第02/23話 放火事件

 三月六日、土曜日、午前十一時。

 品辺(しなべ)競一(きょういち)は、自宅のダイニングで、スマートフォンを操作していた。

 ダイニングは、とても豪勢だった。床には、派手な模様の絨毯が敷かれており、壁には、派手な枠の窓が取りつけられており、天井には、派手な意匠の照明が吊られていた。

 テーブルは、長方形をしていて、十数人が同時に着席できるほど広かった。競一は、それの、南西の隅に位置している椅子に座っていた。彼の右斜め前方、部屋の南壁の中央には、出入り口である、両開きの扉が設けられていた。

 数分前、競一は、朝食を済ませた。その後は、自室に戻るつもりだったが、この家──というよりは彼個人──にメイドとして勤めている晶屋(しょうや)朋華(ともか)に、「お話ししたいことがあります」「ダイニングで待っていてください」と言われたのだ。

 競一は、スマートフォンのインターネットブラウザーアプリを使って、数日前、とある国で行われた花火大会の公式サイトにアクセスしていた。そこには、打ち上げられた花火を撮影した画像が、いくつか、載せられていた。彼は、それらを、一つ一つ、丁寧に閲覧していた。

(どれも、見事な物だ……全体の形といい、色使いといい。撮影者のスキルも高いんだろうが……花火そのもののレベルが高いんだな。これなら、たとえ、肉眼で見たとしても、感激するに違いない)

 競一は、短い黒髪を、無造作に整えていた。瞳は黒く、目つきからは、ニヒルな印象を受ける。身長は、同年代の平均と同じくらいだった。

(おれも、負けていられないな。将来、花火師になって、これらに劣らない、いや、勝るような、素晴らしい花火を作ってやる。……もっとも、なれるのは、高校を卒業してから、だけど。つまり、再来年の春)

 品辺家は、代々、花火師として、名を馳せている。技術力が高いのは、もちろんのこと、時の権力者や大富豪などに、花火玉を献上・売却・披露して、コネクションを作り、広告宣伝だの資金確保だのを、抜け目なく行っていたおかげだ。

(それにしても、今から数年前に、当時、花火師として活動していた父さんが、母さんと一緒に、交通事故で死んだ時は、悲しいだけでなく、絶望したなあ。先代の花火師だった爺さんたちは、とっくに、亡くなっていたし……おれは、父さんから、いろいろ、花火の技術を教えてもらっていたから。これで、うちの花火技術は途絶えたか、と思ったよ)

 競一は、薄い灰色の半袖シャツを着て、濃い灰色の長ズボンを穿いていた。左手首には、リストバンドを嵌めている。

(でも、そんなことはなかった。父さんは、ちゃんと、各種の花火技術を、大量の文書として、遺してくれていた──今もなお、全部は読みきれていないくらいに。あれがあるおかげで、おれは、うちの花火技術を、受け継ぐことができる)

 そんなことを考えているうちに、がちゃ、という音が、右斜め前あたりから聞こえてきた。ゆる、と首を動かして、そちらに視線を遣る。

 朋華が、扉を開けて、ダイニングに入ってきたところだった。彼女は、鳩尾に届くくらい長い銀髪を、ツインテールに纏めていた。髪を結ぶのには、蝶々結びにした、水色のリボンを使っている。瞳は銀色で、目つきからは、おっとりとした印象を受けた。身長は、競一より、一頭身ほど低く、胸は、同年代の平均より、二回りほど大きかった。

(来たか……それにしても、話って、何だ? 何かの要望の類いなら、多少、金や手間がかかったとしても、できる限り、叶えてやりたいな……お互いに小学生だった頃から、ずっと、世話してもらってきたことだし。義務教育が終わった今となっては、本格的に、うちの使用人として、働いてもらっているわけだから)

 朋華は、すたすた、と歩くと、競一の正面に置かれている椅子に座った。彼女は、黒い半袖ブラウスを着て、黒い膝上丈スカートを穿いていた。それらの上から、白いエプロンを羽織っている。頭には、白いヘッドドレスを載せており、脚は、ハイソックスで包んでいた。いわゆる、メイド服だ。

「ご主人さま。お時間、とっていただいて、ありがとうございます」

 朋華は、そう言うと、ぺこり、と頭を下げた。競一は、右掌を彼女に向けると、「いや、別にかまわないよ」と言った。「で、用件は?」

「実は……わたしの【ハンド】についての話なのです」

【ハンド】とは、いわゆる超能力だ。今から約百年前に発生した、「ディールズ・カーズ事件」をきっかけに、当時の全人類、および、その後に産まれる全人類は、いっさいの例外なく、さまざまな種類の【ハンド】を有するようになった。

