第23話 本当の危機がやってきた

 アイテム屋が不意に叫んだ。目の前の、平らだった氷を小鯨が食い荒らしている。これでは最短距離を滑れない。位置取りが難しく、私の進行速度は一気に落ちる。身をくねらせ、器用に進行するアイテム屋でさえ苦戦していた。


「小鯨の本当の目的は、これですか!!」


 アイテム屋は返事もしなかった。


 まずい。今度は確実に追いつかれる。一度や二度は爆弾でよけても、それが尽きたらどうしようもない。


 終わりだ。今度こそ終わりだ。……まあでも、それでいいのか。アイテム屋もきっと逃げてきた身、彼女も納得して終わりを迎えるのだろうか。


 足が動かなくなりそうな私に、アイテム屋が手を差し出す。


「こっち!」


 最後まで諦めていない彼女に、私は息をのんだ。


「先に行ってください!」

「嫌よ。──さんざん悪口たたいてくれたのは忘れてないけど、あんた私を見捨てなかったでしょ」


 アイテム屋はそう言って、私の手首を強引につかんだ。その力の強さに、彼女の本気がみえる。


 私も腹をくくった。彼女が諦めていないのなら、一緒にあがこう。再び足を動かして、凸凹になった地面を駆ける。


 しかし、敵は非情だった。移動してくる鯨がたてる音が、だんだん近くなってくる。


 なにか、なにかないか。アイテムでも、逃げる場所でもいい。この事態を打開できるものなら、なんでもいい。


 必死に視線を巡らせたその先。そこに、ようやく私は光を見た。


「右へ曲がって!!」


 指示を出されたアイテム屋が、わずかに顔を歪める。しかしすぐに、その不機嫌は解消された。


 彼女にも聞こえたのだ。氷上を一心に駆けてくる、二頭の獣の足音が。


「あの犬、主人を見捨てたわけじゃなかったのね。後で、おやつあげなきゃ」


 彼女の言う通り、犬の後ろには宿屋の馬が駆けてきていた、馬の長い足は、氷の割れ目をものともせずに飛び越える。


「こっちも跳ぶわよ! タイミング合わせて!」

「分かった!」


 足に残った氷が、私たちの意を受けて伸び上がる。その浮力とアイテム屋の脚力によって、私たちは馬の背中に飛び乗っていた。


「氷エリアの外へ! 回復できなくなれば、あいつも無理には追ってこないと思います!」


 馬がわずかにうなずいた。二人乗せて重くなったはずなのに、さらに速度が上がる。


 鯨の怒声が聞こえてくる。諦めればいいのに、ますますムキになっているようだ。下り斜面を利用して、鯨が飛び跳ねている。


 アイテム屋が指示を出し、落ちてくる巨体の起こす氷の雪崩に巻き込まれないようにする。その意を汲んで、馬は細かく立ち位置を変えた。


 しかし、万全とはいかない。


「あ、ここは下に行った方が近いのに!」

「馬に任せよう。何か考えてるような雰囲気だから──ですから」


 思わず気安い口調になって、私は慌てて言い直した。


「バカ丁寧にしなくていいってのに! もう出会ってしばらく経つんだし、タメ口でいいよ。それとも、なんか理由があって丁寧にしてんの?」

「…………」

「何故黙る。えいえい」


 余裕の出てきたアイテム屋が、私の足を踵でつついてくる。私は目の前に広がる崖と、切り立った谷底を見ながら言った。


「あ、氷の終わりです。やりましたね」

「誤魔化しやがったわね」

「いや、これは純粋に喜びで──ってええっ!」


 追いすがる鯨は、まさに最後の粘りを見せていた。今までより大きく飛び、崖から飛び降りた私たちの上にかかろうとしている。


「ここじゃ掘れる氷がない──」

「ダメだ、完全に飲みこまれた!!」


 私たちは叫び声をあげる。……しかし、それでもまだ、犬の尾の火は消えていなかった。


「なんで……」

「賢い犬だな。俺のトラップの存在を理解している」


 宿屋の声がした。それと同時に、地上から何本もの蔦が、ロケットのように飛び出してくる。


 蛇のようにうごめく蔦たちは、次々と鯨に激突し、ついに巨体をのけぞらせ、押し倒しにかかった。


