第14話 ファッションを楽しんでみた

 それから四日の後、私たちは宿屋に集まっていた。


 机の一角に陣取っている画家。その前に順々に座り手を出して、紋を描いてもらう。


「くははは」

「……もう一度動いたら、あなただけひどい目にあいますわよ」


 今、医者の番だ。彼はくすぐったがりらしく、正確に描くのはかなり大変そうだ。


「いや、ひどい目にあった」


 戻ってきた医者は、心持ちげっそりしていた。


「薬の手配でへとへとだってのに、おまけにこれかよ」

「お疲れ様でした」

「魔術師が呪いを解くアイテムをくれないと割に合わない」

「馬鹿なこと言ってないで、どんな薬を用意したのか教えてください」


 医者は何か言いたげに私をねめつけたが、無視した。


「……傷の回復、毒消し、あとは痛み止めくらいか。種類としてはそんなにないぞ。量はたっぷり用意したが」

「へえ」

「俺たちはそもそも病気にならんから、医者って言っても外科処置が中心になるんだ。お前も魔術師に会ったなら、自分がなんなのか知ってるんだろ?」


 私はうなずいた。


「完全にゾンビになってないってのは不便だな。怪我すりゃ痛いし、毒も効くし」


 医者がため息をつく。


「それでも、味が分かるなら私はそっちの方がいいですね。食の楽しみは捨てがたいです」

「……あなた方、後がつかえてましてよ」


 画家ににらまれ、私と医者はそろって首をすくめた。いつの間にか、私の番になっていたのだ。


 進み出て、画家に手の甲を差し出す。始めに細い筆で輪郭を描かれる。それが絶妙な感触で、確かにくすぐったい。


「地図、拝見しました」


 笑いをこらえていると、唐突に画家が言った。その表情が歪んでいるのを見て、私は眉をひそめる。


「何かありましたか?」

「私も、図を描く者。あそこまで美しく精密に描かれたものを見ると、嫉妬いたします。……魔術師は、本当に絵筆もとらずあれを作ったのですか?」

「はい」


 そう言うと、画家はうつむいた。私はさらに声をかける。


「落ち込んでいても上手くなりはしませんよ」

「わかってますわ」

「あなたも作ればいいじゃないですか、地図」


 私が言うと、画家は頭をもたげた。


「なんのために?」

「練習にもなるでしょうし、地図だったら何枚あっても楽しいじゃないですか。いっそもっと細かく景色や生き物を描き込んで、絵画っぽくしてみては?」


 画家が力を尽くしたら、美術品のような地図ができるかもしれない。それはそれで、面白そうだった。


「……そうですわね」


 画家の目がにわかに輝いた。本気になったらしく、また自分の世界に入りそうになって──急にぱたっと瞼を閉じる。


「今のままでは、できません」

「え?」

「私、本当に狭い範囲しか知りませんの。作ろうにも、資料となるものが何もなくて」


 アトリエ付近しかうろついていないのであれば、そうなるだろう。


「探すついでに、私がメモでもとっておきましょうか?」


 お世辞にも美術の成績が良かったとはいえないが、創作の手助けくらいにはなるはずだ。


「……そこまでしてくださらなくても。かえって申し訳ないですわ」

「だって、今回協力してもらってますし」

「その前に、私が迷惑をかけたじゃございませんの。これでようやく、貸し借りなしですのよ」


 画家は人に借りがある状態を好まないようだ。


「じゃ、完成した地図はタダでください。これなら平等でしょう?」


 私がそう言うと、画家はようやくほっとした表情をみせた。


「……はい。私は行けませんが、お気をつけて」


 ねぎらいの言葉をもらう頃には、手甲の紋もすっかりできあがっていた。振り返って伸びをすると、室内に一人増えていることに気付く。


「ああ、すまん。客が来たから、入り口をいじらせてもらったぞ」


 よく見ると、入り口の壁が扉のように切り取られている。職人がやったのだろうが、音ひとつたてず器用なものだ。


「閉じるのは、お前さんでないと無理だろう?」

