第03/23話 正体判明
五月三十日、日曜日、午後一時。
競一と朋華は、磊田邸の客間にいた。
磊田邸は、昔ながらの日本家屋然とした豪邸だった。敷地は、どこぞの寺のように広く、屋敷は、どこぞの城のように大きかった。今、競一たちのいる客間も、まるで読めない字の書かれた掛け軸だの、歴史の教科書に出てきそうな絵の描かれた襖だの、どれをとっても、高価な物に見えた。
部屋のそこかしこに、いちいち感嘆しているうちに、数分が経過した。競一たちは、どことなく高級な木材で出来ていそうな、長方形をした座卓の、南辺に座っていた。いつ、磊田が現れても、失礼にならないよう、二人とも、正座をしている。
競一は、白いワイシャツを着ており、黒いスラックスを穿いていた。さらには、紺色のブレザーを羽織って、紅色のネクタイを締めている。通っている高校の制服だ。左手首には、やはり、リストバンドを装着しているが、さすがに今は、ラムネを食べる気には、とてもなれなかった。
朋華の格好は、いつもどおりだった。銀髪をツインテールに纏め、メイド服を着ている。傍らには、トートバッグを置いていた。
さらに数分後、部屋の北辺に設けられている襖の中央あたりを、がらり、と左右に開いて、磊田が現れた。
磊田は、七十代の、痩せた男性だった。肩に届くくらいに伸ばした、白い髪を、まっすぐ垂らしている。口や顎には、白くて立派なひげを生やしていた。瞳は黒く、目つきからは、好々爺然とした印象を受ける。身長は、競一と同じくらいだった。
「待たせたのう」
磊田は、そう言いながら、座卓に近づいてきた。彼は、薄い茶色の着物を着て、濃い茶色の帯を締めていた。右手には、ファイルを持っている。
競一は、笑みを浮かべると、「いえいえ、とんでもない」と言った。挨拶をするため、立ち上がろうとする。しかし、両脚が、痺れているせいで、上手く動かせなかった。朋華は、どう対策したのか、すっ、と何事もないかのように立ち上がった。
「そのままでいいぞい。脚、痺れているじゃろ?」
競一は「はは……」と言うと、ぽりぽり、と右側頭部を掻いた。「では、お言葉に甘えさせていただきます」と続けて、腰を下ろし、正座をする。朋華も、同じ姿勢をとった。
「品辺くん、この前は、お爺さんの花火をくれて、ありがとう」
磊田は、見るからに上機嫌だった。座卓の北辺に胡坐をかくなり、さっそく、喋り始めた。ファイルは、座卓の上に置いた。
「さっそく、打ち上げてみたぞい。いやあ、どれも、見事な物ばかりじゃった。特に、わしが気に入ったのは──」
その後、競一は、本題に入りたいのを我慢して、依頼料として渡した花火に対する磊田の感想を、えんえんと聞き続けた。
「──あれは、もはや、既存の『花火』という概念に対する挑戦じゃな。……それで、ファイアエンターテイナーの正体に関する調査の件じゃったのう」約二時間後、やっと、磊田は本題を話し始めた。「なにせ、爺さんの花火を貰ったわけじゃからな。しっかり、調査しておいたぞい。ちゃんと、ファイアエンターテイナーの正体も、突き止めておる。こいつじゃ」
磊田はそう言うと、ファイルの中から、A4サイズのクリアフォルダを一枚、取り出した。それを、座卓の南辺、競一たちの前に、置く。
競一は、それを受け取った。朋華が、横から、覗き込んでくる。
フォルダには、A4用紙の束が収められていた。それの最も上に位置している用紙には、何者かの顔写真が載せられていた。
写真の人物は、若い男性だった。肩に届くくらいに伸ばした金髪を、ウルフカットにしている。瞳は金色で、目つきからは、嫌らしい印象を受けた。肌は、日に焼けており、褐色をしていた。
画像の下には、その人物のプロフィールが載せられていた。「轟橋 赫雄」「とどろきばし かくお」「棗本高校二年生」などと書かれている。
「この男が、ファイアエンターテイナーなのですか?」
「うむ」磊田は、こくり、と頷いた。「そう判断した根拠については、二ページ目以降に書いてある」
競一は、フォルダから用紙の束を取り出すと、ページを捲っていった。そこに書かれてある内容を、熟読する。
「なるほど……たしかに、こういうことなら、この、轟橋赫雄とやらが、ファイアエンターテイナーで、間違いないですね。……ですが、気になることが、一つ」競一は、顔を上げると、視線を、用紙から外して、磊田に向けた。「どうも、赫雄がファイアエンターテイナーである、と突き止めるのは、簡単というか──少なくとも、難しくはなかったようですね? これだけ、情報や証言、証拠が揃っていれば……。
