第三章 第二話

 二年前のおおみそたそがれどきだった。マンション新町の704号室のなかでは夕食の準備がおわっていた。フローリングの豪華な居間で二年前のあいの父親はひととせの最後の食事にそなえて神棚と仏壇にとうしていた。つづいてあいよろずの神様と御先祖様にいのりをささげる。母親はけんもほろろにして夕食の時間をまっている。家族三人が食卓につくとあいの母親がれつなるしぐさでもくとうをささげる。もくとうしている母親にあいはいう。「すみません うちは神道と仏教なんで 御先祖様だけにはおいのりしていただけませんか」と。母親は無視していのりをつづける。やがて儀式がおわり三人で夕食をらいはじめる。いな。あいは食事せずにこうべをしなだれながらいう。「わたしは あなたと御飯たべたくない」と。しばらくして母親が冷徹にいう。「わたしたちがこんなマンションにすめるのはだれのかげだとおもうの まえのおかあさんは弁護士よりもかせいでいたの」と。あいはうつむきながらげつこうしてさけぶ。「わたしは あなたがいまのおかあさんだなんてみとめてないから」と。やにわにたちあがった母親はあいの頭髪をわしづかみにして食卓からひきずってゆく。父親は沈黙して夕食をらっている。母親はベランダのカーテンをあけてがら戸をあけた。たんゆきが疾風でふきこんできる。あいは普段着のまま大雪のベランダにほうりだされ母親はがら戸をしずかにしめた。カーテンもしめられてひかりもとどかない。あいは積雪したせまくるしいベランダにたたずんでいる。ろうこんぱいしたあいは大雪のベランダにしゃがみこんでしまう。やがてあいは全身全霊をとしてふるえながらベランダのへりに直立した。寒風がはだをなぶる。命懸けでベランダからとびおりてにげようとしたのだ。おそらくたすからないだろう。あいはつぶやく。「神様 なんで 人間はこんなに不幸なの」と。同時に部屋のチャイムがなった。母親か父親がとびらをあけるおとがした。室内からごうおんがどよめく。あいは不思議とあんしながら背後をかえりみて様子をうかがっている。中年男性が「おれにうしなうものはもうないんだ」とさけんでいる。中年女性が「あの子はわたしたちがまもる」とさけんでいる。ほかの女性が電話で児童相談所に電話をかけているらしい。もうひとりの男性があいの母親と口論している。そんななかカーテンがあけられてひかりがとどいた。逆光の人蔭ががら戸をひいてあいにてのひらをさしだす。あいはにこりとしてベランダのへりから内側へととびおりてみずしらずの少年を抱擁し慟哭する。あいはつぶやく。「神様 なんで 人間はこんなにしあわせなの」と。少年に抱擁してもらって全身のたんゆきをはらいおとすと室内をみわたした。部屋のなかではピンク・フロイドのTシャツをきてくだけた一升瓶をかかえている中年男性と漆黒のセーターとぼろぼろのジーンズをきた中年女性となぜかいちべつして夫婦とわかる中年の男女がいる。あいの母親と父親はぐったりした様子でしゃがんでいる。あいの母親がいう。「わたしの人生おしまいだ」と。みしらぬ少年はあいにしゃべりかける。「おれは中越高校一年の金城正樹だ もし もういちど会いたかったら この名前でさがしてくれ」と。五人が部屋からきびすをかえそうとしたとき金城正樹すなわち現在のおれは二年前のあいにいった。「宇宙がばらばらになったら あお神社にくるんだ 絶対だぞ」と。おれと家族のみんなは部屋のそとにでてまた時空を超越していった。

 こうやっておれとあいは『った』。

 二年前のおれは『そんなことをなにひとつらず』におおみそをすごしていた。ひととせの行事に特段関心のないおれはたそがれどきがすぎると年末年始のTV番組にも興味をもたずに二階の自室で熟睡した。翌朝すなわち一年前の元旦に覚醒すると一階へとおりてゆき神棚と仏壇におまいりした。なかんずく信仰心があるわけでもなく初詣にでかけるのが面倒なので実家の神棚ですまそうとしたのだ。初詣のかわりのおまいりをすますとすでにおきていた母親のつくってくれたお雑煮をらった。そのとき母親がいった。「さっきテレビで長岡のニュースやってたよ 新町の弁護士が児童虐待で逮捕されたんだって」と。おれは「へえ」といって食事をおえる。つづいて二階の叔父や叔母がめざめて朝食をすますと母親が「初詣にいこうか」といった。おれが「なんで今年だけ おれをつれてくの」というと母親は「なんだか 今年はいくべきなかんじがするの」といった。実家からバスにのってりの道路をとおり母親とあお神社へとゆきおねがいごとをした。「家族がばらばらになりませんように」と。母親は「はやく 正樹に恋人ができますように」とおねがいしたといっていた。数日をへて新学期がはじまるとおれはくだんの母親のおねがいごとをおもいだした。まだ積雪のある母校の中越高校に金髪でカラー・コンタクトをしてショッキング・ピンクのジャージーをまとったえんもゆかりもない少女がやってきたのだ。始業式がおわり校門をでるところだったおれはくだんの奇妙な少女をみつけた。『きっと べつの高校の不良がやってきたんだろう』とおもったそのときおれのことをみつけた少女はそそばしってきておれにいった。「金城正樹さんですよね あのときはありがとう わたし 施設にかようことになったの これからはたらくんだ イオンの二階に洋服屋さんがあるでしょ こんど お店にあそびにきてよ」と。しどろもどろになりながら帰宅したおれは夕食のときなにとはなしに母親にいった。「かあさん なんでおれに恋人ができるといいっておもったわけ」と。母親はいった。「おとうさんが研究してるでしょう 宇宙の大地震みたいなもの そんなことが本当におこるんなら あんたも人生に一回はおつきあいをしたほうがいいんじゃないかとおもったの」と。おれは決心した。幾度かちゆうちよしたが数週間後にイオンの二階の男性洋服店へとおもむいた。金髪でカラー・コンタクトをしたやんちゃそうな少女が一所懸命にはたらいていた。少女のすがたをみるとまたどうがしてちゆうちよしてしまった。そのときなにものかが背中をおした。一瞬かえりみるとにこりとした『おれ自身とくだんの少女』がたっていた。もうひとりのおれがいわく「世界がばらばらになっても おまえたちは一緒にいろよ」と。こうやって最後の決心をした。おれはぶつかった少女にこそばゆいおもいでいった。「あの よくわからないけれど 世界がばらばらになっても ぼくと一緒にいてください」と。少女はまったくおどろかずににこりとして同意してくれた。

 世界はおわろうとしていた。

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