「これ、このまま扉にしちゃった方が便利かもしれません」


 今までは出入りするたびに壊していたわけだが、考えてみるとそれは非合理だ。あの泡にドアを開ける知能があるとは思えないから問題ないだろう。


「できますか?」

「任せろ」


 職人は腕まくりをして、入り口へ向かっていった。彼に任せておけば、大丈夫だ。


「はじめまして。あなたは何をしてる人なんですか?」


 新しく会った住民に、問うてみる。


「…………」


 モデルを思わせる、すらりとした長身の青年。男性には珍しく、腰付近まで伸ばしたヘアスタイル。その髪が真っ青なものだから、余計に人間離れして見える。


 うらやましいともああなりたいとも思わないくらい、私からはかけ離れた存在だった。だからだろうか、一言もしゃべってくれない。あまりに気詰まりで、私の方が席を外したくなった。


「服屋は相変わらずだねえ……あ、こいつがしゃべらないのはいつものことだから、気にしなくていいわよ」


 アイテム屋が戻ってきた。


「そうなんですか? 怒ってるんじゃなくて?」

「こいつはね──」


 アイテム屋が言い終わらないうちに、服屋の右掌がぱっと開いた。


 次の瞬間、何かが部屋の明かりをうけてきらめく。それは、大きなハサミだった。


 ハサミがさっさっと宙を裂く。まるで生地を裁つようなその動きに見とれていると、目の前にふわふわと布が落ちてきた。


「え?」


 拾い上げてみると、それは洋服だった。一体何所から出てきたのか。


「…………」


 服屋が目で訴えかけてくる。早くそれを着ろ、と言われているのだとわかった。


「着てあげなよ。あいつ、人に合わせて服作るのだけは本当に得意だから」

「これ、やっぱりあの人が作ったんですか!?」

「そう。あれは魔術師があいつに預けた魔法のハサミ。作り手のイメージを服にしてこの世に送り出せるの」


 ファンタジーでしか読んだことのない設定が出てきて、私は呆けた声を出した。


「よっぽど、魔術師に気に入られてるんですね」

「まあ、それもあると思うけど。あいつ、代償を払ってるのよ。声が出ないの」

「じゃあ、しゃべらないのはそのせい……」


 まさかそんな、リアル人魚姫みたいな人がいるとは思わなかった。


「……すみません、事情も知らずに騒いで」


 私が頭を下げると、服屋はポケットから小さな黒板を出した。そこに超高速で文字を書き付け、見せてくる。


『そんなことより、早く着て欲しい』

「あ、ああ……これですね」


 服を持ち上げると、服屋がうんうんとうなずく。


『早く着てもらわないと、鮮度が落ちる』

「そんな寿司屋みたいなこと言われても……」


 困りはしたが、せっかくなので着替えてみる。


 大きなポケットがついた濃緑のモッズコートに、白シャツとグレーのパンツ。どうやって作ったのか知らないが、最後に黒皮のブーツまで出してきた。


『探索ということで、手がかりがたくさん入るようポケットを多めに。あと、動きやすさ重視で作ってみた』


 確かに、コートだけでもかなりの収納力を持っている。シャツはぴったりとした素材だったがよく伸びて肌になじみ、全く動きの妨げにならない。そしてこの靴なら、ごつごつした土地を踏んでも足を怪我することはなさそうだ。


「ありがとうございます」

『似合って何より』


 服屋はようやく、わずかな笑みを見せた。


『バッグも改良してみた』


 私が持っていたおざなりな布バッグが消え失せ、黒の大きなリュックが差し出される。これなら両手が自由になって、行動しやすい。


 全身、服屋のおすすめコーディネートで決め、くるりと部屋を回ってみると、拍手が起こった。


「いいんじゃない?」

「似合う、似合う」


 褒められると、なんだか嬉しくなってくる。


「ありがとうございます」


 服屋は私の礼を黙って受け取ると、次々と調査隊の服を作っていった。

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