第12話 水の世界を任された
閉じていた目を開くと、不思議な建物が目の前にあった。
四角い建物には、アーチ状の窓がいくつもあいている。壁は古びて所々塗装がはげ落ち、白と灰が混じったような色になっていた。上階にはびっしり水草が生えていて、青く長い蔦がそこから壁に向かって垂れている。
「……本当に人が住んでるんですか、ここ」
窓には明かり一つない。魔術師というより、化け物が住んでいそうな面構えだった。
「ああ。間違いない」
職人はずんずん進む。家の前に茂る海藻をかきわけていくと、不意に目の前が明るくなった。
「え……」
さっきまで暗く沈んでいた窓に、煌々と明かりがついている。放たれた金色の光が、侵入者を確かめるように私たちをさっと照らした。
職人が面をあげる。光が弱まって、絡まり合った水草が道をあけた。開けた土地には石畳がしいてあって、白く輝いている。
「歓迎されてるんですかね?」
「自分から呼びつけたんじゃから、せめてそうしてもらわんとな」
職人と共に歩いて行く。一際大きなアーチの中が、玄関扉になっていた。黒くて重そうな扉はぴったりと閉められ、その前に奇妙な物体が浮いている。ちょうど子供がシーツをかぶって遊んでいる時のように、白くふくらんだ布が宙を漂っているのだ。
「あれは?」
「『魔術師』の使い魔じゃ。主様にお会いしたいんじゃが」
使い魔がうなずく。大きな扉が、音もなく開いた。
玄関ホールに入ると、すぐにずらっと並んだ石像が目に入る。ドラゴンにキメラ、ミノタウロスにリヴァイアサンと、私でも見たことのある有名な怪物たちが並んでいた。
「こちらへどうぞ」
いつのまにか、使い魔がもう一体来ていた。白い布のような手を伸ばし、廊下にある扉の一つをさしている。ここへ入れということだろう。
「お邪魔します……」
部屋の中は、落ち着いたベージュと茶色の内装で統一されていた。百は引き出しがありそうな棚が存在感を放っているくらいで、あとは客間によくありそうなソファやローテーブルが置いてある。
私たちはしずしずとソファに腰を下ろした。主である魔術師は、どこから現れるのだろう。
「よく来てくれたね」
引き出しの多い戸棚の後ろから、若い男の声がした。
「そこから!?」
ツッコミを入れたのは私だけだった。
「魔術師は人見知りでな。人に会うといっても、顔を見せることは絶対にない」
職人が淡々と言う。だったら、招かなければいいのに。
「君たちが嘘をついていた場合……この部屋なら、一気に爆破できるからね」
「……そういうことは、たとえ思っていても口にしない方がいいですよ」
物騒なことを言うくせに、肝心なところを漏らしてしまうのが人間慣れしていないのを物語っている。
「それにしても、嘘をついたくらいで爆破ってのはひどくありません?」
「何を言うんだい」
魔術師が、今度は本気で怒った声になった。
「狭い空間は、人間関係が悪くなると崩壊しちゃうんだ。嘘をついて場をかき乱すような奴には、厳しく対処しないと」
確かに、警察もいない空間で好き勝手やられたら、大変なことになるのは目に見えている。乱暴な理論だが、ここにいる以上は受け入れなければならないルールのようだ。
「もちろん、君たちが嘘をついていなければ問題ないよ。全力で支援させてもらう。さ、話を聞かせて。関係ないと思えることでも、漏らさずね」
魔術師に言われるまま、私と職人はことの次第を語った。
「それだけなんだね。見つかった顔料はどうしたの?」
「……言いにくいんじゃが、画家がすでに絵の具にしてしまっておって……」
「大事な証拠になんてことを!!」
私は思わず叫んでいた。
「すまん。言ってはあったんじゃが、創作意欲に負けてしまったようでな」
職人が肩を落とす。魔術師も戸棚の奥で、ため息を漏らしていた。
「何かないかな。他に気付いたこと」
「といっても、すぐに画家に渡してしまいましたので……」
