第一章 第一話

  第一章


 TVでおやが激怒している。

 まるで世界の最後みたいにさけんでいる。

「NASAのマイクロ波観測衛星とチャンドラX線衛星による計算によれば 二〇〇四年当時の宇宙内の暗黒エネルギーは七五% 暗黒物質は二一% ほかの物質が四%とされておりました それが昨年の同計算によって 宇宙全体の暗黒エネルギーが指数関数的に増加していることが確認されたんです これは非常に危険な状態です 宇宙内の暗黒エネルギーが増加すれば 宇宙全体の直径が増加することになります 無論 暗黒エネルギーが指数関数的に増加してゆけば 宇宙の輪郭は加速度的に膨張したうえで 最終的には 微分値的に発散して 特異点にたっすることになります 宇宙全体の体積が特異点にたっすれば 宇宙内の全物質が原子レベルで崩壊し 世界はしゆうえんをむかえるといわれています ええ いわゆるビッグ・リップです それが現在までの一般的なビッグ・リップによる宇宙のしゆうえんだとおもわれていました このモデルにしたがえば ビッグ・リップが発生すると 隣接する銀河同士から我々の肉体の量子同士まで 宇宙内の森羅万象がばらばらになっておしまいです が 我々研究所ではほかのモデルも議論されています 暗黒エネルギーと対をなす暗黒物質が 真空地帯において時空連続体仮説にのっとって存在するとすれば 暗黒エネルギーの指数関数的増加による微分値的発散と同時に 宇宙内では時空連続体のはんちゆうで世界が崩壊し 一種ア・プリオリな時間と空間そのものがばらばらになる可能性があります 宇宙がカラビ・ヤウ多様体から発生し しゆうえんするまでの全量子論的分岐のすべてがひとつのブロックとしてかんできるというブロック宇宙論にてらしあわせると 前述のビッグ・リップ発生時に 宇宙のかいびやくから宇宙のしゆうえんまですべての時空が『ごちゃまぜ』になるとおもわれるのです わたくしはぶんがく的な表現がにがてなのですが あえてさせていただくと さきほどもうしあげた『多元宇宙のブロック』ががらのかたまりとしてうちくだかれ もみくちゃにかくはんされるというイメージです ブロック宇宙はディラック方程式的に波動関数のしゆうれんしたすべての宇宙のかたまりなので これがかくはんされると 七〇億の全人類が一挙にタイムスリップすることもかんがえられます それも すべての人間が『もうひとつの世界』へとまよいこむというモデルも想定されます そのとき 宇宙はどうなるのか 人類はなにを体験するのか そのときがあきらかにせまっているわけです」

 玄関のチャイムがひびく。

 雪曇りの元旦に一軒家の居間でたつりながらTVをみていたおれは台所で食器洗いをしてくれている母親にいった。「お客さんだよ おれ いま出られないから」と。母親は「出られるでしょう あかちゃんじゃないんだから」といいながらも食器洗いをひとくぎりつけて玄関へとあるいてゆく。おれは居間にしてはばかでかいTVをみつづける。インテリゲンチャむけとはおもえないけばけばしい装飾の舞台にU字型に明滅する透明なテーブルが設置されロッキード事件を穿せんさくした有名な学者を中枢に政治学者や経済学者や人文科学者や自然科学者がすわっている。そのうちのひとりがおれのおやだ。政治学者がおれのおやにいう。「そんな ファンタジーなことをかんがえているから税金泥棒とよばれるんだ」と。経済学者がささやく。「まん主義者ならあんただってまけてないだろう」と。司会の学者がにこりとして微笑しているなかおれのおやはいう。「ファンタジーでもまん主義でもない これが現実なんです」と。障子張りの引戸がさつそうとひらいてあいが挨拶をする。「あけおめー 今年もよろしくね」と。黄金色の頭髪やカラー・コンタクトレンズといったおしやがんぼうとはたいしよてきに洋服はショッキング・ピンクのジャージーとさくらのしゆうされたスカジャンである。おしやの感覚がおかしいのではない。施設でくらしながら労働少女をやっているあいの所持金ではこれが限界なのだ。居間にってきたあいはいう。「元旦から『朝まで生テレビ!』やってるの おもしろそう」と。おれはいう。「ちがうよ 録画の討論番組だよ おやが出演してんだ」と。「録画なら きょうはおとうさんもうちにいるの ご挨拶しなきゃ」とあいがいい「いや それが最近 妄想がひどくなって おおみそから京都だいがくの研究所に籠城してる 宇宙がばらばらになるんだってさ」とおれがいう。「じゃあ あお神社にいかないとね」とあいがいうので「その予定じゃん」とおれがいうと「ちがう あのときいってくれたじゃん 世界がばらばらになったら あお神社にいけって」と支離滅裂なことをいう。食器洗いをしてくれたばかりの母親が三人ぶんのお雑煮をつくってもってきてくれるとあいはこうべをしなだれて「あのときは本当にありがとうございました いまはグループホームにって アパレル関係で仕事してます」という。おれは「いつもこうなんだよ 去年こいつがいきなり高校にやってきて おれが告白してつきあいがはじまったんだけどさ そのまえに おれたちがこいつをたすけたっていってさ」という。母親は「それも御縁っていうんじゃないの」とおれにいい「こんなあまえんぼうの息子だけど 大事にしてやってね」とあいにいう。あいが「お雑煮 ありがとうございます」といいたつるとおれの母親は「いえいえ」といい居間からでて二階へとあがっていった。あいは「あれ お雑煮はわたしと正樹とおかあさんのぶんじゃないの」という。

 おれは沈黙してためいきをつく。

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