第06/23話 選手入場

(ついに、か……)

 競一は、そう心の中で呟くと、慌てず急がず、ゆっくりと立ち上がった。さきほどまで、ひたすら、緊張を解していた甲斐はあり、頭の中が、気持ちが緩まない程度に、すっきりしていた。

 競一たちは、礎山の後に続いて、歩いた。三人は、二日月を出ると、エレベーターで一階に行き、哥納に入った。

 ホールは、中学校の体育館のように広大で、グランドホテルのロビーのように豪華だった。奥の壁に沿うようにして、舞台が設けられている。それの中央には、何やら、巨大なマシンが置かれていた。

 舞台の手前には、席が三つ置かれていた。それらは、出入り口のほうから見て、三角形に配されていた。

 三席のうち、手前に位置している二席は、円いテーブルと、曲線的な椅子で構成されていた。向かって左にある席の上には、「品辺 様」と書かれた札が、右にある席の上には、「轟橋 様」と書かれた札が載せられていた。

 三席のうち、奥に位置している一席は、テーブル全体が、灰色のシートで覆われていた。それの左右の辺に、椅子が、一脚ずつ置かれている。テーブルは、どうやら、長方形をしているようだった。

「品辺 様」席と「轟橋 様」席の間には、四十代くらいの男性が立っていた。紺色をした短い髪を、オールバックに整えている。瞳は紺色で、目つきからは、強かな印象を受けた。身長は、競一より、一頭身ほど高かった。

 彼は、競一たちのほうに、顔を向けていて、にこやかな笑みを浮かべていた。白いワイシャツを着て、黒いスラックスを穿いている。さらには、黒いジャケットを羽織って、紺色のネクタイを締めていた。

 競一たちは、礎山に連れられて、彼のほうに向かっていった。しばらくして、到着した。

「森之谷さん」礎山が男性に声をかけた。「品辺さま一行をお連れしました」

「品辺さま。晶屋さま。お待ちしておりました」森之谷は、そう言って、頭を下げた。「わたくし、『昌盛』にて、主任を務めております、森之谷と申します。このたびは、品辺さまと轟橋さまのギャンブル対決に、立ち会わせていただきます。よろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 競一は、そう言うと、ぺこり、と頭を下げた。立会人に対して、丁寧に接しておいて、損はない。朋華も、同じタイミングで、同じ動作を行った。

「現在、贔島が、轟橋さま一行を呼びに行っています。もうしばらく、お待ちください」森之谷は、「品辺 様」の札が置かれている席を指した。「そちらの席は、品辺さま一行の専用です。どうぞ、ご自由にお使いください」

「ありがとうございます。……ただ、ギャンブルの前に、二点、確認しておきたいことがあります」競一は、森之谷の顔を、じっ、と見つめた。「第一に、赫雄のやつは、ちゃんと、おれの要求したとおりの物を、持ってきているのでしょうか?」

「その件につきましては、すでに、確認しております」森之谷は、にこにことした笑みを崩さずに即答した。「轟橋さまの提出された動画には、彼による、『ファイアエンターテイナー』としての犯行の一部始終が、しっかりと記録されていました」

「安心しました。赫雄のやつが、ちゃんと、データを持ってきているかどうか、どうしても不安だったもので……」競一は、ふう、と軽く溜め息を吐いた。「では、第二に、赫雄たちの記憶から、おれたちに関する情報を消去することのできるような【ハンド】を有する人物は、手配していただいているのでしょうか?」

「もちろんです」森之谷は同じように即答した。「その人物には、今、多羅葉にて、待機していただいております。品辺さまが勝利された場合、お呼びして、轟橋さま一行に、【ハンド】を行使していただく予定です」

「なら、よかった。……質問は、以上です」

 その後、競一たちは、自分たちの席についた。赫雄たちが来るのを、待つ。

(ここでは、リラックスするのは、やめておいたほうがよさそうだな……まだギャンブルは始まっていない、とは言え、いつ何が起きるか、わからない)

 数分後、出入り口のほうから、がちゃり、という音が聞こえてきた。そちらに、ばっ、と視線を遣る。

 三人の人物が、ホールに入ってきた。そのうち一人は、贔島だった。後ろの二人を、先導している。

 残り二人のうち、片方は、轟橋赫雄だった。磊田から貰った資料に掲載されていた写真のとおりの顔立ちをしている。身長は、競一より、一頭身ほど高く、体は、筋骨隆々としていた。明るい黄色の半袖シャツを着て、さらに明るい黄色の半ズボンを穿いていた。

 もう片方は、轟橋竹彦だった。年齢は、おそらく五十代。暗い金色の短い髪を、七三分けに整えている。瞳も暗い金色で、目つきからは、虚ろな印象を受けた。身長は、競一より、やや低いくらいで、体は、痩せ細っていた。暗い橙色の長袖シャツを着て、暗い黄緑色の長ズボンを穿いていた。

 贔島たちは、まず、森之谷の所へ行った。彼は、轟橋たちに対して、相変わらず丁寧な自己紹介をした。

「森之谷か。よろしく。……で」赫雄は、ぎょろり、と眼球を動かすと、競一を睨んできた。「あんたが、おれの対戦相手の、品辺とかいうやつか?」

「そうだ」競一は、こくり、と頷いた。

「ふうん……」

 赫雄は、顔を上下させると、競一の全身を、舐め回すように見つめてきた。競一は、下劣な視線を向けられている女性のような気分になった。

 その後、赫雄は、くくく、と嗤った。「どんなやつかと思ったら……大したこと、ねえな」

 それから彼は、視線を、朋華に向けた。目を、わずかに大きく開くと、「おお」と言う。

「可愛いねえ。品辺の女か?」

 朋華は無表情を崩さずに「違います」と言った。「ただの使用人です」

「なら、好都合だな」赫雄は、にたにた、とした笑みを浮かべながら言った。「そんなやつ、放っておいて、おれの女になれよ。楽しませてやるぜ、いろいろと──」

「おいおい」彼の台詞を遮って、競一が言った。「現実逃避か? これから、ギャンブルだってのに、ナンパとは……そんなに、おれと戦うのが、怖いのか?」

 赫雄は、ゆっくり、競一のほうを向くと、「逆だよ」と言った。彼は、相変わらず、にたにた、と笑っていた。「おれにとっちゃ、お前とのギャンブルなんて、大した用事じゃねえ。だから、それを前にして、なお、ナンパしていられるのさ」