「ディールズ・カーズ事件」の起きた直後は、脱法行為に違法行為に不法行為、ありとあらゆる犯罪、はては戦争まで多発し、地球社会は大混乱に陥ったらしい。なにしろ、それまでフィクションの存在だった超能力が、ある日を境に、突然、ノンフィクションと化したのだ。各地の治安維持体制は、ろくに対応できなかった。

 その後、年を経るにつれ、【ハンド】の仕組みや、制御する方法、強制的に行使できないようにする手段などが、わかってきた。そして、現在、地球社会は、ある程度の平穏さを保っている、というわけだ。

「朋華の【ハンド】っていうと……」競一は、やや顔を引き締めた。「《死傷予知》(インジャープレコグナイズ)か」

《死傷予知》とは、名前のとおり、予知能力だ。未来における、能力者の身体が負傷する場面を、予知できる。また、その未来は、事前の対策により、じゅうぶん、避けられた。ただ、身体さえ無事であれば、たとえ、能力者にとって損な出来事であっても、予知できない、という点が、悩みの種だった。

「はい」朋華は頷いた。「つい先日、家の掃除をしている時に、発動しまして……」

《死傷予知》が発動するタイミングは、完全にランダムだ。さらには、ひとたび発動すると、視覚および聴覚は、完全に支配されてしまう。特に何もしていない時、休憩している時などに、発動してくれればいいのだが、自動車を運転している時に発動し、事故を起こすケースや、寝ている間に発動し、夢なのか予知内容なのか区別がつかなくなるケースもあった。

「しかし、今回は、わたしだけの問題ではないのです。なにせ、予知したのは、『品辺邸の火事に巻き込まれて焼死する』という場面でしたから」

「この家の?」競一は、やや身を前傾させた。「つまり……この家で、火災が発生する、ということか?」

「はい」朋華は顎を引いた。

 競一は、しばし沈黙した。「そうか……何としてでも、そんな未来は、回避しなきゃな。この家は、『ディールズ・カーズ事件』の起きるよりも、ずっと昔に、先祖が建てて以来、ずっと、おれたち、品辺家の人間が住んできたんだ。大きな財産だし、なにより、深い愛着がある……燃やすわけにはいかない。

 で、その火事、いつごろ起こりそうか、わかるか?」

「はい」朋華は首を縦に振った。「予知した情景の中で、窓の外を見る場面がありました。雪が降っていて、地面にも積もっていました。日は完全に落ちていて、空は真っ暗でした」

「なるほど……」競一は顎に手を当てた。「雪、か。なら、冬だから、今年十二月から来年二月までの間……いや」顎を摘まんだ。「ここらの地域で、雪が、積もるほどに降るのは、かなり珍しい。にもかかわらず、そういう天候になるとしたら、真冬だろうな。つまり……来年一月あたりが、有力か? 今は三月だから……けっこう、猶予はあるな」

「はい。……それで、火事の原因なのですが」

「えっ?」競一は目を少しばかり丸くした。「そこまでわかるのか?」

「はい」朋華は頷いた。「さきほどの、窓の外を見る場面ですが……その時、通りの向こうに建っている廃屋の外壁に、大きな落書きがなされていたのです。それも、ファイアエンターテイナーのサインでした」

「ファイアエンターテイナー……」競一は顔を顰めた。「最近、世間を騒がせている、連続放火魔か」

 最初に、事件が起きたのは、今年の一月十六日だ。その日の未明、鹿児島県にある、とある寺の本堂が、火事に遭い、全焼した。

 寺には、鐘楼があったが、本堂からは離れていたため、燃えなかった。しかし、被害は受けていた。梵鐘の側面に、赤いスプレーで、「I」「AM」「A」「FIREENTERTAINER!」と描かれてていたのだ。住職曰く、一月十五日の晩までは、そんな物はなかった、とのことだった。警察は、この火事について、事故ではなく放火であり、落書きは犯人による犯行声明である、と判断した。

 次に、事件が起きたのは、二月二十八日だ。その日の未明、青森県にある、有名な建築デザイナーの自宅が放火され、全焼した。デザイナーである男性や、その妻、中学生の息子、幼稚園児の娘は、火事に巻き込まれ、全員、死亡した。

