打撲遊戯のダイスロール
吟野慶隆
第01/23話 プロローグ:人間賽子
「それでは、『ダイス・ヒューマン』の登場です!」
舞台の右手に設けられた司会席に立つ男性従業員が、そう言った直後、左手から、四人の人物が姿を現したので、森之谷(もりのたに)比呂(ひろ)は、そちらに視線を遣った。
四人のうち三人は、森之谷が勤めているカジノの従業員、彼の部下だった。みな、スーツを着ている。
残る一人は、女性だった。顔立ちからして、五十代くらいだろう。いわゆるスキンヘッドで、頭頂部にタトゥーを入れているのが見えた。虚ろな目つきをしており、顔からは、いっさいの生気が感じられなかった。
(まあ、『人間サイコロくじ』の『ダイス・ヒューマン』を務めるわけだからな……生気なんて、あるわけがない。あるとしたら、それは、隙を見て逃げ出そう、と考えている場合だ……)
しかし、そのような事態が発生しないよう、しっかりとした対策が講じられていた。女性の両腕は、前に垂らされ、手錠をかけられていた。背後には、三人の従業員のうち、二人がいて、彼女を見張っていた。残る一人は、彼女の前にいて、手錠に繋がっている紐を引いていた。四人は、舞台の中央に向かっていた。
森之谷がいるのは、圭松(けいまつ)ビルの一階にあるイベントホールだ。広さは、中学校の体育館くらい。出入り口は、南壁の中央に、舞台は、北壁に沿うように、設けられている。舞台の手前には、数十ものテーブル席がセッティングされていた。
ホールは、とても豪勢に造られていた。床には、柔らかなカーペットが敷かれており、天井には、シャンデリアが吊るされている。席は、テーブルや椅子は、もちろんのこと、クロスに食器、軽食の食材に至るまで、高級な物だった。
森之谷は、舞台の手前に視線を遣った。席は、すべて、客で埋まっていた。人気ブランドのシャツを着た、若い男性や、派手なドレスを着た、壮年の女性、フォーマルなスーツを着た、性別および年齢のよくわからない人物などがいた。
森之谷は、ホールの南壁に、背中を壁と平行にした状態で、立っていた。「人間サイコロくじ」の主催者である彼は、イベントが行われるたびに、それの序盤の様子を見て、上手く進行していることを確認していた。
次に、森之谷は、「ダイス・ヒューマン」役の女性に視線を遣った。彼女は、白い半袖シャツを着て、白い半ズボンを穿いていた。トップスの前面には、サイコロの二の目が、右の袖には、三の目が描かれていた。
舞台の中央には、大きなマシンが置かれていた。高さ五十センチほどの、やや円錐台の形をした、黒い台座の上に、透明なケースが設けられている。ケースは、高さ三メートルほどの、円柱の上面に、半球をくっつけたような形をしていた。底面の直径は、三メートルほどだ。
ケースの側面には、舞台の左手側に、扉が取りつけられていた。女性を先導している従業員が、それを、がちゃり、と開けた。
女性は、従業員たちに連れられて、ステップを上がらされ、ケースの中に入らされた。それから、床に寝させられた後、足首に手錠を掛けられた。その時、左右の足の裏に、それぞれ、サイコロの六の目を描いたタトゥーが彫られているのが、森之谷の目に入った。
その後、女性を連れてきた従業員たちは、ケースの外に出た。そのうち一人が、扉を、ばたん、と閉め、がちゃり、と施錠した。
「それでは、さっそく、一回目のダイスロールに参りましょう!」
司会者は、そう言うと、席の外に出た。舞台の中央に向かって、つかつか、と歩いていく。
マシンの台座の側面には、舞台の右手側に、ペダルのような見た目をした、トリガーが取りつけられていた。彼は、それの上に右足を載せると、体を前傾させ、ぐぐぐ、と踏み込んだ。それに連動して、マシンの床が、ずずず、と沈み込んだ。
司会者は、トリガーを限界まで踏み込んだ後、体を、鉛直にした。そして、足を、ばっ、と、それから離した。
直後、トリガーは、一瞬で元の位置に戻り、ばちん、という音を立てた。同時に、マシンの床も、一瞬で元の高さに戻った。
跳ね飛ばされた女性は、まず、ケースの側面に、があん、と激突した。次いで、ケースの天頂に、ばあん、とぶつかった。最後に、床に、どちゃっ、と落下し、俯せになった。
「5!」司会者が、にっこり笑って、大声を出した。「出目は、5です!」
直後、客たちが、「よし!」だの、「ああ……」だの、「当たったぞ!」だの、「外れたわ……」だの、さまざまな声を漏らした。
「みなさま、結果は、いかがだったでしょうか? それでは、二回目のダイスロールに参りましょう!」
(どうやら、今回も、順調に終わりそうだな……さて、気分転換にもなったし、事務室に戻って、仕事の続きをやるか……)
森之谷は、そう考えると、ホールから出た。エレベーターに乗って、三階に行く。
圭松ビルの三階は、エレベーターホールを除いたフロア全体が、「昌盛」(しょうせい)というカジノになっていた。森之谷は、それに入った。
店内は、たくさんの客で賑わっていた。バカラの台で、一喜一憂したり、ブラックジャックの台で、三喜二憂したり、ルーレットの台で、零喜十憂したりしていた。
森之谷は、「関係者以外立入禁止」と書かれた扉を、がちゃり、と開けて、バックヤードに入った。それから、ほどなくして、事務室に到着した。
