第14/23話 満身創痍
「ペナルティが終了しました」
そんな声が聞こえてきて、意識が覚醒した。
(……?)
十秒ほど、いろいろな疑問が、脳内を駆け巡った。ここはどこなのか。今は何時なのか。どうしてこんな所にいるのか。
しかし、二十秒も過ぎた頃には、すべての経緯について、思い出していた。(そうだ……)と、心の中で呟く。(赫雄とのギャンブル対決の最中だったんだ。どうも、ペナルティの途中で、気絶してしまったらしいな……)
そこまで考えた次の瞬間、全身に、ずきんずきん、どくんどくん、じわんじわん、その他、形容しがたい痛みを、味わい始めた。正確には、今までにも、味わってはいたのが、いわばBGMのような存在で、ろくに意識していなかったのだ。
「うう……」
競一は呻き声を上げた。口から、唾だの血だのが混ざった液体が、涎のごとく垂れており、顎を伝った後、床に落ちていた。それは、口の中にも、嗽の時に溜める水道水のごとく、満ちていた。
競一は、痛みに耐えられる限り、首を動かして、辺りの様子を確認した。彼は、床の中央付近で、俯せになっていた。あちこちに、血が付着している。しかし、どれも少量、いや、少なくない場合もあったが、いずれにしろ、多量ではなかった。歯だの爪だの、肉体の一部が転がっている、ということもなかった。
(これくらいの量の出血なら、少なくとも、失血死、という事態は避けられそうだ……)
そんなことを考えていると、がちゃり、ばたん、という音が、足を向けているほうから聞こえてきた。次いで、朋華の、「ご主人さま!」という声も、耳に入った。
それから、どたどた、という音と振動を介して、彼女が近づいてきていることが感じられた。その後、まず、両手の手錠が、次に、両足の手錠が、がちゃり、がちゃり、と外された。
「ご主人さま……」朋華が背中を摩ってきた。「大丈夫……ではありませんね。動けますか?」
「ちょ……ちょっと、待ってくれ……」
そう言うと、競一は、全身に力を込めた。なんとか、体を、ごろん、と右に回転させ、仰向けになる。
視界の右半分に、朋華の顔が映り込んだ。目は潤んでいて、今にも、涙が溢れてきそうだった。
競一は、両手を、床の上、腰の横あたりに置いた。力を入れると、上半身を、ぐぐぐ、と持ち上げた。
「いてててて……」思わず、そんな声が出た。
「無理、なさらないでください」
朋華は、競一の背中を両手で支えた。そのまま、彼が上半身を起こすのを、手伝う。
なんとか、競一は、両足を前方に投げ出すような形で、床に座ることができた。両腕を、前に出すと、それらに、視線を遣った。
あちこちに青い痣が出来ていた。赤い擦り傷も、いくつか存在している。それらからは、血が垂れていたが、大した量ではなかった。目視した限りでは、骨折や脱臼の類いも、発生していなかった。
競一は、軽く、指を曲げたり、腕を回したりしてみた。そのたびに鈍痛が生じ、顔を顰める羽目になったが、動かすこと自体は可能だった。
「よかった……」彼は、ふう、と安堵の息を吐いた。気が緩んだせいか、さきほどからBGMのように感じている痛みが、ひときわ大きくなったような気がして、思わず、呻いた。「……両腕さえ、動かすことができれば、ギャンブルは続行できるからな……」
競一は、その後、両脚に視線を遣った。靴と靴下を脱いで、ズボンの裾を捲る。
まず、右脚は、あまり問題はなさそうだった。腕と同じく、あちこちに青い痣や赤い擦り傷が出来ていたが、骨折や脱臼の類いといった大怪我は負っていなかった。
問題は、左脚だった。基本的には、右脚と似たような状態である。しかし、踝のあたりが、赤黒くなっていた。
競一は、試しに、左脚を捻ろうとした。
直後、ずっきんっ、という激痛に襲われた。
「うお……!」
思わず、競一は、大きな声で呻いた。歯を食い縛ったため、ぎりり、という音が鳴った。脂汗が頬を垂れ、一瞬、気が遠くなりかけた。朋華が、背中を摩ってくれたおかげで、しばらくすると、なんとか、痛みがマシになった。
「これは、捻挫か……!」
その後、競一は、朋華の肩を借りて、立ち上がった。女性に、これほど体を密着させるのは、人生で初めてかもしれなかったが、興奮などしていられなかった。
二人は、その状態のまま、移動し始めた。ビッグロールマシンの中から出ると、舞台の端に設けられているステップへ歩いていった。
「朋華……」競一が、そう言ったので、朋華は、視線を向けてきた。「おれの手錠の鍵は、どうやって手に入れたんだ?」
「森之谷さんたちと話をして、貰いました。ペナルティが始まる前ならともかく、終わった後なら、借りてもいいでしょう、って言って……」
「なるほどな……」
しばらくして、ホールに下りた。さいわいなことに、その頃には、もう、痛みにも、だいぶ慣れていた。その後、競一は、左足を引き摺ることで、朋華の力を借りることなく、移動することができた。
