第4話「ふと、気分が落ち込む時ー2」
前話で、気分が落ち込んだ時には日記をつけた方がいいと書いた。
実際にやるなら、できれば手書きの方が望ましい——と個人的には思っている。
ブログやSNSに書いた文字(フォント)というものは画一的で、一見すると体裁が整っているように見えるからだ。
しかし、手書きの場合は違う。文字通り指に力を込めて書いた部分もあるだろうし、力がなくて文字がうっすらとしか読めない部分もある。漢字が書けなくてひらがなになってたり、あるいは何度も打ち消し線を入れたり黒く書き潰したり。
嫌な奴、憎い奴の名前を書いて「殺す殺す」だの「死ね死ね」だのと書きまくっても、それはあなたの自由だ。自分だけの手書きの日記、自分だけが読むもの――誰にも見せるつもりがないのなら、好きなだけ書けばいい。
とにかく気持ちを吐き出す。
少しでも気持ちを軽くしたいなら、その方が手っ取り早い。
もちろん、「何を書けばいいのかわからない」ということもあるはずだ。なんで自分が落ち込んでいるのか、わからないこともある。ペンを持って、日記帳を開いて、さて書いてみるぞ……という段階になって、何も思いつかないこともある。
その場合はなんでもいい。過去にあった嬉しいこと、悲しいこと、楽しいこと、悔しいこと、苛立たしいこと……それを「今の自分」の視点で書き起こしてみるなど。「今の自分」から見て過去の経験はどうなのかを、考えてみる。
今でも嬉しく思うか。
今でも悲しいか。
今でも楽しく思えるか。
今でも悔しいか、苛立たしいか……
もしかしたら失敗の連続だったかもしれない。後悔の日々、ということもある。それらが積み重なって、「今の自分」が落ち込みやすい状態を作り上げている可能性がある。
悲しいかな、過去は変えられない。事実を事実として受け止める外ない。
嬉しいこと、楽しいことを思い出せる人は幸いだ。こんなものを読んでないで、さっさと気持ちが明るくなれるような小説を読みに行った方がいい。その方が賢明。
人間というものは不思議なことに、嬉しいことや楽しいことよりも辛かったことや苦しかったことの方を「優先的に」思い出してしまう。
褒められたことよりも、理不尽な理由で怒られたことの方が思い出せるということはなかっただろうか。優しくしてくれた人の顔よりも、殺したいほど憎い相手の顔がくっきりと思い浮かべられる、ということはなかっただろうか。
それならその相手を好きなだけ悪し様に罵ればいい。無論、手書きの日記で。
そして——できるならば、「なぜこの人はこうなんだろう」と考えてみる。「なぜ、こんなことになったんだろう」と思考を広げてみる。自分のせいなのか、相手のせいなのか、環境のせいなのか……少しずつ掘り下げていければベターだ。
ただし——
「どれだけ書き殴ったって、現実は変わらない」
そう思う人もいるはずだ。自分もそうだと思ってる。どれだけ気持ちを吐き出そうが、今、自分を取り巻くものは変わらない。手書きの日記に書き殴るということは、あくまでも自己満足に過ぎない。
ただただ自分を紙面上で露出し、ただただ自分を見つめ直す――それだけ。
では、ここまで書いたことに意味はあるのか否か? 正直に申し上げれば、「わからない」としか答えようがない。
書くこと自体が苦手という人もいるし、物事を多角的に見る、というのがそもそもできない人もいる。書くことひとつとっても、向き不向きがある。そういう人は別の方法で自分を露出しているのだ。SNSで発信したり、強引に人を捕まえて無理やり話を聞かせたり……。
自分はそういうことが苦手かつ内向的なので、自分なりのやり方として書くことを勧めている、というスタンスなのである。
実際にやってみるかどうかは、個々人に委ねたい。そして、自分なりに気持ちが落ち込んだ時にはどうするのかをご教示願いたい。あなたのやり方が他の人にも通用することもあるかもしれない。
あなたのやり方で、もしかしたら——他の人も救われるかもしれない。
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