第5話 酒とヒロイン(らしきもの)
「うわ、なんだこれ……」
翌日起きてみると、部屋に妙な匂いがたちこめている。
「まさか、猫のやらかし?」
今まで全くそんな素振りを見せなかったが、あれだって生き物なのだから出す物はあるだろう。せめて作ったばかりのマットレスの上はやめて……と祈りつつ、私は猫に近づいていった。
「ニャー」
猫は私を見て、ぐっと背伸びをした。早く餌をくれと言わんばかりに鳴くが、粗相をした様子はどこにもない。
「お前じゃなかったのか」
「ニャ」
猫はしたり顔でうなずく。自分がそんなことをするか、と言いたげな仕草だった。この猫に関する謎は、深まるばかりだ。
「でも、お前じゃないとすると……」
私は首を動かして、匂いが強くなる方を探した。その匂いは、竈とテーブルの方からやってくる。
「あっ!」
原因に思い至って、私は弾かれたように走った。昨日、猫がさんざん荒らしてそのままにしていた海ぶどうもどき。貝の調理をしているうちに、すっかり忘れていた。
ボウルの中にはつぶれた実とともに、濃い緑色の液体がたまっていた。液体の表面には、ぶつぶつと細かい泡が浮いている。
「これ……発酵してるのか?」
つぶやいて、ふと思い出した。
アルコールをうかうか造ると法に触れるのだが、実はワインならブドウを潰せば簡単に作れると聞いたことがある。──この果実にも、ブドウと同じようなことが起こっているのではないだろうか?
「だとしたら、これからやることは……」
確か、長いこと表面をそのままにしておくとカビると聞いたことがある。私はぐるぐるとウニの箸でかき混ぜ、全体を動かしておいた。
「放って置いて本当に酒になったら、面白いな」
途中でダメになるかもしれないが、タダで拾ってきたものなのだから、そう惜しくない。こうなったら、一度最後までいってみることにした。
それから七日間、放置とかき混ぜをくり返す。最大の心配は、猫がボウルをひっくり返しはしないかということだったが、猫は近寄りもしなかった。ボウルから流れてくる、独特の匂いを嫌ったらしい。
「よし、もういいかな」
八日目の朝。かき回していると、甘い匂いがするようになってきた。そろそろ猫もボウルを狙いはじめているため、一旦このあたりでやめておく方がいいだろう。
「さて、搾るか」
ざるなんて便利なものはないため、手をできるだけ綺麗にしてから果実をしぼる。指の間からこぼれ出た汁を、別のボウルに移していった。
手絞りのため液体は濁っていたが、漂ってくるにおいはジュースのように甘い。待ちきれなくなって、これまた作っておいたコップに酒を注いだ。
合間をおかず口をつける。
「うん、いける」
アルコール度数が足りていないのか、かなり甘口だ。だが、あの強烈な酸味がなくなって飲める代物になっていた。わずかにだが、炭酸のように口の中ではじける感じもある。
「ニャ?」
「ダメだよ、酒だから」
寄ってくる猫を手で追い払ったら、唸られた。その後も執着する様子を見せるので、私は最終手段を取る。
「密封!」
石を変化させて作った花瓶のような容器に酒を注ぎ、口を閉じてしまう。取られないためにはこれが一番だ。
念には念を入れて、壁の中にそれを埋め込んでおく。うまく溶け込んでいるから、埋めた私でなければ分からないだろう。
「ニャ?」
「さあ、君のご飯はこっちだ」
猫がまた余計なことをしないうちに、貝や魚を与えて黙らせる。この一週間のうちに水中にも慣れて、動きの遅い魚なら捕まえられるようになった。
残ったゴミを謎泡の死骸に入れて、外へ出る。ゴミ捨て場と勝手に定めた場所にそれを埋め、ふっとため息をつく。
念願だった酒は手に入った。しかしそうなると、ますます欲しくなるのが──
「塩の利いたつまみ、欲しいな」