 家の庭には、倉庫が置かれていた。それの側面に、サインが描かれていたのだ。警察は、一連の事件を、連続放火魔による犯行である、と結論づけ、捜査を進めている。

「じゃあ、おれたちが、何も行動しないでいると、ファイアエンターテイナーは、少なくとも、今年の冬まで野放し、というわけか……」競一は、はあ、と溜め息を吐いた。「まったく、なんて不運だよ。まさか、自宅が、放火魔に目をつけられるとは……」

「警察に、わたしの予知の件を、伝えましょうか?」

「……いいや」競一は、首を横に振った。「無駄だろうな……ほら、数十年前に、『アングラーズ事件』があったじゃないか。予知能力の【ハンド】を有するやつが、なんとかいう場面を予知した、っていう嘘を吐いて、警察に対し、偽の情報を伝えて、いろいろと混乱させた事件が……なにしろ、本人の【ハンド】が、実際、予知能力だったせいで、余計に、信用されてしまった。

 あれ以来、警察は、予知能力の【ハンド】を持つ人物からの情報提供に対して、かなり慎重な姿勢をとっている……朋華の予知した内容を伝えても、大して相手にされないだろうな」

「なるほどです。……しかし、それでは、いったい、どうすれば……」

「こうなったら、手は一つしかない。おれたちが、ファイアエンターテイナーの正体を突き止めて、各種の証拠を集め、警察に提出するんだ。そうすれば、自宅をファイアエンターテイナーに放火される、という未来は回避できる」

「そうは仰いますが……」朋華は言いにくそうな調子の声で言った。「すでに、警察が、捜査を行っています。日本の警察は、とても優秀です。にもかかわらず、ファイアエンターテイナーは、未だ、逮捕されていません。警察が捕まえられないような人物の正体を、わたしたちに突き止められるでしょうか?」

「そうだなあ……」

 競一は、数秒間、黙った。それから、右手で、左手首に嵌めているリストバンドに触れた。

 リストバンドは、希少な動物から採取された、黒い革で作られていた。表面には、ケースが一つ、取りつけられている。それは、長方形をしており、財布に入れる類いのカードより、二回りくらい小さかった。厚みは、一センチもない。銀色をした合成樹脂で出来ており、とても軽かった。

 ケースの右下隅には、蓋が付いていた。競一は、右手で、それに触れると、ぱかっ、と開けた。

 彼は、右手を碗の形にした。その後、そこめがけて、左手首を、何回か、小さく振った。

 しゃっしゃっ、という音が鳴った。同時に、ケースの開口部から、小さな物体が、いくつか、ぽろぽろ、と零れ落ちて、掌の上に載った。それらは、灰色で、小星型十二面体のような見た目をしていた。

 競一は、口を開けると、右掌を当てて、すべての物体を放り込んだ。顎を動かして、噛み砕く。ぽりぽり、という音が鳴った。

 それらの物体は、ラムネだった。犇野(ひしの)製菓が販売している「ギュウギュウ」という名前の製品だ。彼は、幼い頃から、この菓子を、とても気に入っていた。いつでも食べられるように、ラムネをいくつか収納できるケースの付いたリストバンドを購入して、家の外はもちろん、家の中でも、常に装着しているほどだ。

 競一は、リストバンドのケースの蓋を、ぱちっ、と閉めると、ラムネを味わいながら、思考をフル回転させた。しばらくしてから、「そうだ!」という声を上げた。「磊田(らいた)リサーチグループを利用するのではどうだろう?」

 磊田リサーチグループとは、各種の探偵事業を全国展開している企業グループだ。業界最大手であり、警察や政府に、独自のコネクションを持っている。テロ組織の本部に、スパイ映画さながらに忍び込み、機密情報を入手して、壊滅に追い込んだ、だの、あらゆる政治家のスキャンダルを握っていて、陰で国家を操っている、だの、いろんな噂が囁かれている。

「あのグループの会長、磊田さんは、うちの花火の熱狂的なファンなんだ。磊田さんに、ファイアエンターテイナーの正体について、グループの持つ能力を使って、調査するよう、依頼しよう」

「なるほどです。しかし、いくら、磊田さんが、品辺家の花火のファンである、とはいえ、それだけでは、動いていただけないのでは? お金を払うとか……いや、しかし、どれだけのお金を払えば……」

「もちろん、依頼料は渡すさ。ただし、それは、お金じゃない──花火玉だ。

 ほら、お前も知っているだろう。うちの蔵には、爺さんが制作した、秘蔵の花火が、いくつか保管されているじゃないか。爺さんが生きてた頃は、『金に困ったときは、売るなり何なりして、役立てなさい』って、よく言われたもんだ。

 あれを、いくつか、磊田さんに渡そう。あの人にとって、金よりも、よっぽど価値があるはずだ」

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