第二章 第二話

 きらびやかな陽光が窓外から扇状にきらめいている母校の体育館の物置で過去の叔母はひざまずいていた。中学生である過去の叔母のまえには漆黒の長髪で銀縁のめがねをかけた清純なる風貌の美術部の部長がそびえたっており両側に筋肉質な運動部の女子部員と男子部員がたたずんでいる。過去の叔母は幾度もつぶやく。「ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい――」と。筋肉質な男子部員が過去の叔母のむなぐらをわしづかみにして直立させる。過去の叔母のこうべは背後にしなだれる。過去の叔母がしわがれたこえで「ごめんなさい ごめんなさい――」といっていると女子部員が過去の叔母の頭髪をつかんでまえをむかせる。清純なる風貌の部長は冷徹ながらも威圧的な口調でしゃべる。「あんた もう やばいね あたまがいかれちゃってるみたい 精神科にいったほうがいいよ わたしが学校やすむ口実をつくってあげるから」と。部長の右手にははくいろのアンティーク・ナイフがにぎられている。男子部員が過去の叔母の両脚をおりまげてしゃがませる。女子部員が過去の叔母のこうべのこめかみをつかんでまえをむかせる。部長は表情のないこえで過去の叔母のみみもとにささやく。「ほおにきずがあるまんま学校にきてもいいんだよ 学校にくるか精神科にいくか えらばせてあげる」と。部長がナイフのきっさきを過去の叔母のひだりのほおにあてて一文字に斬ろうとしたときだった。なにかしら『かよわい』ちからで物置のとびらが沈黙したままひらかれていった。部長も男子部員も女子部員も教師にまでおそれられていたので過去の叔母の担任がきたくらいではおどろかない。ならばだれがきたのだろうというがんぼうで部長と部員たちはとびらがわをみつめる。ひだりのほおに傷跡のある見知らぬ中年女性だ。冬物のセーターをまとった中年女性はこうべをしなだれてたゆたいながら部長に肉薄してゆき筋肉のそげおちた微弱なちからの両腕で部長のむなぐらをつかんだ。現在の叔母はぜいじやくなのどをふるわせてさけぶ。「その子をいじめるんなら わたしをいじめなさい わたしをころしたっていい でも この子には絶対に手をださないで このままだと この子のこころが死んじゃう」と。男子部員が沈黙しながら現在の叔母をひきはなそうとすると無表情の部長は動揺をかくした様子のこえで指示した。「こいつ ほんものだよ ね そうでしょう みんな やばいからかえろう」と。部長と部員たちが物置からでてゆこうとするなか現在の叔母はさけびつづける。「もう二度とこの子をいじめないで つぎがあったら わたしはかならず あなたたちをみなごろしにするよ」と。現在の叔母は妄想にひようされて支離滅裂に絶叫する。過去の叔母は絶叫しつづける現在の叔母のあたまにおそるおそるてのひらをあてた。現在の叔母は沈黙する。過去の叔母は現在の叔母のあたまをなでさする。

 過去の叔母の人生はひようへんした。

 過去の叔母はめんの状況からぬけだした。また美術部の部長にいじめられてもおかしくはなかったがくだんのなぞめいた中年女性とたいしてからなぜか部長はしおらしくなった。中学生の叔母は情報をしゆうしゆうしたが教員もじっぱひとからげのほかの生徒も最愛の両親もいじめに気付いていなかったし中年女性のこともらないようだった。中学生の叔母は特段不思議にはおもわなかった。そもそもこの人生には不思議なことがおおすぎる。かような感慨で中学三年生へと進級しいじめっこたちは卒業した。過去の叔母はちゆうちよした。ちゆうちよしたうえで絵画の才能をすてた。突然『わたしは精神科医になる』とみなに宣言した。不思議なことにだれもが過去の叔母の意見に同意してくれた。こうして過去の叔母は地元の難関校へと進学し一浪して新潟だいがく医学部に合格した。六年間の医学部時代をへて精神科医となった。新潟だいがく附属病院に勤務したのちに新潟市内の精神科専門病院にまねかれる。さらに自由に活動できるように長岡市内で個人経営のクリニックを設立した。べつけんするとありふれた精神科クリニックだが過去の叔母はいじめ問題に特化した診療を遂行しさような問題をかかえる老若男女を治癒させる地元の名士となった。午前が当日の通院患者むけで午後は予約制の特別患者むけとなっている。某日午前の診療をおえて患者様たちのカルテをみながら昼食をとり午後の診察の時刻となった。予約していた患者様がよわよわしく診察室のとびらをたたく。過去の叔母が「どうぞ おはいりください」という。ゆっくりととびらがひらかれると見覚えのある中年女性がってきた。こうべをしなだれてゆらめきながら着席した中年女性のひだりのほおには一文字の傷跡があった。この人生には不思議なことがおおすぎる。といえども過去の叔母にとっては不思議でもなんでもなかった。このかたはおひとりの患者様だ。自分には肉体のがんを手術することとおなじでたましいのがんを治癒する使命がある。天命がある。自分は『このために生まれてきた』のだ。現在の叔母はこうべをしなだれながらしゃべりはじめる。憂鬱でよどんだ雰囲気だがひとことひとことに切迫感がある。少女時代からいじめられて中学時代に上級生から暴行をうけた。某日体育館の物置につれていかれてひだりのほおを傷付けられた。二度と学校にはいけなくなった。顔面の傷跡のためにようやく教員や家族がいじめに気付いてくれてひきこもりとなった。自分の居場所はできたが一週間に幾度かくだんの上級生がナイフをもって部屋にってきて自分のかおをめつりにする――。過去の叔母は宣告した。「精神分裂病です ほんらいならばなおりませんが わたしはいのちをかけてあなたをなおします わたしが死んでも あなたを絶対に生かします」と。

 母親は悪夢の再現を体験していた。


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