第05/23話 借金契約
七月十一日、日曜日、午後二時。
競一と朋華は、豹泉邸の応接室にいた。服装は、前回と同様だ。西側に位置しているソファーに座っている。
二人の目の前にあるソファーには、豹泉が腰かけており、それの、競一から見て右斜め後ろあたりには、卉間が立っていた。彼女らの服装も、前回と同様だった。
ソファーの間にあるテーブルには、さまざまな書類が載せられていた。また、競一側は、筆箱だの印鑑だのも、それの上に置いていた。
「──というわけで」豹泉は、両手で持っていた、「品辺家資産価値審査結果」と書かれた紙を、テーブルの上に置いた。「あなたには、一億円を貸すことにしたわ。あなたの所有している全財産を、担保にしてね。問題ないかしら?」
「ありません。ただ……」競一は、思わず、不安な感情を顔に出した。「利子は、どうなるのですか?」
「なし、でいいわ」豹泉は、にこっ、と微笑んだ。「この前、手数料として貰った、花火玉、二個を、利子分としても、扱うことにするから」
「えっ!」競一は思わず大声を出した。「本当ですか?」
「本当よ」豹泉は、こくり、と頷いた。「ただ、さすがに、返済期限は、設けさせてちょうだいね。じゃないと、返済するのは、一年後でも二年後でも構わない、っていうことになっちゃうから」
「もちろんです」競一は、首を、ぶんぶん、と縦に振った。
「返済期日は、今から一か月後の、八月十一日よ。赫雄とのギャンブル対決は、それまでの間に行うよう、セッティングするから」
「承知しました。おれとしても、ギャンブル対決にさえ勝てば、その日のうちに、金を返済するつもりです」
「ありがたいわ。ちなみに、説明しておくと、返済期日を過ぎたら、即座に資産が差し押さえられる、っていうわけじゃないの。返済期日から差押日まで、猶予があるのよ。具体的には、二十日間。差押日は、八月三十一日よ。
その間は、遅延損害金、という物が発生するわ」
「遅延損害金……ですか?」競一は顔をやや険しくした。
「そんな難しい話じゃないわ。早い話、返済しないといけない額が増えるのよ。一日につき、元金の一割、一千万円ね。つまり、差押日までに、まったく返済しないでいると、最終的に、返済しないといけない額は、三億円になるから、気をつけてちょうだい」
「承知しました」
「それじゃあ、この借用書に、サインしてちょうだい」
豹泉は競一に、A4用紙を一枚、渡した。彼は、それを、数分かけて熟読したが、特に、不審な点は見当たらなかった。記されている内容も、豹泉が説明した物と、まったく同じだった。
競一は、その借用書にサインをすると、豹泉に差し出した。彼女は、満足そうな顔をして、それを受け取った。
「じゃあ、さっそくだけど、お金を渡すわね」
「えっ?」競一は思わず豹泉の顔を見た。「今、ですか? 別に、赫雄とのギャンブル対決の当日に、会場のほうで用意しておいてくれれば、構わないのですが……」
「こちらにも、いろいろと都合があってね……それは、ちょっと、できないのよ。今、お金を渡すから、当日、持ってきてちょうだい」
面倒だが、大した手間じゃない。だいいち、文句を言える立場でもなかった。競一は、「承知しました」と言って、首を縦に振った。
「じゃあ、卉間。お金、持ってきて」
卉間は、「承知しました」と返事をすると、応接室を出て行った。
七月三十一日、土曜日、午後一時。
競一と朋華は、毳沢ロイヤルリムジンのタクシーの中にいた。豹泉がセッティングしたギャンブルの会場へ、向かっているところだ。
競一の格好は、いつもどおりで、シャツを着てズボンを穿き、リストバンドを装着していた。朋華の格好も、いつもどおりで、銀髪をツインテールに纏め、メイド服を着ていた。彼女は、傍らに、アタッシェケースを置いていた。中には、豹泉から借りた一億円が入っている。
競一の通っている高校は、すでに、夏休みに突入していた。しかし、彼は、今日に至るまで、宿題の類いに、まったく手をつけていなかった。そんなことよりも、ギャンブルの対策を行う必要があった。
どんなギャンブルを行うかは、知らされていなかった。そのため、競一は、どのようなゲームで戦うことになっても、対応できるよう、ポーカーやブラックジャック、花札やクラップス、はてはジェンガにモノポリーまで、さまざまな勝負事について、学習し、経験し、作戦を練っていた。
(勝負の内容、ルーレットなら、いいんだがなあ……もし、そうなら、おれの【ハンド】、《運動予測》(ムーブメントプレディクト)が、とても役に立つ)
《運動予測》は、ある物体が、今後、どのような運動を行うか、を予測する能力だ。例えば、野球の試合で、ボールがピッチャーの手を離れた直後の時点において、それがストライクゾーンのどこに収まるか、を正確に予測することができる。
