第3話 ドラゴンに会った

「ただいま」

「にゃ」


 あいさつをすると、猫も声を返してくれた。入り口を塞いでいる間も、猫は私の足に頭をぐりぐり押しつけてくる。


「……歓迎してくれるところ悪いけど、あんまりいい物はないんだよな」


 とりあえずテーブルの上に材料をのせて、どうしようか考えてみる。まずは、サボテンもどきから試してみることにした。


 石で適当に削ったウニのトゲで、サボテンの外側を削る。寒天のような物体ができあがったので、それを一口大に切ってみた。


「できた。ほら、お前もどうだ?」

「にゃ……」


 猫は少々ためらいつつ、私が差し出したサボテンをくわえて去っていった。


 しばらく見ていたが、一向にかじろうとはせず、ひたすら表面をぺろぺろと舐めている。確かに、サボテンの切り口にはうっすら水分がにじんでいた。


 猫の真似をして、なんとなく舌を這わせてみて……私は思わず唸った。


「あ、甘い!」


 梨だ。熟れきった梨のような、さっぱりとした、それでいて少しも薄くない甘味が口の中に広がる。猫がしきりになめているのも納得だ。


 果肉の方にも興味がわく。一口大に切ったそれを、思い切って噛み砕いてみた。


 美味い。食感はブドウで味が梨なので、はじめは違和感があるが、食べ進めているうちにそんなことはどうでもよくなった。


「……味覚……消えてないんだな」


 食事に特に気になることはなかった。なら、自分は死んでいないのだろうか。


 しかし、けっこう食べているのに少しも満腹になった感じがない。歩き回っていた時も、全く空腹だと思わなかった。──それならば、やはり生者ではないのだろうか。


「にゃっ」


 思考を、猫の声が断ち切った。猫はさんざん舐めつくしたサボテンをもてあまし、また丸くなっている。猫にとっては、ごちそうではなかったようだ。


「……それが気に入らないと、後は貝しかないけど……」


 生で食べさせていいのかと迷ったが、試しに与えてみると猫はガツガツと食べた。


「良かった……」


 小さな生物が無心に何かを食べている姿というのは、癒やされる。もういない祖父母や両親も、私に対してこんな感情を抱いたのだろうか。


 そんな益体もないことを考えているうちに、猫が食事を終えていた。ひとつあくびをして、再び寝に壁際へ戻っていく。


「……ん?」


 ふとあることに気付いた。猫がいつも、決まったところで寝ているのだ。


「そんなに、そこがいいのか?」


 聞いてみても、猫はゴロゴロと喉を鳴らすだけだ。側によって、隣に腰を下ろしてみる。


「うわっ!?」


 思わず飛び上がった。腰を下ろしたところが、明らかに他所より熱かったからだ。


「い、一体何……?」


 しばらく考えてみて、これが〝地熱〟というものだと気付いた。地中にマグマがあると多量の熱を放出し、その周囲が高温になる。普通、火山の周囲に多いらしい。ここにはその地熱がきているのだ。


「……ってことは、この下は……」


 左手を使って、猫を動かす。そして右手で地面を覆っていた岩をいくつか動かすと……


「うわっ!」


 いきなり地中から熱い蒸気が噴き出してきた。飛び退いてかわし、一瞬ののちににんまりと笑む。読み通りだ。


 蒸気を囲むように竈を作り直し、鍋を上に置く。思った通り、鍋全体が熱を帯びてきた。そこに貝を入れてみると、じゅっと小気味よい音が上がる。少しすると、香ばしい匂いもしてきた。


 表面が少し焦げてきて、全体に熱が伝わったくらいで貝を取り出す。ウニのトゲの先を切って作った箸がさっそく役に立った。


「どれ」


 口に含むと、ハマグリのような肉厚の身であることがわかる。噛むと、中から旨みとわずかな塩気が出てきて酒が欲しくなる。願わくばもう少し塩気があるともっとよかったが、今のままでも十分おいしい。


「にゃ」


 蒸気が吹き出しっぱなしになるので竈の口を塞いでいると、猫が期待をこめた目でこちらを見てくる。


「お前はさっき、たくさん食べただろう……」

「にゃ」

「申し訳ございませんでした」


 泣く子と猫には勝てなかった。


 残った貝を、しずしずと猫に差し出す。猫舌という言葉もあるのに、この猫はためらいもせずバクバク熱い貝を食べていた。


「さて」


 蒸気の噴出口を再び塞いでしまってから、これからのことについて考える。


「自分の置かれた立場をはっきりさせる、っていうのが第一目標なんだけど……」


 簡単には分かりそうもない。なにせ周りには誰もいないし、参考にできそうな情報源もないのだ。新しい何かが見つからない限り、どんな考えも推測の域を出ないだろう。


「だとしたら、それを見つける前に足場を固めないと」


 食事をしなくても困らないことは分かったが、体力が減らないという保障はない。快適な空間を保つ工夫は必要だった。


「……まず、寝床はいるなあ」


 指を折って数えてみた。


「猫の分も含めて寝る場所、あとは調味料と新しい食材、できれば酒も欲しいな。音楽も聴ければベスト」


 一気に確保するのは難しいだろうが、まずは一歩ずつ。焦ることはない、時間はたっぷりあるのだから。





「さて」


 洞窟の外に出たときには、水中に太い光がいくつも差し込んでいた。地上がすでに昼になっているのだろう。


 出かけようとしたら猫に両足をがっちり摑まれてしまい、遊べ遊べとねだられた。そのため、ずいぶん出るのが遅くなってしまった。


「もう一匹猫がいたら、遊び相手になるのかな……」


 そんなことを考えながら、昨日とは反対方向に歩き出した。


 こちらは地面から細かい泡がキラキラと立ち上り、競うように上へ向かっている。その渦を囲むように、魚たちが円を描いて回っていた。


「あれは、網がないと捕れないか」


 ぼんやりと、その幻想的な光景を見てため息をつく。綺麗だとは思うが、今は生活が優先だ。


 しばらく歩くと、壁にぶつかった。右手で触れてみても、球体にならない。動かせない素材のようだ。それに、なぜか少し柔らかい。


「どんな素材でできてるんだ? これ」


 岩より柔らかいから、マットレスがわりにできそうだ。球体にならないから、ウニのトゲで切り出すしかないのだが……。


 そこまで考えたところで、ふと気配を感じた。水晶のような大きな二つの目が、じっとこちらを見ている。それは、明らかに人間のものではなかった。


 悲鳴すら出ない。相手が動き出すまで、しばし私は凍り付いたように動けなかった。


「……珍しい子ですね」


 かけられた言葉が理解できることに気付き、はっとした。体が動く。ようやく相手の体が目に入った。


 パライバトルマリン、という超高額の宝石をテレビで見たことがある。蒼と緑の中間、一瞬で相手の視線を奪う色。それと同じ色の鱗を持った、小丘ほどもあるドラゴンが私の眼前にいた。


「……あなたは」

「別に特別な力も無い、ただの竜ですよ。……君も逃げてきたのですか?」


 迷った末にうなずく。原因がなんだとしても、自分が逃げてきたことは確かだ。


「そうですか。共感します。お仲間とまではいきませんが、私の邪魔をしないようであればそれなりの付き合いはしましょう」

「……ありがとうございます」


 このドラゴンからは、ひしひしと私と同じオーラ──コミュ障の気配──を感じる。付き合いはしても深入りはされたくないという意思が、強く伝わってくる。馴れ馴れしくしないのが得策だろう。


「……では、一つだけいいですか」

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