第22話 鯨に追われるとは聞いてない
キツネ目の精霊が、私に向けて何かを放った。受け止めると、それは丸い鈴だった。親指と人差し指で作った円程度の大きさ。その銀色の鈴は、触れてみるとわずかに冷たい。
「それに命じれば、音の代わりに冷気を出す。冷気は近くの熱を中和するように動く。この程度の道具で、役に立つか?」
「ありがとうございます」
アイテム屋の本のおかげで、私にもおまけがもらえた。
「…………」
「…………」
喜んで鈴を持っている私を、精霊たちがじっと見ている。敵意は感じないが、なんとなく面はゆかった。
「な、なにかあります?」
「いや、何でもない。もう少し経ったら、いい面構えになりそうな男だと思っただけだ」
キツネ目の精霊が言う。そんなことを言われたのは初めてで、私は戸惑った。
頼りなさそう。
いるかいないか分からない。
ぼけっとして、見てると腹が立つ。
言われた悪口ならすぐ思い出せるが、褒め言葉は思いつかなかった。
「世辞で言っているわけではないぞ」
今度はタヌキ目の方が口を開いた。
「早くも、何か嗅ぎつけたようだしな」
「……ええ」
バレている、と思った。しかし私の企みを邪魔するつもりはないのか、それ以上の言及はなかった。
「用が済んだら、とっとと帰れ」
「ここも安全ではないのだからな」
「え?」
精霊たちがそう言った次の瞬間、祭壇の上に巨大な影が現れた。
「これは──」
影は、見慣れた動物の形をしていた。水族館によくいる、人気者のあれ。
「氷の鯨!? 魔術師の使い魔がなんで襲ってくるの!?」
私は考える前に走り出していた。紋章があるから大丈夫、と安易には思えない。雪女がつけてくれていた氷はそのままだったから、滑って転ぶことはない。
アイテム屋も私に並んだ。彼女の足にも、私と同じような氷がついている。精霊たちの、せめてもの情けだろうか。
ちらっと後ろを居る。祭壇を後にしても、鯨はまだしつこく追ってきていた。巨大な氷の塊である鯨は、生えている木々や落ちている氷塊を自重で押しつぶしている。
私たちが巻き込まれたらどうなるかは、考えたくなかった。
「もし紋が効かなかったら、どうするんですか!?」
悲鳴をあげる私の横で、アイテム屋は野球選手のように腕をふりかぶっていた。
「──こう、するのよ!!」
アイテム屋の手から、何かが放たれた。それが鯨にあたると、瞬く間に炎が吹き上がる。
熱を受けた鯨の外殻が崩れた。それに伴い、追跡のスピードも遅くなる。
「あいつ、やっぱり氷だから熱には弱いわね」
それを聞いた犬が、にわかに高く吠えた。犬の尾から炎が球体となって飛んでいき、鯨の体をさらに崩す。
鯨の進行速度が遅くなった。少しこちらにも、考える余裕が生まれる。
「なんで魔術師の手下が襲ってくるんですか? 許可、とったんですよね!?」
「知らないわよ!! いよいよ本体にガタがきてんじゃないの!?」
魔術師の衰え。それを思い出して、私ははっとした。
「全く、それなのに力は変わってないなんて! 変なところだけ昔のままにしないでよ!」
二人で愚痴を言い合う。しかし、それで現実が変わらないことも知っていた。
「階段の場所までどのくらいですか?」
アイテム屋に聞いた。私は寄り道をしたせいで、出口までの最短ルートを知らない。
「ここは狭いからね。一時間もあれば抜けられるでしょ。道案内は任せといて」
「本当に?」
「運ばれてる途中も、ちゃんと周りを見てたんだからね」
別人のようにイキイキし出したアイテム屋に驚く。ピンチになると、知能がはね上がるタイプのようだ。
「大丈夫よ、あれだけ速度が落ちりゃ、ぶっちぎって──」
そう言って振り返ったアイテム屋が、またいつもの腑抜けた顔に戻った。
「なんですか?」
「……あれ、見て」
アイテム屋の指さす先には、浮遊する氷塊があった。それは、鯨に引かれるようにして進んでいく。