無理だと分かっていても、つい口にせずにはいられない。かまぼこにワサビをのせて、醤油をちょっと。それより贅沢にするなら、脂ののったサーモンに辛いたれをのせたのとか、甘辛く味付けした肉なんかあったら、最高なのに……。
「やめよう」
私は首を振って、雑念を追い出した。今あげたのは、全て外の世界のもの。自分から逃げたくせに、ちょっと寂しくなったから戻りたいなんて、そんな虫の良い話はない。
この世界にも、つまみがわりになるものくらいはあるはずだ。それを自分で探し出してから、楽しく酒飲みライフを送ることにしよう。
そう思って踵を返すと、ふと何者かの気配に気付いた。
「……チッ」
振り向くと、舌打ちのような音まで聞こえてくる。
「誰かいるんですか?」
私は思いきって声をかけてみた。しかし、それに対する返答はない。ざっと周りに目をやってみたが、人影らしいものもなかった。
「気のせいか……」
ドラゴンでも近くに来ていたのだろうか。不審には思ったが、猫と一緒に守りを固めることにした。
翌朝、私は早めに起きて周囲をパトロールすることにした。昨日の声が気のせいだったとは考えにくい。今日こそは、不審者の正体を見極めてやりたかった。
武器として持ってきたトゲを構える。
そのまま物陰に潜んでいると、目の前でゆらりと何かが動いた。
長い髪だ。金糸のような細い髪。ポニーテールにまとめられたそれが、忙しなくぴょこぴょこと動いている。
女がいた。まだ若い。うら若き女は前屈みになって、一心不乱にゴミ捨て場を掘っていた。それに熱心になりすぎて、私がすぐ側まで近寄っても気がついた様子がない。
「えい」
試しに、トゲ(先を丸めたやつ)で女の背中を突いてみた。
「のおっ!!」
想像以上に相手が驚いた。そのまま前につんのめるように倒れ、ゴミに顔を埋めたまましばらく動かなくなった。
「……死んだかな、これ」
殺人になるのだろうか。それとも、私が死んでいるとしたら幽霊のしたことだからノーカンになるのだろうか。
「死んでないわっ!!」
考えているうちに相手が復活してきた。顔にいっぱい小さなゴミがついているが、私をにらむ顔は、日本人離れしたなかなかの美形だ。ファンタジー映画でお姫様をやっていそうな顔だ、と月並みな感想を抱く。
「……どちら様で?」
「私はアイテム屋。珍しいものを売って、皆に驚きと喜びを届けているわ」
「顔面にゴミつけながら、立派なこと言うんですね」
「正論は時に人を傷つけるのよ」
アイテム屋は半分キレながらつっこんできた。
「……ここで何をしてたか、聞いてもいいですか?」
「秘密よ」
これみよがしにウニ(尖った方)を掲げてみた。
「……探してたのよ」
アイテム屋はあっさり口を割った。力こそパワー。
「何をですか?」
「酒のにおいがするものよ」
「思ってた以上にダメな回答」
私は呆れてしまった。
「確かに、果実のカスは捨てましたが……」
「それよ。それはどこ?」
「真面目に探そうとしないでください」
どうしてそんなに酒を求めるのか。そう問うと、アイテム屋は顔をそむけた。
「……だって、前に飲んで美味しかったんだもの」
「美味しかった? 私の他にも、酒を作ってる人がいるんですか?」
私が問いかけると、アイテム屋は意味ありげな笑みを浮かべた。
「何かくれたら教えるわ」
商人らしい意地悪さを含んだ顔を見ていると、こちらの胸にも闘志がわいてくる。
「……実は、昨日作った酒の残りがあります」
「わん」
相手があっさり落ちた。
「ポチと呼んでくれてもいい」
「もう少しプライドを持った方がいいと思いますよ」
アイテム屋の行く末を心配しつつ、私は彼女を家に入れた。なんとなく、彼女は敵になりそうにないと思ったからだ。
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