第二章 第四話

 元旦の研究所ではきらびやかな蛍光灯が明滅しながらかがやいていた。研究所の半分はじぐざぐにけずりとられ真夜中の長岡市とつながっている。ぼうぜんしつしていた父親はすぐに冷徹にかんがえて助手にかたった。「研究所の電源は確保されているようだが コンピューターはどうだ 外部と接続できるか」と。助手は疾風迅雷のはやさで外部プロトコルに接続したタブレット型PCを操作してこたえる。「物理的プロトコルのみが接続可能です おそらく『世界はばらばらになっているけれども 物理的環境はゲーデル解でつながっている』とおもわれます つまり 物理的プロトコルは接続可能ですが こいつをタブレット型にしてスタンド・アローンにするとネットにはつなげません」と。父親は助手に指示する。「いまのところつながるのならば いまのうちに 物理的プロトコルで現在のインターネット利用者の行動を把握できないか SNSのリアルタイム・ツリーを確認するだけでいい」と。助手はコンピューターをインターネット・プロトコルにつないで検索欄を空白にしたままリアルタイムのSNS投稿を閲覧しはじめた。助手はいう。「こんなかんじです 『おれが初恋のひとにふられた場所にきている。初恋のひとにふられて泣いてるおれ自身をだきしめてやったよ』『わたしが試験に不合格したときの発表会場にきている。むかしのわたしにあきらめるなっていってあげた』『わたしが流産した病院があらわれた。そのときのわたしと人生についてかたりあったよ』 海外のSNSでは『同時多発テロのときの世界貿易センタービルにいってきた。あのときたすけられなかった部下をにがしました』『ベトナム戦争のころにもどってゲリラ兵の自爆攻撃でうしなった戦友のいのちをたすけました』などです」と。父親はいう。「やはりそうか 今回の本震で『あらゆる人間の執着している場所とつながった』とかんがえられる」と。助手はさらにタイム・ラインをスクロールしてからいう。「それも 今回の本震では まだ『一定の時空内に存在する一部の人間のおもいでの場所だけがつながっている』ようですね ここの景色は教授のおもいでの場所らしくて ぼくの記憶とは関係ありませんから」と。父親はいう。「なぜ『無限大の時空のなかから自分のおもいでの世界がつながった』んだろうか」と。助手は憶測する。「宇宙の構造って脳髄ににているっていうじゃないですか つまりぼくたちが宇宙という巨大な意識をなりたたせる 神経伝達物質のやくわりをなしているっておもえませんか そうすれば 宇宙が再接続されるとき 宇宙の無意識レベルで わたしたちが『連想』する世界が接続されるとか」父親はこたえる。「つまり 宇宙が一種の生命体で ビッグ・リップは生命体の死だというのか」と。助手はいう。「たとえば いまのぎりぎりの状態は『宇宙がそうとうをみている』わけで 宇宙がみているそうとうのなかをわたしたちが生きているとか」父親はこたえる。「ならば とくに我々が意識している世界が接続される つまり 『我々が意識すれば 規則的に時空を超越できる』わけか」と。助手はつぶやく。「たぶん そうなりますね それにしても 『この景色』はなんなんですか」と。父親は沈黙する。

 父親も時空を超越してゆく。

 父親は決意して助手にいう。「ちょっと まっててくれ これはわたしの人生の問題なんだ」と。助手がにこりとしててのひらをふると父親は沈黙しながらかつてヴォーカルとけんした真夜中のアパートをめざしてぎざぎざの時空をまたぎあるいていった。漆黒の暗闇にそびえたつ木造二階建てのアパートの二階にまだ蛍光灯のあかりがきらめいている部屋があった。部屋の窓辺ではひとりの中年男性がアコースティック・ギターを掌握しながらなにがしかとしゃべっている。現在の父親はかいわいのコンクリート塀にからだを密着させて会話にみみをそばだてる。中年男性とは相違するわかい男性のこえがきこえる。「今度こそ デビューできたかもしれなかったんだ なのに またいわれたじゃないか おまえの音楽も歌声もパフォーマンスも 全部時代遅れだって」と。現在の父親は右腕で胸郭をおさえつけながらききつづける。まちがいない。『二五歳のときの自分』だ。二五歳の父親はつづける。「おまえってもう四〇歳だろう おれたちはともかく おまえはもう音楽でプロなんて無理なんだよ」と。四〇歳のヴォーカルはぼしのひとつもかがやかないぬばたまの夜空を仰視している。二五歳の父親は焦燥したこえで「もうバンドは解散だよ おれは大学院にりなおす」とつぶやいて沈黙した。ややあってアパートの階段をかけおりる足音がした。現在の父親は足音に注意しながらアパートの階段をあがりあけっぱなしのドアのなかにっていった。ヴォーカルはかえりみていう。「よう ひろ」と。現在の父親はいう。「おれがわかるのか」と。ヴォーカルが「ああ なんかわかるよ 三〇年もロックやってるからかな ところで おれはこれからどうなるのさ」というので現在の父親は「おまえは四五歳でせきてきにデビューする が 大金がころがりこんで覚醒剤に手をだして引退する それからはホームレスになって新潟駅前で禁断症状にもんぜつするようになる おれがいにいっても わからなかったよ」という。ヴォーカルが「そうか そのころにはわからなくなるのか」といい現在の父親は「いいのか これでもミュージシャンをめざすのか」ときく。ヴォーカルが「はは 最高にロックじゃん 安心したよ おれなりに必死に生きてるかんじがするよ」というので現在の父親は「じゃあ おれはなにもしなくていいんだな」という。ヴォーカルが「あたりまえじゃん ところでさあ この世界にしあわせな人生って存在するのかなあ」というので父親はなみだをこらえて「をとじれば人生は簡単だ すべてについて間違えればいいんだから って おまえのこの翻訳って 誤訳だよな」といった。ヴォーカルがギターでコードをひいた。現在の父親はすぐにおもいだした。ふたりはビートルズの『ストロベリー・フィールズ・フォーエバー』をうたった。

『現実なんて存在しない。なにも心配することはない。』

をとじれば人生は簡単だ。すべてについて間違えればいいんだから。』

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