(ルーレットでは、ディーラーが玉を投入した後でも、チップのベットを行える……投入された直後の玉に対して、《運動予測》を行使して、どのポケットに落ちるか、を確認してから、ベットすればいい。楽勝だ)
競一は、そんなことを、ぼんやり、と考えながら、窓に視線を遣り、外の景色を眺めていた。ふああ、と欠伸をする。
(後は……ギャンブルを終えて、家に帰るまでの間に、「蓬莱玉」を使うような場面が、来なければいいんだがな)
蓬莱玉とは、いわゆる爆竹だ。ただし、通常の爆竹とは違い、炸裂すると、打ち上げ花火のような、綺麗な火花を撒き散らす。例えば、夜、誰もいない所に向かって放り投げ、地面にぶつかって炸裂する様子を見物する、という具合に楽しむようになっていた。
それを最初に製造したのは、品辺家の二代目当主だ。なんでも、打ち上げ花火では、技術的・物理的な問題のため、どうしても表現できないような花火が、蓬莱玉なら表現できるらしい。
しかし、品辺家は、蓬莱玉を世間一般には販売しなかった。なにしろ、物にぶつければ炸裂するのだ。簡易な爆弾として悪用される可能性が高い、と判断された。
蓬莱玉が使われるのは、もっぱら、信用のおける知り合いを楽しませる場面、あるいは、自分たちで楽しむ場面だった。実際、競一の父親も、安全にじゅうぶん配慮したうえで、何度か、蓬莱玉を披露した。今回、彼が持ってきた物は、父親が生前に作った物だ。
(別に、豹泉のことを信用していないわけじゃないが……何らかのアクシデントが発生する可能性は、零ではないんだ。もしかしたら、赫雄たち、あるいは、立会人たちと、争う羽目になるかもしれない。
それに備えて、蓬莱玉を、三つ、持ってきた。こいつらは、簡易な爆弾として使える……人間にぶつければ、負傷させられるだろうし、器物にぶつければ、損傷させられるだろう。父親の作品を、武器として使うのは、やや気が引けるが……今は、そうも言っていられない)
蓬莱玉に使われる火薬は、紙で出来た袋に詰められていた。袋は、正方形をしていて、大きさ・厚さは、十円玉と同じくらいだ。
また、火薬袋は、衝撃・摩擦の類いに対して、とても感度が高かった。叩いたり踏んだりすると、すぐに炸裂してしまうのだ。
そのため、火薬袋は、さまざまな方法・形式で、厳重に包装されていた。最終的に、蓬莱玉そのものは、消しゴムくらいの大きさをした紙箱、という見た目をしていた。それの、衝撃・摩擦に対する感度は、かなり下がっており、よほど強く殴りつけたりしない限りは、炸裂しないようになっていた。
(蓬莱玉自体は、感度が低すぎて、爆弾としては、用いられないだろう。使う時は、中から火薬袋を取り出して、それを投げればいい。
まあ、おれは、物を投げるのが得意、っていうわけじゃない……アクション映画のごとく、蓬莱玉を駆使して敵と渡り合う、なんてことはできない。それでも、例えば、近くの地面にぶつけて炸裂させて、相手を動揺させたり、逃げる時、追いかけてくる相手に向かって投げつけたり、と、役に立ちそうな場面は、いろいろ考えられる。だいいち、ないよりはるかにマシだ)
そこまで考えたあたりで、車両は、目的地に到着した。そこは、とある建物の前を通っている車道の路肩だった。男性ドライバーが、運転席を降りて、客席の前に移動するのが、窓越しに見える。
彼は、客席の扉を、がらがら、と開けた。「到着いたしました」恭しく頭を下げた。
「どうも」
競一は、シートから腰を上げると、タクシーを降りて、歩道に立った。朋華も、アタッシェケースを両手に提げて、後に続いた。
二人の目の前には、ビルが建っていた。五階建てで、何の変哲もない、オフィスビルのような見た目をしている。灰色の外壁には、「圭松ビル」という白字のサインが設けられていた。
それの正面玄関の前には、二十代くらいの女性が立っていた。肩に届くくらいに伸ばした金髪を、ボブカットにしている。頭には、黄色のカチューシャを着けていた。瞳は青く、目つきからは、気の強い印象を受ける。身長は、競一より、一頭身ほど低く、胸は、同年代の平均より、三回りほど大きかった。
彼女は、白いワイシャツを着て、黒いジャケットを羽織り、黒いスラックスを穿いていた。その服装からは、どこぞのグランドホテルの従業員であるかのような印象を受けた。
女性は、競一たちに近づいてくると、「品辺さまと、晶屋さまですね?」と訊いてきた。
競一は、「はい、そうです」と言って、頷いた。
「贔島(ひいじま)と申します」女性は、ぺこり、と頭を下げた。「本日は、品辺さまと轟橋さまとのギャンブル対決に、立会人のうちの一人として、参加いたします。よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
競一も、そう言って、軽く頭を下げた。朋華も、同じタイミングで、同じ動作を行った。