鯨が低く吠えた。それを合図に、氷が鯨の体に吸い込まれていく。ガタガタになっていた外殻が、再び滑らかになった。
「まさか、あいつ……」
「氷を取りこんで、回復できるの!?」
これでは、こっちの立場が苦しくなるばかりだ。氷のエリアにいる限り、向こうが有利すぎる。
「……一時間、もつ気がしないんですけど」
「もたせるのよ! 一時間はあくまで最長の目安だしね!」
アイテム屋はバッグを開けた。表面をぴかぴかにした泥団子のような物体がいくつも入っている。
「これ、さっき投げたヤツですか?」
「簡易爆弾ってとこかしら。あと十個ある。体勢を崩せるのは分かったから、危ないときに使わないと」
「それと、犬の炎でどれだけ崩せるか……うわっ」
後方から氷の塊が飛んできて、私の頭をかすめていった。
「また来た! 補助を頼む──」
助けを求めて振り返ると、そこには氷しか見えなかった。
「あれ? 犬は?」
「さっき、なにも言わずにすごい勢いで逃げてったけど」
「ワアアアアアアアア────!!」
信じていたものが崩れ去り、私は絶叫した。
「まあ、ドライな関係だったってことで」
私が取り乱している間にも、鯨が迫ってくる。アイテム屋が続けざまに、爆弾を二発投げた。
炎が連鎖して、さっきより大きな爆発が起こる。黒煙があがって、鯨の体がまたかしいだ。
「ショック受けてる暇ないよ、今のうちに距離稼ぐ!」
残りの爆弾は八発。使えば使うほど爆発が大きくなるようだが、鯨を倒せるとは思えなかった。それならアイテム屋の言う通りだ。
「ほら、こうすると速くなるよ!」
アイテム屋はぐっと体を前に出し、サーファーのように氷の上を滑っている。確かに、そちらの方が速かった。
私も彼女にならい、前傾姿勢で移動する。──しかし、
「スピード、上げてッ!!」
大きな影が、私たちの上に現れた。鯨に追いつかれたのだ。
アイテム屋が爆弾を手にした。今度は両手で、三発。
爆発が起こる。次の瞬間、鯨が私たちの頭上に落ちてきた。
死んでいただろう。そのまま、地表にいたとしたら。
「ぷはっ……」
「こっち!」
私たちは足元の氷を炎でえぐり、鯨の横手に出ていた。鯨が目標を見失い、きょろきょろしている間に先へ進む。
「爆弾、あと半分かあ」
「それでも、やらなきゃ死んでましたよ。出口までどれくらいですか」
「今、全距離の半分ってとこかな。来た階段にこだわらなくていいわよ、砂のストックあるから!」
希望が出てきた。これなら逃げ切れるかも、と思った瞬間、鯨の殺気が私たちの背中を刺した。
「ヴオオオオオ!!」
低い吠え声が轟いた。その声に呼ばれたように、氷の中から全長三十センチほどの小さな鯨が飛び出てきた。
これくらいなら、紋でなんとかなるのでは? その可能性に賭けて、私は歯を食いしばり、小鯨につっこんだ。
「グハッ」
普通に殴られた。とても痛い。どうやら紋章、罠は抜けられても魔術師直属の使い魔には効果がないようだ。変な賭けにでた私がバカだった。
「思ったより役に立たないわね、これ」
アイテム屋が悪態をついた。
「ええい、こんなのはね──」
アイテム屋が拳を振り上げた。
「炎は本体にとっておかないと!」
「分かってるわよ!!」
アイテム屋の拳が、小さな鯨に直撃した。鯨の頭頂部にヒビが入り、砕けて氷塊へと戻る。
「つ、強い……」
「何引いてるの。こいつら、強度は本体より遥かに低いわ。殴り倒して突破するわよ!!」
アイテム屋の言う通りだった。小さい方の鯨は、軽くパンチを当てればすぐに崩れる。しかしそうなると、なんのために鯨はこいつを召喚したのか分からなかった。殴って滑り抜ければ、それで終わりの話で──
「やられた! 下見て!」
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