にもかかわらず、赫雄は、逮捕されていません。警察は、どうして、ファイアエンターテイナーの正体を、突き止められないのですか?」
「それについては、わしから言おう。詳しくは、資料の十一ページ目以降に書いてあるから、後で、確認しといてくれ。……なあに、難しい話じゃない」磊田は、顔を、やや顰めた。「轟橋赫雄の父、轟橋竹彦(たけひこ)は、いわゆる権力者でのう。それで、警察に圧力をかけたり、政治家に賄賂を渡したりして、息子が捕まらないよう、いろいろと工作をしておるのじゃ」
「轟橋、竹彦……」競一は、復唱すると、視線を、斜め上の中空に遣った。「どこかで、聞いたような……」
朋華が、「わたし、前に、テレビのニュース番組で、その人、見かけたことがあります」と言ったので、彼は、そちらに目を向けた。「たしか、現役の、消防大臣だったはずです」
「ああ。そうだそうだ……思い出した」競一は、うんうん、と頷いてから、眉間に皺を寄せた。「じゃあ……なんですか? よりにもよって、日本における消防組織のトップの家族が、連続放火魔、ってことですか?」
「そういうことじゃな。まったく、スキャンダルなどというレベルじゃないのう」磊田は、ふん、と鼻を鳴らした。「このことが明らかになれば、赫雄が逮捕されるだけじゃあ、済まんわな。竹彦は、大臣の座を退かざるを得なくなるじゃろうし、なにより、日本の消防組織の権威が、地に堕ちる。じゃからこそ、やつは、必死に、この件を揉み消しているのじゃ」
「なんとまあ……」競一は口を半開きにした。
「しかし、磊田さま」朋華は、競一から受け取った資料を、ぺらぺら、と捲りながら言った。「第一の事件に関する捜査において、これだけ、情報が揃っているならば、もう、その時点で、すでに、赫雄がファイアエンターテイナーである、ということは、警察、ひいては、竹彦は、わかっていたのでしょう?
ならば、竹彦は、赫雄が、これ以上、罪を犯さないよう、何らかの対策を講じたはずです。にもかかわらず、第二の事件が起きたのですか?」
「うむ」磊田は首を縦に振った。「赫雄は、一人っ子でのう。実家には、竹彦と、その妻と、赫雄の三人で、住んでおる。
で、件の赫雄なのじゃが……どうも、両親を、マインドコントロールというか──大袈裟な話、洗脳しているらしくてのう。轟橋夫妻は、赫雄の言いなりなのじゃ。やつを叱るどころか、やつの犯行を手伝う始末でのう……」
「ひどいですね……」朋華は顔を苦らせた。「第二の事件では、死者まで出ています。彼に、良心という物は、ないのでしょうか?」
「皆無じゃな」磊田は即答した。「やつは、火事を、ある種のショーと捉えている節がある。なんでも、犯行の様子を、轟橋夫妻に撮影してもらって、動画データとして保存しておるそうじゃ。自分が、火を点けてから、それが建物全体に回り、やがて火災となる、一部始終を」
しばらくの沈黙があった。それを破ったのは、競一の、「磊田さん」という声だった。「わたしは、なんとかして、警察に、赫雄を逮捕させよう、と考えています。磊田さんのお力で、そのようなことは可能でしょうか?」
「難しいのう……」磊田は眉間に皺を寄せた。「竹彦は、政治家としては、わりと有能での。もともと、轟橋家自体、昔から、資産家で、強い権力を有していたからのう。
そりゃあ、やろうと思えば、やれなくはないぞ。うちのグループも、無傷というわけにはいかんが、赫雄の所業を、明らかにすることは可能じゃ。
じゃが……」じっ、と競一の両目を見据えてきた。「こればかりは、いくら、爺さんの花火を渡されても、やることはできんのう。もっと、他に、うちのグループが被る不利益を補うほどの利益があるなら、別じゃが……どうじゃ?」
競一は、数秒間、口を噤んだ後、「いいえ」と言って、首を左右に振った。「正直に言って、思いつきません。赫雄の逮捕の件は、また、別の策を練ってみようと思います。このたびは、ファイアエンターテイナーの正体の件について、調査していただき、誠にありがとうございました」
競一は、そう言うと、ぺこり、と頭を下げた。朋華も、同じタイミングで、同じ動作を行った。
磊田は、客間に来て最初の頃に見せた、好々爺然とした顔に戻ると、「なに、爺さんの花火と引き換えじゃから。うぃんうぃん、というやつじゃな」と言い、にこ、と笑った。
五月三十日、日曜日、午後四時。
競一と朋華は、磊田邸から品辺邸へと帰る途中だった。磊田邸の使用人が呼んだタクシーに乗っている。
