第20話 氷の山へ行ってみた

 片付けを済ませ、私とアイテム屋は画家の家へ向かった。しかし相性の悪い二人が連れ立って歩くものだから、道中の空気が悪いことこの上ない。


「……あ、綺麗な魚ですね」

「おいしそーだねえ」

「あなたはいつも、食べることしか考えてないんですの?」


 こんな感じで、下手に発言すると地雷を踏むため、私は自然と黙るようになった。画家もあまりしゃべる方ではないため、アイテム屋が一人でしゃべっているような格好になる。


「とうちゃーく、お邪魔しまーす!」


 コンマ零秒で家の中へ入っていくアイテム屋を見て、私の口からため息が漏れた。


「入って、いいですか?」

「……どうぞ」


 私は一応、家主に許可を得てから足を踏み入れた。入った事のある狭い通路を抜ける。そこからは、未知の領域だ。


「わ……」


 ウナギの寝床、という言葉がある。極端に縦長で、入り口が狭い部屋のことだ。画家のアトリエはまさにその構造で、一番奥に椅子と机、申し訳程度の寝床が作ってある。


「間口によって税金が決まるわけじゃないのに……なんでここを選んだんですか?」

「だって、絵を並べておくのにぴったりでしょう」


 画家の言う通りだった。部屋の壁には、まるで美術館のように、ずらっと絵が並んでいる。立派な額は、職人の手によるものだろう。


 近寄って眺めてみた。ほとんどが風景画だが、たまに肖像画が混じっている。


「これは職人、こっちは医者……」


 今まで会った水底の住民たちは全員いた。ご丁寧に、宿屋は呪いにかかる前と後の両方のバージョンがある。


「これは……?」


 一人だけ、見たことのない人物がいた。快活そうな黒髪の少年で、整った白い歯を出してにっと笑っている。


「ああ、それは『魔術師』ですわ」

「これが……」

 棚の後ろに隠れていたとは思えない姿に驚いた。


「昔はけっこう、気さくに接してくださったのですよ。──今は、変わってしまわれましたが」

「何があったんでしょうか」

「さあね。私がお会いした最後の頃は、かなり自信をなくしておいでの様子でしたが」


 その頃から、魔力の低下があったのだろうか。だから、住民にも姿を見せなくなったのだろうか。


「……他の絵も見てくださいまし。最近、あまり行けなくなった魔術師の館付近のものもございますので」


 画家の言う通り、順に絵に目を走らせていく。私の家の近くにはない、山の絵が強く印象に残った。


「こんなに高い山があるんですね。これじゃ、魔法でも使わないと行けない」


 もはや、家というより砦のような配置である。絵をさらに見ていると、山の一部だけが白く描かれているのを見つけた。


「ここがもしかして、氷の……」

「かもねー」


 アイテム屋が、いつの間にか横に来ていた。


「いや-、楽しみだなあ。この氷の地には、とっても美しい双子の精霊がいるんだって」

「それは会ってみたいですね」

「気にくわない相手は、氷漬けにしてオブジェにしちゃうみたいだけどね」

「へっ!?」

「実際、そうやって保管されてる死体がいっぱいあるみたいよ? ほんとに、今から楽しみ」

「どうしてそうなるんですか!?」

「もし凍っちゃったら、お墓作ってあげるね!!」

「いやちょっと、やめてやめてマジでやめ……」


 全力で同行を断ろうとして、私ははっとあることに気付いた。──もしかしたら、実はここでとんでもないことが起こっているのかもしれない。


「……あなたは、やめておいた方がいいですわ」

「いえ、行きます。描いて下さい」


 積極的に手を差し出す私を見て、画家はたじろいだ。


「あなた、今の話を本当に理解してまして?」

「しました。これ以上ないまでに」


 ここに来て初めて、画家が気持ち悪い物を見る目で私を見た。





「ではでは、出発でーす」


 アイテム屋が元気に宣言した。私はその横でうなずく。


 防寒対策はばっちりだ。服屋が作ってくれたダウンジャケットと防寒パンツのおかげで、寒さは全く感じない。


 ただ、自分の仮説が本当に正しいのか──その思いが、私の体を硬くしていた。


「……で、とりあえず。どうやって登るんですか、ここ」


 目の前にあったのは、まさに壁だった。かろうじてカーブしているのは分かるが、とても歩いて登れる角度ではない。


「私に不可能はないのよ」


 アイテム屋は懐から瓶を取り出し、中身の砂をざらっとぶちまけた。


「『橋』ができるなら、『階段』もできるってわけよ」

「なるほど」


 得意げなアイテム屋の横で、階段が組み上がっていく。そしてとうとう、崖の最上部に達した。


「すごいでしょ?」

「……あの、一つ聞きたいんですが」

「なによ」

「結構な高さがあるんですが、手すりがないんですけど?」

「そんなの作ってたら、余計な砂がいるじゃない」

「……落ちたらエラいことになりません?」

「半死人がなに言ってんの。大丈夫よ」

「根拠は!?」

「私の勘よ。さ、行った行った」


 私はぐっと息をのみこんだ。できるだけ下を向かないように、一段一段登っていく。ようやく岩壁に乗り移った時には、手も足もガクガクになってしまっていた。


「ねえ、まだ始めのとこよ? 死にそうな顔するのやめようよ」

「逆に、なんでそんなにケロッとしてるんですか!?」


 私が咎めても、アイテム屋はまるで聞いていなかった。ムカつくくらい優雅に立ち、前方を指さす。


「だって、登っただけの価値はあるでしょ?」


 彼女が指さす先には、大きな四角い白氷がゴロゴロ落ちていた。日の光をうけてきらめく氷塊の間に、美しい花が咲いている。


「綺麗ですね、確かに……」

「あの花、傷薬の原料よ。医者との交換に使えるっ」


 この女に、風情を期待しても無駄だった。


「ゲヘヘヘヘヘ」


 女性どころか、人間としてどうかと思う奇声をあげているアイテム屋。私は呆れて、後ろからその姿を見ていた。


 ──だから、アイテム屋の横の氷が不自然に盛り上がった時、彼女より先に気付いた。


「そこに何かいます!」


 アイテム屋が身を翻すより先に、氷の中から白い兎たちが飛び出してきた。大きさはせいぜい大人の拳くらいだが、かなり数がいる。


「ギャ────ッ」


 蟻にたかられるケーキのごとく、アイテム屋の体が兎に埋もれた。そのまま兎に包まれ、山の奥へ消えていく。


「追いかけ……なきゃ……なんだけど」


 何故だろう、どうしてか必死に探す気になれない。なんとなく、ケロッとした顔で戻ってきそうな気がするのだ。


「いや、いかんいかん」


 自分の中の悪魔に負けてはいけない、頑張れ私の中の天使。


 彼女は私が持っていない、貴重なアイテムを使える。それがないと、私の命が危ないかもしれない。全力で助けなければ。


「……あれ、あんまり天使でもないような」


 考えるとドツボにはまりそうだったので、私は立ち上がった。


「出てこい」


 犬を呼ぶ。前に会ったことがあるから、アイテム屋の匂いを犬は知っている。追跡するには十分だ。すぐに追いつく……つもりだったの、だが。


「滑る!! 足がッ!!」


 まず氷を乗り越えられない。服屋は滑り止めつきの靴にしてくれたのだが、そんなもので広大な氷を踏み越えていけるはずがなかった。


 下手に動けば、絶壁から滑り落ちて本当に取り返しがつかなくなる。私が困っていた、その時だった。


「お兄さん、頑張りはるなあ」


 やんわりした声が聞こえてきたのは。



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