話が途切れた。沈黙が流れる。使い魔が扉を開けて、飲み物とお茶請けを運んできた。
「お気遣いありがとうございます」
「なんのことかな?」
使い魔は、そのまま棚の奥へ消えていった。
「僕が食べる分だよ」
「あ、そうですか……」
正直、腹は空かないが休憩したい気分だった。しかし諦める。私は棚の裏でくちゃくちゃ音が鳴るのを、黙って聞いていた。
「オサゲイタシマス」
魔術師の食事はすぐに終わった。使い魔が下げた皿には、まだいびつな歯形の残る菓子が残っている。
あんな中途半端な食べ方をして、もったいない。そんないじましい気持ちを抱いて、使い魔を目で追ってしまう。
次の瞬間、頭を殴られたように感じた。あの時抱いた既視感の正体に、ようやく気付いたのだ。
「歯形だ……」
「歯形?」
「犯人が落としていった石に、残ってたんです。確かに、噛んだような跡が。あなたの噛み跡をみて思い出しました」
「間違いじゃないだろうね?」
魔術師がひんやりとした声で言った。
「はい、一瞬でしたが確かに見えました」
「ということは、『食べようとした』のか? あんな石を?」
職人が首をかしげる。
「盗まれた石は赤や黄色だったそうだから、あるいはね」
魔術師が答えた。
「ここの知識のないものなら、食べ物に見えたということですかな。なるほど」
「……どんな奴が来たのかは分からないが、ここには魚も貝もうようよいるのにね。無知に加えて、狩りができない理由があるのかな」
魔術師は言葉を切ると、ぶつぶつと何やらつぶやき始めた。そのつぶやきは、言葉というより呪文に近い。
部屋に使い魔が集まってきた。数体が大きな紙を抱え、残りの二体がペンとインクを持っている。
使い魔たちは魔術師の言葉を熱心に聞き取り、ペンをしきりに動かし始めた。
その筆跡が、しだいに形となって現れ始める。それは文字ではなく、地図だった。
「完成したね。君たちにあげるよ」
細かく書きこまれた地図を受け取って、私は目をむいた。短時間で作ったとは思えない。
「君たちの話から、自宅付近と思われる場所の地図を作っておいたよ。この範囲だけで構わないから、犯人を探してくれないか。変に知恵を付ける前に、捕まえないとね」
「いいでしょう。ただ、この範囲にいるとは限りませんがな」
私の代わりに、職人が言ってくれた。
「いなければいないでいいよ。私が探せない範囲を、潰していってほしいだけだから」
「探せない?」
私は疑問を抱いた。
「今までの魔法を見ていると、なんでもできそうに思えてしまうのですが……違うのですか」
空気を読まずに聞いてみる。
「そうか、君は知らないのか……」
魔術師は憂いを帯びた声を出し、その後黙り込んだ。
「職人。すまないが、少し席を外してくれないか」
頼まれた職人は、一瞬目を大きく見開いた。しかし余計な口答えはせず、一礼して部屋を出て行く。
使い魔に囲まれていると、急に不安になってきた。そんな私の様子が見えているのか、魔術師がくすくす笑う。
「取って食いはしないよ。……さて、本題だが。僕はこの庭と家を作り、今まで守ってきた。しかしその力は、徐々に失われつつある」
「そうなんですか!?」
私は思わず前のめりになった。
「君は最近ここに来たのか? もう君以外は知っていることだがね。始めはそうじゃなかったよ。庭の外まで遊びに行ってたくらいだし」
しかし次第に力が衰え、使い魔を連れて立ち歩くのもきつくなってきた。だから、最近は一切外に出ていないという。
「事情はわかりましたが、それが私となんの関係があるんですか?」
「僕は、おそらくあと数年でここを維持できなくなる。だから、跡継ぎを探していたんだよ」
「それが私だと?」
話の流れから、先がだいたい読めた。
「そうだよ」
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