(ペナルティロール、七回でも、この有様だ……もし、二十回、三十回も受けるようなら、死んでしまうに違いない)
競一は、自分たち専用のテーブルについた。椅子に、腰を下ろす。赫雄も、すでに、自分たち専用の席に、座っていた。
森之谷が、「セット2を開始する前に、インターバルを挟みます」と言った。「現在時刻は、午後四時四十分。セット2は、午後五時零分から、開始します」
「それでは、午後五時零分になりましたので、セット2を開始します」
そう森之谷が言ったので、競一は「いてててて……」などとぼやきながら、腰を上げた。
すでに、ペナルティを受ける前、朋華に渡していた物は、すべて受け取っていた。左手首には、リストバンドを嵌めており、ズボンのポケットには、蓬莱玉、三個を入れていた。
(インターバル中、朋華に頼んで、自分では見られない、腿の裏側や背中などを確認してもらったが……特に、大きな怪我は負っていなさそう、とのことだった。それに、現時点においても、特に、吐き気や寒気のような、深刻な体調不良は感じていない……これなら、ギャンブルを続行できる。……まあ、そんな深刻な体調不良を感じていたところで、ギャンブルは、続行させられるかもしれないが……)
競一は、包帯だの湿布だのといった手当ては、いっさい受けていなかった。そのような行為は、森之谷たちにより、明確に禁止されていた。なんでも、「本番のイベントでも、プレイヤーは、怪我を負っても、まったく手当てを受けない」「手当てを受けられたら、テストの意味がなくなる」とのことだ。
彼は、のろり、のろり、と移動すると、ギャンブルに用いるテーブルの前に置かれている椅子に、どか、と腰かけた。各種の備品は、インターバル中、清掃されて新品同様になっていたり、交換されて新品そのものになっていたりした。埃にしろ傷にしろ、どこにも存在していない。
赫雄は、すでに席についていた。彼の陣地の、競一から見て左上隅に、所持チップの山が、右上隅に、ロールマシンとカバーが置かれていた。RT・BTタイマーとカードボックスは、セット1と同じ位置にあった。
「セット1では、品辺さまが敗北されましたので、ボーナスの1CPは、品辺さまに贈呈されます。すでに、チップの山に、追加してあります」そう森之谷が言っている間に、贔島が、衝立を設置した。「それでは、ラウンド1のロールタイムを開始します」
(さて……《運動予測》を行使して、出目を予測しないとな)
その後、競一は、考えたとおりに行動した。結果、【深】は【③646】、【中】は【⑤666】、【浅】は【①214】となった。
(こりゃ、深く考えるまでもない……【中】を選ぶべきだな)
それから、競一は、出した結論のとおりに、トリガーを、ぱちん、と弾いた。サイコロが、ごろんごろん、という音を立てながら、転がり回り始めた。
しばらくして、それらのうち、三個が止まった。出目は、【⑤66】だった。最後の一個は、まだ、スピンしている。
(よし……予測どおりだ!)競一はガッツポーズをしようとした。途端に、鈍痛を味わったので、慌てて、腕から力を抜いた。(後は、最後のサイコロだけだ……!)
彼が、そう考えた、次の瞬間だった。
どん、という鈍い音が鳴って、テーブルが、軽く振動した。音は、衝立の向こう側から聞こえてきた。
(な……?!)
振動は、ロールマシンにも伝わった。直後、スピンしていた最後のサイコロが止まり、こと、という音を立てた。
出目は【1】だった。役は【⑤661】だ。
「う──」
思わず、大きな声で唸ってしまいそうになった。喉に渾身の力を込め、必死に抑える。
(ぐ……【半ゾロ】だと……?!)競一は顔を顰めた。(もう少しで【準ゾロ】だったってのに……! 赫雄め、どんな理由かは知らんが、余計なタイミングでテーブルを叩きやがって……!)
競一は、相手の顔を射抜くつもりで、衝立の、それが存在しているあたりを、きっ、と睨みつけた。
(だが……赫雄がテーブルを叩いたことを、抗議することはできない。別に、「ロールタイム中はテーブルを叩いてはならない」なんてルールがあるわけじゃないんだ。
だいいち、赫雄がテーブルを叩いたのは、わざとじゃないだろう。このことについて、強く抗議すると、やつに、「どうして、テーブルを叩いたくらいで、これほど強く抗議するんだ?」という疑問を抱かせてしまうかもしれない……ひいては、おれの【ハンド】について、その内容を推測されてしまうかもしれない)
競一は、その後も、衝立の、赫雄の顔が存在しているあたりを、じーっ、と睨み続けた。しかし、十数秒後、はあ、と、相手に聞かれない程度に、溜め息を吐いた。
(これ以上、やつを憎んだって、仕方がない……もう、役は【⑤661】で決まってしまったんだ。これで、ベットタイムに挑むしかない)
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