タクシーと言っても、駅のロータリーに停まっているような、大衆向けの物ではない。「毳沢(むくげざわ)ロイヤルリムジン」という会社の物で、そこは、ゴージャスさを売りとしていた。車両は、いわゆる高級車で、各種の内装は、ハイクオリティな物を使用しており、ドライバーは、グランドホテルの従業員のごとく丁寧だった。
「ご主人さま……赫雄の件ですが、どうしましょう? 警察が赫雄を逮捕できない、となると、他の方法で、彼の放火を止めなければなりませんが……」
朋華は、傍らに置いたトートバッグから、クリアフォルダを取り出すと、中に入れられている資料を眺めた。運転席・助手席と客席は、完全に区切られているため、ドライバーに話を聞かれる心配はない。
「せめて、この資料の中身を、世間に公表できれば、よかったのですが……それは、不可能ですものね。磊田さんには、『公表しないように』と念を押されていますし……仮に、それを無視して、公表したところで、もし、その情報が、何らかのきっかけで、『磊田リサーチグループが品辺家に渡した資料に記載されている情報である』と、ばれたら、確実に、磊田さんとの信頼関係は失いますし……」朋華は、一秒間、黙った。「それは、避けたほうがいいですよね。磊田さんとのコネクションは、まだ、構築しておいたほうが」
「ああ」競一は首を縦に振った。彼は、リストバンドのケースから出したラムネを噛み砕いており、ぽりぽり、という音を立てていた。「それに、磊田さんとの信頼関係が崩れるだけなら、まだいい。最悪なのは、『ファイアエンターテイナーの正体に関する情報を流したのは、品辺家である』と、轟橋家にばれることだ。なにせ、赫雄は、良心の欠片もない犯罪者、竹彦は、保身の工作を厭わない権力者だからな……逆怨みされて、危害を加えられるかもしれない」
「ごもっともです」
「だが……まったく手がない、というわけじゃない。要は、この、磊田さんから貰った資料、これ以外で、赫雄がファイアエンターテイナーである、という証拠を、手に入れればいいんだ。そして、それを、世間に公表する。そうすれば、磊田さんとの信頼関係を失わずに、警察に赫雄を逮捕させられる」
「たしかに、そうですが……しかし、そのような証拠の当てが、あるのですが? 身元を明らかにしないまま、世間に公表するなら、よほど、決定的な証拠でないと、警察が動くとは、思えませんが……」
「ああ」競一は首を縦に振った。「あるぞ。ほら、磊田さんが言っていたじゃないか。『赫雄は、犯行の一部始終を撮影し、動画として保存している』って。そのデータを手に入れればいい」
「なるほどです。……しかし、どうやって、そのデータを得るのですか? 赫雄も、間抜けではないでしょう……そのデータが、うっかり漏洩したり、誰かに盗まれたりしないよう、厳重に保管しているのでは?
なにせ、赫雄がファイアエンターテイナーである、という、決定的な証拠ですからね……世間に流出すれば、身の破滅です。いえ、世間と言わずとも、誰か、他の人に入手されるだけで、間違いなく、とても面倒なことになります。
そのようなことが、万が一にも起こらないよう、赫雄は、そのデータの保管に、細心の注意を払っているであろうことは、容易に想像がつきます。いったい、どうやって、得たら……少なくとも、わたしには、思いつきません」
「その、データを手に入れる方法についても、すでに、アイデアがある」競一が、そう言った直後、朋華は、驚いたような顔をして、彼に視線を向けてきた。「おれたちが、赫雄から、強引に奪うんじゃない。赫雄のほうから、提出させるんだ」
「赫雄のほうから……」朋華は、そう復唱した後、「可能なのですか、そのようなことが?」と訊いてきた。
「ああ」競一は顎を引いた。「絶対、とは言わないが……成功する確率は高い。いや、たとえ、上手い具合に、赫雄にデータを提出させられたところで、それを、おれが手に入れられるかどうかは、別の話なんだがな。
それと、この案を実行するには、ある人の協力を得る必要がある。豹泉さんだ」
「豹泉さん、と言うと……」朋華は、記憶を探っているらしく、しばらくの間、視線を宙に彷徨わせた。「豹泉フィナンシャルグループの会長ですね。わたしも、何度か、お会いしたことがあります」
「ああ」競一は頷いた。「磊田さんほどじゃないが、爺さんの花火のファンだ。依頼料として、爺さんの制作した、秘蔵の花火玉を渡せば、たぶん、おれの頼みを、聴き入れてくれるだろう」
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