いくら、昌盛が、非合法な店であるとはいえ、事務室は、合法な店のオフィスと、大して変わりなかった。デスクだのロッカーだのパソコンだの、月並みな設備が配されていた。ちょうど、他の従業員たちは、全員、出払っているようだった。
森之谷は、自分の席に向かい、椅子に座った。パソコンのディスプレイを明るくすると、パスワードを入力し、ロックを解除した。
ぱっ、と画面が切り替わった。「ビッグロールマシンを使ったギャンブルイベントの新案について」と一ページ目に書かれているドキュメントが、表示された。
(別に、『人間サイコロくじ』が不人気、ってわけじゃない……むしろ、人気は、かなり高い。今回も、用意した席は、すべて、売ることができた。
ただ、せっかく、あんな、ビッグロールマシン、なんていう、この店だけの装置があるんだ。『人間サイコロくじ』にしか使わないのは、勿体ないじゃないか)
森之谷は、ドキュメントをスクロールすると、二ページ目を表示した。そこには、「候補1:複数のプレイヤーに、何らかのゲームで争わせる」「最下位プレイヤーを、ビッグロールマシンに入れて、何回か跳ね上げる」「それにより、最下位プレイヤーが死亡しても、他に、生存しているプレイヤーがいる限り、イベントは続行」「最後まで生き残ったプレイヤーが、最終的な勝者」と書かれていた。
(やっぱ、この案が、一番、いいかな……客たちには、プレイヤーたちの勝負を見物させるんだ。それだけでなく、どのプレイヤーが勝つか、を競馬みたいに予想させて、金を賭けさせるのも、アリかもしれないな。
で、肝心の、プレイヤーたちに何のゲームをやらせるか、だが……ここは、『ゾロ目ポーカー』がいいだろう)
「ゾロ目ポーカー」とは、サイコロを用いたポーカーだ。プレイヤーは、専用のマシンを使って、サイコロを振り、役を作る。役は、ゾロ目がいくつ存在するか、によって、強さが決まる。その後は、ポーカーのように、作った役を戦わせる。
(『ゾロ目ポーカー』は、うちの店オリジナルのギャンブルだから、宣伝になる。ルールも、大して複雑じゃないから、初めての客だって、すぐに理解できるはずだ。
よし……そうと決まれば、一回、テストしよう。実際に、やってみて、客にウケそうかどうか、確かめる必要がある)
しかし、ここで、思考は行き詰まった。テストには、とうぜんながら、プレイヤーを用意する必要がある。それが、問題だった。
(『人間サイコロくじ』の『ダイス・ヒューマン』を調達するなら、いつもどおり、炎天(えんてん)から、四等の商品を買えばいいんだが……)
炎天とは、主に東日本で活動している、人身売買組織だ。そこでは、商品である人間を、年齢や容姿、健康状態などから、一等から五等までに分類していた。
(とうぜんだが、プレイヤーを、炎天から調達するとなると、それなりに金がかかる。『人間サイコロくじ』については、四万石(よんまんごく)の許可を得ているから、金を用意してもらっているが……この、新しいギャンブルは、あくまで、テスト段階だ。四万石に申請しても、『実際に開催する予定の、人気の高いイベントならともかく、テストのために、金を用意することはできない』と言われてしまうのがオチだろう)
四万石とは、昌盛の運営母体である、犯罪組織だ。主に、金融・賭博事業を行っている。それなりに規模が大きく、本州全般において活動していた。
(なんとかして、炎天から商品を購入するための金を、捻出することはできないものか……)
それから、森之谷は、何度も首を捻って、うん、ううん、うううん、などと唸りながら、考えを巡らせた。
数分後、ぷるるるる、という電子音が、思考を遮った。事務室に設置してある固定電話の着信音だ。
一瞬、受話器を取るのは、他の従業員に任せよう、と考えた。しかし、すぐに、今、事務室にいるのは、自分一人だけである、ということに思い至った。彼は、ふう、と軽く溜め息を吐くと、席を離れて、電話機に近づき、受話器を取った。
「はい、昌盛、森之谷です」
「あ、森之谷くん? 豹泉(ひょういずみ)だけど」
「ひょ……?!」森之谷は、思わず絶句した。(声と名乗りからして、豹泉フィナンシャルグループの、豹泉会長だろう……)
豹泉フィナンシャルグループグループは、表社会はもちろん、裏社会でも、かなりの影響力を持っており、いくつかの組織を有している。四万石も、そのうちの一つだった。
「……豹泉さま。本日は、昌盛に、どういうご用件でしょうか?」
「昌盛、というか、森之谷くんにね」
「わたしに……ですか?」どことなく、不安を抱いた。
「ええ。あなた、以前、わたしが昌盛を視察した日に会った時、『新しいギャンブルイベントのテストをしたい』『プレイヤーを確保するのに悩んでいる』って言っていたわよね? その悩み、今も、続いている?」
「はい」ビッグロールマシンを用いた、新しいイベントを開催する件については、その当時から、いろいろと検討していた。「そうですね、今も、悩んでます」
「なら、よかったわ。ちょうど、そのテストプレイヤーに、相応しそうな人たちがいるの。それで、紹介しようと思って」
「本当ですか」渡りに船だ。「ありがとうございます。炎天の商品ですか?」
「いいえ。炎天どころか、裏社会と何の関係ない、一般人よ。ただ、いろいろと事情があって……今から、詳しく説明するわ」
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