応援コメント

第三章 第四話(最終話)」への応援コメント


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    工藤行人です。お久し振りでございます。
    本年も折々に下さいました拙文へのフォローや応援、大変有り難く感謝致しております。

    さて、目も綾に語彙の燦めく文体をお持ちの九頭龍さんが敢えて「できるだけ、簡易な文体」によって物語を綴る意味とは那辺に存するか、実のところは解りませんけれども、当御作を拝読した私の目には「燦めき」に似た何かが宿ったような気がしておりまして、拝読してより数日が過ぎておりますこの段階になって、身勝手にも「そういうこと」ではないかと納得しております。間違っているかも知れませんが……。

    色々と調べ乍ら拝読しましたから、十分に理解できているか甚だ心許ないのですが、時空間が引き裂かれてバラバラになって行く中でロマンティスムを一点に収斂させて行く渦巻のような御作だというのが初読の印象でした。何の影響力も持ち合わせてはおりませんが、私のtwitterでご紹介のツイートをさせて戴きましたこと、何とぞお聴し下さいませ。

    作者からの返信

    こんにちは。九頭龍一鬼です。
    まことにおひさしぶりでございます。

    『本年も折々に下さいました拙文へのフォローや応援、大変有り難く感謝致しております。』とのことですが、いつもながら、工藤様の御作はいずれも絢爛たる光輝をはなっていらっしゃって、おなじ創作者として羨望を禁じ得ません。

    『さて、目も綾に語彙の燦めく文体をお持ちの九頭龍さんが敢えて「できるだけ、簡易な文体」によって物語を綴る意味とは那辺に存するか(後略)』とおっしゃるのは、曩時、愚生の近況ノート欄にて対談させていただいた爾時、愚生が『工藤様の文軆に圧倒されたために、愚生は絢爛たる文軆を抛擲し、簡易な文軆に挑戦する』と宣言したことを御記憶なさっていたことについてと存じあげます。

    じつのところ、本作は『愚生の繁文縟礼の文軆が敗因であって、簡易な文軆にすれば一般うけするはずである』と高慢になり、簡易な文軆を目指して執筆し、創元SF短篇賞に応募いたしたのですが、結句、一次選考にて敗衄してしまった作品なのでございます。

    其処で、愚生は『人生のさまざまにおいて、文軆が変遷してもはずかしいことではない』とひらきなおって、また『元来の煩雑な文軆をさらに追窮しよう』と蹶起いたしました。

    具体的には、本来の語彙をもちいながら『プルーストの情景描写と、ジョイスの心理描写を中心に、ムージルの修辞法を参考にする』という新機軸をうちだして、すでに一作、長篇を完成させ、今期の某純文學新人賞に応募済みなのでございます。

    この挑戦が成功するかはわかりませんし、ときおり、あえて簡易な文軆を選択することもあるかもしれませんが、おそらく、愚生はまた、元来の文軆にもどってゆくかと存じあげます。

    ですので、万が一、工藤様が躬自らの影響で愚生の作風が変貌してしまったのではないかと怵惕惻隠されているとすれば、杞憂にすぎませんので御安心ください。

    『色々と調べ乍ら拝読しましたから、十分に理解できているか甚だ心許ないのですが、時空間が引き裂かれてバラバラになって行く中でロマンティスムを一点に収斂させて行く渦巻のような』愚作ということでございますが、一応、SFを執筆する立場として、科學的考証は可能なかぎりやりつくしております。ただし、本作の『ビッグ・リップ』の描写については、物語の性質上、多少、ドラマチックに解釈している部分もすくなくございません。実際にビッグ・リップが発生すると、空間が破裂して、宇宙内の物質がばらばらになるはずですが、其処で、『相対性理論によって、時空間は一致するので、空間がばらばらになれば、時間もばらばらになるはずである』という解釈から、『全人類がいっせいにタイムスリップする』という本作の構想がねられました。

    また、宇宙の最涯てについては、宇宙の膨張のほうが光速よりもはやく、銀河系から宇宙の最涯てを観測することはできません。ですので、宇宙の最涯てについては議論がつづいておりますが、数学者ゲーデルの登場により『宇宙の最涯てのむこうがわ』は、時空が一点に聚斂されている『ゲーデル解』となっているのではないか、という有力な学説がうまれました。『ロマンティスムを一点に収斂させて行く渦巻のような』とおっしゃるところは、このゲーデル解のイメージによるものかと愚考いたします。

    さらに、ゲーデル解を超越したところから観測する宇宙が『二次元』であるのは、現代のアインシュタインといわれている物理学者マルダセナが発見した、重力のホログラフィック原理からの着想でございます。

    つまり、宇宙は内側から観測すると三次元空間でありますが、これは二次元の『膜』にうつしだされたホログラムにすぎず、宇宙の本来の風丰は二次元の『膜』にすぎないという学説です。畢竟、量子力学的に分岐した宇宙のたば=窮極集合は、そとがわから観測すれば、二次元の膜が無数につらなっているようにみえるはずだという予測から、クライマックスの描写がなりたちました。(このあたりは、当時の愚生が精緻な描写を忌避していたので、すくなからず、読者諸賢にはイメージしにくくなっているかもしれませんが)

    『私のtwitterでご紹介のツイートをさせて戴きましたこと、』とのことですが、まことにありがとうございます。工藤様の御蔭で、本作の閲覧数もふえているようです。

    愚生は多人数との交流が苦手なので、Twitterのアカウントは開設しておりませんが(そのために、Twitterをなさるかたがたの勇気を尊敬しております)また、なにかの機会に、工藤様とおしゃべりができたら面白いのではないかと存じあげます。といえども、最近、愚生は鉄工所での作業をしておりますので、迅速な返信はできかねるかもしれませんので、そのときには御諒承いただきたく存じあげます。

    今後とも、愚生愚作ともども、よろしくおねがいいたします。