「では、さっそくですが、こちらへお越しください」
贔島は、そう言うと、すたすた、と、圭松ビルの正面玄関に向かって、歩きだした。競一たちは、彼女の後に続いた。
三人は、ガラス張りの自動扉をくぐった。その後、エレベーターホールへ行くと、贔島が、上向き矢印のボタンを押した。
「お二人には、まず、当店の用意する部屋で、待機していただきます」昇降機が到着するまでの間、贔島が話を始めた。「ギャンブルの最終的な準備がありますので。終わり次第、初めに、お二人を、次に、轟橋さまたちを、お呼びします」
「わかりました」
それで、贔島の話は終わったが、まだ、昇降機は来ていなかった。競一は、なんとはなしに、辺りを見回した。
まず、フロアマップを見つけた。それによると、一階は「哥納」(かのう)という名前のイベントホール、二階は空きフロア、三階は「昌盛」という名前のカジノ、四階は「二日月」(ふつかづき)という名前の高級クラブ、五階は「多羅葉」(たらよう)という名前の超高級クラブ、とのことだった。
次に、掲示板を見つけた。そこには、何枚か、ポスターが貼られていた。「哥納 人間サイコロくじ 観客席予約受付中」「昌盛 7月末に改装工事を行います」「二日月 バカライベント終了まであとわずか」などと書かれている。
そこまで見たところで、ようやく、エレベーターが到着した。贔島の後に続いて、それに乗り込む。
その後、三人は、四階に到着した。ホールを出て、二日月に入る。
店内にある個室のうち、最も高級な部屋に案内された。柔らかい素材で出来たソファーや、お洒落なデザインのテーブルが置かれている。壁には、現代アートじみた絵画が掛けられていた。
「では、さっそくですが、賭け金を預からせていただきます」
贔島が、そう言ったので、競一は、朋華に命じ、アタッシェケースを、彼女に渡させた。
「ありがとうございます。では、準備が完了しましたら、お呼びしますので、しばらく、お待ちください。一時間ほど、かかります。簡単な飲食でしたら、ご用意することが可能です。
ちなみにですが、轟橋さま一行は、五階にて待機されています。この店で遭遇することはありませんので、ご安心ください。また、この店から、従業員の断りなしに出ることは、おやめください」
贔島は、そう言うと、アタッシェケースを持って、部屋を出て行った。スライド式である扉が、からから、ぴしゃ、と閉められた。
(「轟橋さま一行」ということは、赫雄には連れがいる、ということか? まあ、そりゃ、そうか。ギャンブル会場に、一人で行くのは、いろいろと、リスクが高いからな……)
競一は、ソファーに、背中を深く凭れさせた。目を閉じ、全身を脱力させる。ふうううう、と意識的に長い息を吐いた。
(この一時間、有効に使わないとな。とにかく、緊張を解すことに、努めよう。なにせ、これから挑むのは、ギャンブル対決、頭脳戦だ……緊張していては、物事が、上手く考えられない)
それから、競一は、ひたすら、肉体および精神をリラックスさせた。瞼を閉じたり、ラムネを食べたり、意識的に欠伸をしたりした。ときおり、自分が、前日まで調べていた、各種ギャンブルの攻略法や作戦について、思いを馳せることもあったが、必要最低限に留めておいた。
その後、何回か、床下から、ががががが、というような轟音が鳴り響いてきた。最初は、驚いたが、すぐに、三階のカジノで行われているという工事によるものだろう、と結論づけた。彼は、その騒音に鼓膜を劈かれるたび、休息を中断させられた。音だけに止まらず、ソファーやテーブルといった設備の類いも、わずかに振動した。
そして、競一たちが部屋に入ってから、ちょうど一時間が経過した時、扉が、こんこん、とノックされた。
「どうぞ」
そう競一が言った後、扉が、からから、と開けられた。そして、二十代くらいの女性が、部屋に入ってきた。贔島と同じようなデザインのスーツを着ているから、おそらくは、彼女の同僚だろう。
女性は、鳩尾に届くくらいに伸ばした黒髪のうち、後ろ髪を、ポニーテールに纏めていた。髪を結ぶのには、蝶々結びにした、紺色のリボンを使っている。横髪は、ストレートに垂らしていた。瞳は黒く、目つきからは、凛々しい印象を受ける。身長は、競一より、一頭身ほど高く、胸は、同年代の平均より、三回りほど大きかった。
「礎山(そやま)と申します。本日は、品辺さまと轟橋さまとのギャンブル対決に、立会人のうちの一人として、参加いたします。よろしくお願いします」女性は、そう言うと、ぺこり、と頭を下げた。「さっそくですが、品辺さま。ギャンブルの準備が完了しました。ご同行、願います」
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