一生懸命生きる女。序章

桃井麗子

第1話

『子供ができたら、その子のビルを買おう。』

『子供ができたら、会社の後継者にするつもりだ。』

『舞と子供だけのマンションも準備するよ。』


この言葉に、私(舞)の心は踊った。これで、頑張って稼ぐことをしなくてもいいんだ。これで、貧乏の過去と縁を切ることができる。お金持ちの仲間入りだ。


『だから、僕の子供を産んで欲しい。舞との子供を育てたい。』


貝島は続けて言った。真剣な目だ。5年前に知り合った時は、彼のことをただの裕福なおじさんとしか思わなかったが、今目の前にいる彼は、明らかに違う。

ミシュラン1つ星のフレンチレストランで控えめネイビーのバーバリーのスーツを身にまとっている。かっこいい。ダンディー。内心そう感じて、初めて、彼にドキドキした。


『付き合ってる銀行員の彼氏がいるの。その人に結婚したいって言われてるの。(バツイチの子持ちなんだけど)』


一応、正直に言ってみる。心の声は閉まっておいた。


『一緒に住んでみないか。僕の家を自由にしていいよ。その銀行員よりも僕の方が浮気の心配もないし、僕の持っているもの全てを舞と子供に渡すよ。僕には家族がいないから、舞と生まれてくる子供だけが僕の家族で、僕の全てを渡したい。』


心の声が聞こえたの?今の彼氏は子持ちだから、例え結婚しても財産は彼の前妻との子供と、私との子供の間で分割することになる。全てが2分割になる。それよりも、貝島の提案の方が、魅力的だな。したたか女の計算がよぎる。

そして、何より、貝島は毎日のように同じ経営者仲間と決まった場所で食事をして、週末は決まった人たちと趣味を楽しんでいる。5年前に知り合った時から変わらない。固定の彼女の噂も影も感じたことがない。

むしろ、『僕は一人で十分楽しいんだ』がいつもの口癖だ。


そんな彼から、今、私はプロポーズを受けている。50歳を目前にして家族をが欲しくなったようだ。資産を自分の血筋の子供に継がせたいようだ。


本当はすぐにでも、『Yes, I do !!!』と返事をしたかったが、今の彼氏とまだ別れていない。酷すぎる女と思われたくない。そして、すぐに返事をしたら、貝島に軽率な女と思われかねない。プロポーズは普通、指輪がついてくるのに、指輪もないではないか。

『考えさせて欲しいな。』と伝える。


次の日から、貝島のアプローチが始まる。

『舞、ゴルフに行こう』

『舞、船を買い替えたから、一緒に乗ろう』

『舞、アウトレットへドライブに行こう、ついでに買い物もしようか。』


並べてみると、よくあるお金持ちのおじさんが愛人にしたい人に言いそうな内容ばかりだ。

しかし、私は何年も前から貝島を知っているし、本当に貝島は彼の持っているものを私と共有したいだけなんだ、と考えていた。


貝島からプロポーズを受けてから、銀行員の彼とは一度も会っていない。貝島から毎日デートの誘いがあり、忙しかったのだ。

暫くして、銀行員の彼と別れた。バツイチ子持ちの人と一緒に人生を歩んでいける自信がない、と言って。あなたと結婚して子供ができたら、前妻の子供と私の子供が比較されてしまうリスクを負いたくない、と言い訳も付け加えた。

貝島のことは一切口に出さなかった。別れたい理由も嘘ではなくて事実だから。銀行員は何が起きたか分からないまま悲しそうにしているだけだったが、私は見えないふりをした。


貝島に銀行員と別れたことを伝えると、すぐに婚約指輪を買いに行こうと提案された。

ハリーウィストンの指輪を見に行った。どうせ、ビルもマンションも私と子供のものになるんだ。不労所得で一生食うに困らなくなる。物欲がそんなにない子だと思われた方が得だと考えて、500万円の隣の隣の150万円の小ぶりで、控えめなダイヤの指輪を選んだ。

貝島は、経営者仲間みんなに自慢した。『僕の婚約者は若くて美人でお金がかからない。資産を無駄遣いしない、いい子だ。』

周りの仲間も、同意していた。貝島が羨ましいよ、と。

150万円を選んだら、褒められた。そんな経験は初めて。もしかして、これは、序章にすぎないのかな。私は、また、心が躍った。

自分のお金で買えないものは、身の丈以上で度を超えた欲と考えていたので、さほど物欲もなかったが、急に、バックにヒールに、綺麗な服たちが脳裏に浮かんだ。どれも、指輪の10分の一もしないから、お願いしなくても日常的に買ってくれるかな。と、にやけた。


舞は人生で一番、貧乏という言葉から遠いところに立っているという感覚を全身に浴びて、そして、人生で一番、愛されているということを全身に感じて、幸せを噛み締めていた。


続く

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