「──これで打ち止めよ、今までの恨みをくらえ!!」


 アイテム屋が残りの爆弾をぶん投げた。空中で爆発が起こり、鯨の悲鳴に似た声が聞こえる。


「ヤツが崖にぶつかる衝撃がくるぞ!! 離れろ!!」


 宿屋が全力で走り出す。彼に続こうとする私たちを、衝撃波と氷の破片が押し流した。




「ゲホッ……生きてる?」

「なんとか」


 私たちは泥と、飛んできた氷の欠片にまみれていた。それをはらって立ち上がる。幸い、見かねるような大きな怪我はなかった。


「それでも念のため、医者に診てもらった方がよかろうな。小さな傷がたくさんついてるぞ」


 宿屋だけがケロッとしていた。私とアイテム屋は我に返って、彼に礼を言う。


「礼ならその犬に言え。息を切らして、助けを呼びに来たんだぞ」

「そうね。モフモフしてあげよう」


 アイテム屋が両手を広げたが、犬は逃げ回るだけだった。この人、動物に嫌がられるホルモンでも出しているんじゃなかろうか。


「俺は、自慢のトラップが使えただけで満足だ。召喚獣と、職人お手製排出機の性能を最大限に発揮できて喜ばしい」

「そうですか……」

「私の怖がらせライフが、また一つ充実した」

「……え、もしかしてあのレベルのものを、ドッキリに使おうとしてます?」

「昔はな。あまり皆が私のことを可愛いと言うものだから、威力で黙らせるしかないと思っていた……」


 過去を語り始めたラスボスみたいだなと思った。呪いがあって、本当に助かったのは私たちかもしれない。


「しかしお前たち、あれは魔術師の放った使い魔だろう? 探索に入ると、話してなかったのか?」

「言ったわよ! 間違いなく!」


 犬にふられて落ち込んでいたアイテム屋が、ムキになって反論する。


「……そうなると、魔術師は使い魔の制御ができなくなったことになるぞ。大事じゃないか。砂漠や山にいる奴らに襲ってこられたら、ひとたまりもない」

「あんなの何体も、相手できるわけないじゃない!」

「分断すればなんとか……」

「こっちには、画家や服屋みたいな戦えない連中もいるのよ! もう全部話して、魔術師の館にみんなでたてこもるしか──」


 新たに判明した危険に、二人とも冷静さを欠き始めている。私は、アイテム屋の肩に手を置いた。


「ここで話をしても仕方ありません。皆に伝えないと」


 その言葉がきっかけになって、二人の言い争いはぴたっとやんだ。




「……困ったことになったのう」


 報告を聞いて、職人が顔をしかめた。流石の彼も、すぐに言葉が見つからないようだ。


「該当エリアに近づかなきゃ、襲ってこないんだろ? 俺たちの生活圏とは離れてるから、すぐにどうこうなりはしないだろ」


 呑気なことを医者が言う。宿屋が、怖い顔をますます怖くした。


「忘れたのか。あいつらが特的のエリアに留まっているのは、魔術師の命によるもの。それがなくなったら、大人しくしている保障なんてないんだぞ!」

「わ、分かりましたよ……」


 好意を抱いている相手に詰められて、さすがの医者もたじたじだった。


「『召喚師』がいればねえ」


 アイテム屋がつぶやく。言葉からして、私の犬を呼び寄せた術士なのだとわかった。確かに、そんな人がいれば心強い。


「でも、あいつもここしばらく見かけないねえ。職人、何か知ってる?」

「いや。何度も声をかけに行ったが、いつもねぐらは空じゃぞ」

「どうせ、どこかでいつもの『パーティー』でもなさっておられるのでしょう」


 画家の口ぶりには、多分に皮肉がこもっていた。


「じゃあ、やっぱり……力が落ちたとはいえ、魔術師頼みか」

『そうなる』


 アイテム屋の言葉に、服屋がうなずいた。


「その子のことも、そろそろはっきりさせないとねえ」


 アイテム屋に言われて、少年がびくっと体を強張らせた。必死に私の陰に隠れようとするが、今日はそれで済ませるわけにはいかない。


「そうですね」

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