ここの皆も同じように君を好いている。みんな、君の味方だよ。それは、両方を見てきた僕が保証する」


 放たれた言葉は、今度こそ私の中に染みこんだ。


「……ありがとう」


 迷いは完全に消えた。後は、やるのみだ。


「やってみるよ、瑛人えいとじいちゃん」


 聞いたことのある、祖父の名前を呼んでみる。今度は、魔術師の方が固まった。


「……どうしたの?」

「さっきの瑛人じいちゃんっての、もう一回言って。高音質で録音しとくから」

「怖いよ」


 断ったにもかかわらず、魔術師──祖父は、それ以降もとてもしつこかった。




「よし、行ってくる。みんな、後は頼んだぞ」

「気をつけてね。二人とも、幸運を祈ってるよ」


 見送る祖父は、私を名前で呼ぶことはしなかった。私がまだ関係を伏せてほしいとお願いしたため、今まで通りの呼び方だ。しかし、妙にそわそわしているため、明らかに職人が不審がっていた。


 祖父の視線を振り切るように、彼が作った光の中に飛びこむ。気付くと見たことのある魔術師の屋敷、その隅に立っていた。


「おい、ぼーっとするな。服屋が指示を出してるぞ」


 宿屋に言われて下を見ると、暗い地面の中に白い糸がうねっている。この糸の行く先が、偽物につき従うシーツ使い魔がいないところなのだ。通信の声が聞こえるとバレてしまうので、こういう手段をとっているのである。


 魔力の宿った糸でなんやかんやしてこういう便利なものができたらしい。祖父が説明してきたが、結局細かい仕組みは分からなかった。──祖父はああ言っていたが、魔術の才能、やっぱり私にはないんじゃないかな。


 とりあえず今はありがたく利用させてもらい、使い魔の監視をかいくぐる。幸い使い魔の視野はそう広くなく、大きな音さえたてなければバレることはなかった。


「……まずは、屋敷に入ったよ」


 私は、しばらく前から敬語をやめていた。皆、それを当たり前のように受け入れてくれている。


「おめでとうございます」


 画家の小さな声がした。あっちからは私たちが見えているが、こっちにくるのは声だけだ。


「おさらいをいたします。今、あなた方がいらっしゃるのは、屋敷右側の食器室。使い魔たちは食事時でないと、ここには近寄りません」


 私は画家の作ってくれた地図を見ながらうなずく。大体は覚えたが、やはり地図で確認できると助かる。魔術師完全協力、画家の最大画力で作られた地図は、偽物が作ったものより遥かに詳細だった。


 指示を出してもらえるなら地図は不要では? という声もあったが、いつ通信が妨害されるか分からない。備えておくに越したことはなかった。


「そこから出て左手にある、蒸留室。監禁場所の候補です。真っ暗でこちらからは何も見えないので、一応調べていただけますか。そのほか厨房などには、該当する人質はいません」

「分かった」


 魔術師の屋敷、その右側には使い魔のための施設が集まっている。ここに通信妨害がかかっていないということは、人質がいる可能性は低い。それでも、全て探しておかないと悔いが残るだろう。


「現在、屋敷中央部──主に客を迎えるホール、食堂、応接間を偵察中。こちらに何かあればお伝えします」

「ま、客が来るからまず人質はいないだろうがな。そっちが終わったら、左側も頼むぞ」

「はい」


 私たちは一旦会話を打ち切り、食器室を出て左手へ進んだ。扉が二つ並んでいるので、その一つをそっと押し開ける。


「……気配はないな」


 先に宿屋が入り、私に向かって手招きをする。使い魔に見つからないうちに、静かに扉を閉めた。


「待ってくれ、今明かりをつける」


 職人の手元がぼんやり明るくなる。精霊にもらったランタンだ。ちょうど懐中電灯くらいの明かりなので、見つかりにくくていい。


 その光が照らしだしたのは、大きな瓶とフラスコが特徴的な蒸留器と、ずらりと並ぶ戸棚。


 棚を開けてみると、クッキーらしき焼き菓子やパン、それに乾かした薬草のようなものが入った瓶が入っていた。


「ここには、誰もいないな」

「料理人がいた痕跡はあるがな。ほら、あのとぼけた猫がそうだ」


 雑多な荷物に混じって、見覚えのある物体が見える。左手をあげた白い招き猫だ。両肘の辺りに、黒い染みがある。


「料理人は体型といい、とぼけた顔といいあいつそっくりでな。自分でもそれを自覚してて、職人によく像を作ってもらってた」

「へえ……」


 それからしばらく探してみたが、人質はどこにもいない。


「行こうか。いつまでもグズグズしていると、誰かが戻ってくるかもしれない」

「そうだね……」


 最後に部屋を一瞥して、私たちは戸棚に背を向ける。その時見えた招き猫の白さに背筋がざわついたが、この時の私はそれをやり過ごしてしまった。

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