第8話「独白ー2」
小説が書けなくなった時期に陥った時、ひどい自己嫌悪に苛まされました。
横になって考えるのは、「書けない」ということ。起き上がって、パソコンの前に座って、キーを打つ。それだけのことができない。何も思い浮かばない。書きたいものがなんだったのかも、思い出せない。
次第に自分の存在価値を疑うようになりました。
普通に働けない。
家のことしかできない。
趣味も楽しめない。
書くことが一番の生き甲斐で、生きる道のはずなのに、それができない。
長年染みついた習慣のおかげで生活がひどく乱れるということはありませんでしたが、自分にはなんの慰めにもなりませんでした。
自分の存在価値とはなんなのだろう。
ただ生きているだけでも価値がある、という考え方もあるけれど、自分には到底理解できない。生きている上で何かしらの価値を積み上げ、築き上げなければ、周囲から置き去りにされてしまうのではないか。
実際に今も、「生きているだけでも価値がある」ということに納得もいってなければ、理解もできていません。非常に無礼ですが、それなら生活保護受給者やホームレスや働けない障害者にも価値があるのか……そんな風に考えたりもしています。
価値がある、ないという基準で命を測ること自体が間違っているのかもしれない……とも。その基準は自分の中にあるものなのか、それとも他人・世間・社会から植えつけられたものなのか……。
存在価値についてはまだ考えている途中で、答えは出せていません。
ただ、「書けない」ことで自分には存在している価値がない、と決めつけるのはよくない、悲しいことだと人から言われました。
例えば、自分自身に絶望したとして。自殺を図ったとして。おそらく家族や友人は悲しむでしょう。よく遊んでいる姪っ子も悲しむでしょう。それを思えば軽々しく、自分には存在している価値がないとは言えないはず。
「書けない自分に価値はあるか」
今でも答えの出せない課題です。
今、こうして書けるようになったのは「何を書きたいか」ではなく、「(今の状態で)何なら書けるか」ということに意識をシフトしたのがきっかけでした。
(その結果、「サークル・オブ・マイノリティ」を執筆できた次第です)
「サークル・オブ・マイノリティ」を書けた時は、正直安心しました。「なんだ、書けるじゃないか」と。自分の経験と心情とを吐き出しただけに近いものでしたが、それでも読んでくれる人がいてくれることに、一種の感動を覚えました。
それから少しずつ、自分の書きたいものを思い出し、色々と見つめ直しました。
やはり一年に一回は必ず投稿したいし、デビューを果たして物書きとして生計を立てたい。それが自分の生きる道としか思えないのです。自分で、生きるための可能性を狭めているということもあるでしょうが……。
ただ、物書きを志す上ではやはり基盤となる生活を整えなくてはいけない。
現在はうつ状態から回復しつつあります。日々の生活のため、働く必要がありますが……まだドクターからのストップは継続中です。そのため、今は書くことしかできません。
本音を言えば、働きたくないし働けないだろうなって気もしますが。
正直に申し上げれば、物書きを志すのは無謀であると自分でも思います。
「書く」だけならコピーライターなど、色々あります。それでも小説を書くのは、小説という形で自分の思っていることを伝えたいから。ともすればエゴの反映にもなりかねないけれど、だからこそ挑戦のし甲斐があると思っています。
なんだか話がとっちらかってますね。
長くなってしまったので、ここで締めくくります。
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