 数秒の沈黙があった。森之谷が、「では、さっそくですが」と言って、それを破った。「お二人にプレイしていただくギャンブルについて、説明いたしましょう」

 競一たちは、彼に視線を向けた。

「ギャンブルは、『ゾロ目ポーカー』です。簡単に表現しますと、サイコロを使ったポーカーです。いくつかのサイコロを振り、それらの出目で作った役を、勝負させます。

 勝負は、『ラウンド』という単位で数えられます。ラウンドは、六つまとめて、『セット』という単位で数えられます。

 お二人には、一つのセットにおいて、六つのラウンドを通して、所持しているチップを奪い合っていただきます。そして、最終ラウンド終了時に、所持チップが多いプレイヤーの勝利、少ないプレイヤーの敗北です」

 勝利、敗北、と聴いて、競一は、森之谷の話に、より、意識を集中させた。

(だが、やつは、「一つのセットにおいて」と言った……ということは、あるセットで敗北したとしても、ギャンブルそのものに敗北するわけではない、ということか?)

「あるセットにおいて、敗北したプレイヤーには、ペナルティを受けていただきます」

 競一は、思わず眉を上げた。(ペナルティ?)

「舞台の上に、大きなマシンが設置されているでしょう」森之谷が、そう言って、それを指したので、競一は、釣られて、視線を動かした。「あれは、『ビッグロールマシン』と言いましてね。台座の横に、トリガーが付いているでしょう。あれを足で踏み込むと、床が沈み込む。その後、足を離すと、床が、勢いよく元の高さに戻る、そんな仕組みになっています。

 敗北プレイヤーには、あの中に入っていただき、一定の回数、跳ね上げられていただきます。具体的には、勝利プレイヤーの所持チップ数と、敗北プレイヤーの所持チップ数の、差です。例えば、勝利プレイヤーの所持しているチップが三枚で、敗北プレイヤーの所持しているチップが一枚だった場合、敗北プレイヤーは、二回、跳ね上げられていただきます」

 森之谷は、そう言うと、数秒間、黙った。競一たちが、彼の言ったことを飲み込めるよう、配慮しているに違いなかった。

「当たり前ですが、ペナルティを受けたプレイヤーは、無傷では済みません。

 立会人が、ペナルティを終えた後のプレイヤーについて、ギャンブルを続行することができない、と判断した場合、そのプレイヤーの敗北が、ひいては、相手プレイヤーの勝利が確定します。逆に言えば、たとえ、ペナルティを受け終えたプレイヤーが、どんな重傷を負っていたとしても、立会人が、そのプレイヤーについて、ギャンブルを続行することができる、と判断した場合、相手プレイヤーの勝利は、確定しません。その場合は、次のセットが開始されます。

 なお、立会人による、プレイヤーがギャンブルを続行できるかどうか、の判断以外に、プレイヤーの勝敗が確定することは、ありません」

(ペナルティを受けた結果、ギャンブルを続行できないような状態に陥った場合、敗北が確定する、ということか……要するに、死亡した場合や、意識を失っていて、立会人が働きかけても、目を覚まさない場合だな。

 じゃあ、おれが勝利した場合、赫雄が死亡している可能性がある、ということか……まあ、どうでもいいか。おれが勝利した場合は、やつの生死にかかわらず、やつが、おれの家に放火するのを、防ぐことができる。やつが、生きていれば、警察に逮捕させられるし、死んでいれば、言わずもがな、だ)

「なお、本ギャンブルにおいて、相手プレイヤーに対する暴力は、どちらかのプレイヤーの勝利が確定するまで、いっさいの例外なく、禁止します。

 それと、不正を防止するため、ギャンブルを開始する前に、プレイヤーには、ボディチェックを受けていただきます。スマートフォンのような、イカサマに使用される可能性のある物は、持ち込み禁止といたします。可能な限り、手ぶらで、ギャンブルに挑んでいただきます。

 また、同じ目的で、プレイヤー以外の人間が、プレイヤーに対して情報を伝えることは、禁止いたします」

(いちおう、朋華との間には、サインを定めてあるが……)例えば、左手の人差し指と親指で左の耳朶を摘まんだら「め」という意味、右手の薬指と小指で右の耳朶を挟んだら「わ」という意味、といった具合にだ。(動きが、あからさまなんだよな。朋華が、そんな行為をしたら、おれに対してサインを送っている、と、すぐに森之谷たちにばれるだろう。

 もちろん、何らかの緊急事態の時は、使わざるを得ないだろうが……やるとしても、一回限りだな。そのことについて、ギャンブルが始まる前に、朋華と、打ち合わせをしておこう)

「いずれの場合も、立会人が、プレイヤーによる禁止行為の場面を発見した場合、そのプレイヤーは、即刻、敗北したものとして扱います。その後、ペナルティとして、ビッグロールマシンに入っていただき、死亡するまで、跳ね上げられていただきます。意図せず禁止行為をしてしまうことのないよう、じゅうぶん、お気をつけください。

 それでは、今から、ギャンブルの詳しい流れについて、説明いたします」

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