第36話 わがまま


 赤城医師との対峙により度胸がついたのか、俺はドアの前であっさりインターフォンのボタンを押した。



「先輩、開いているので……」



 里桜さんの声に導かれ、ドアを開ける。

 家の中はやや薄暗いものの、暖房が効いているので温かかった。

 玄関の奥に、久しぶりに目にする里桜さんがいた。


 ピンク色の襟付きのパジャマを着た里桜さんは、少し新鮮に感じる。


 


「具合はどう?」


「はい、今はかなり良くなりました」


「よかった」



 肌のツヤも良いような。頬も少し赤みが差していて顔色がいい。

 って、俺イヤらしい目になってないよな?


 俺は里桜さんから目を逸らした。

 そのタイミングで、里桜さんが咳き込む。



「こんッ……こん」



 俺は里桜さんの背中に手を伸ばし、さすってみる。



「あっ、先輩……」


「大丈夫?」


「は、はい……咳がまだ止まらなくて……。でも、先輩の手、温かい」


「愛利奈に暑苦しいって言われたことあるなぁ」


「くすっ……」



 里桜さんが儚げに笑う。咳はすぐに落ち着いた。

 熱も下がり、食欲もあって身体は何ともないとのことだけど……心配だ。



「ごめん、もっと元気になってから見舞いに来ればよかったね。もう帰るよ」


「ううん。先輩が来てくれて嬉しいです……だから、もう少し一緒にいて下さい」


「わかった……じゃあ、せめて布団で横になったほうがいいと思う」



 俺は迷いつつも、もうしばらく一緒にいることにした。


 どうやら、ご両親はいないようだ。

 緊張はしなくていいことに安心する。でも、里桜さんと二人ってのもなんだか別の意味で鼓動が早くなった。

 


「あ、あの……先輩、肩を貸して貰えませんか?」



 少しか細い声で言いながら、里桜さんは俺の服を引っ張る。

 甘えるような雰囲気が、可愛らしい。


 俺は肩を貸し支えながら、彼女の部屋へ向かった。


 里桜さんの部屋に入る。空気がひんやりとしていた。

 見渡すと机とベッドと本棚があり、綺麗に整頓されている。

 彼女の部屋は、白とピンク色に彩られているものの飾り気のないシンプルな印象だ。



「じゃあ、ベッドに」


「はい」



 ところが……。

 俺は里桜さんの背中に手を回しゆっくりベッドに寝かせていくものの、いつまでも彼女は俺から離れなかったので、



「きゃっ……」



 バランスを崩し倒れた俺は里桜さんの上に覆い被さる形になってしまった。

 慌てて肘をついて起き上がると、ちょうど眼下に里桜さんの顔があり、目と目が合う。



「ご、ごめん」


「だ、大丈夫です……せ、先輩なら……」



 頬を染めながら、里桜さんは俺から視線を逸らし横を向く。

 ちょっ、何この、好きにしてください……みたいな……。


 ってバカか俺は。彼女は病み上がりなのだ。

 俺は身体を起こし、そっと布団を掛けてあげる。

 そうすると、ハッとするようにして俺を見上げる里桜さんは、随分名残惜しそうな表情をしているような気がする。



「痛くなかった?」


「はい……全然。先輩は?」


「俺も大丈夫」


「…………先輩、あの、ここに座っても大丈夫ですよ?」



 そう言って里桜さんは身体の横の辺り、布団の上を指さした。言われるまま俺は恐る恐る座る。



「そういえば赤城さんは何か言ってた?」


「きちんとした検査は病院じゃないとできないので、日を改めて検査しましょう、と言われました。あとは、この前の事件のこと少しお話ししました」



 そりゃ、そういう話題になるよな……。

 あれだけの事件があったのだ。色んな人に根掘り葉掘り聞かれて、そのたびに説明を求められる。 



「何回も同じこと聞かれるよね」


「はい……先輩もなんですね」



 俺がうん、と答えると里桜さんはくすっと笑った。同じ経験をしてなんだか共感を覚える。



「赤城さんは、悟さんと仲が良かったって聞いてるけど、そんなに?」


「はい……。いつも時間を合わせて飲みに出かけてましたし」


「親友同士だったのかもしれないね。喧嘩はしたりは?」


「えっ? 喧嘩ですか? あまり見たことないような……」



 ちょっとした戸惑いを里桜さんから感じる。

 気がはやって、なんだか尋問みたいになってしまっていた。話題を変えよう。



「そういえば、悟さんは何をしてる人だったの?」


「ライターというらしいです。新聞社とか、雑誌を出すところから依頼を受けて、文章を書く仕事ですね。内容はあまり教えてくれなかったのですが……あっ……」


「どうしたの?」


「そういえば、一度だけ、赤城先生と悟兄が喧嘩してたことがありました。ライターの仕事で書いた記事がどうのこうの……」



 もしかして……これは何かのヒントなのかもしれない。

 俺は慎重に、里桜さんに聞く。



「記事ってどんな内容か分かる?」


「たぶんですけど、何かを調べていてそのことで口論しているみたいでしたけど、詳しくは……分かりません」



 なにか、とっかかりにはなるかもしれない。

 家に帰ったら、さっそくネットで調べてみよう。ライターの仕事をしていた悟さんの記事が何だったのかわかるかもしれない。

 俺が考え込んでいると、里桜さんが口を開く。



「先輩、どうかされましたか?」


「ううん、なんでもない」



 心配そうな表情をしている里桜さんに、俺は慌てて笑顔を作りながら、立ち上がろうとした。

 里桜さんの顔も見られたことだし、今すぐ帰って調べたい。

 俺はすっと腰を浮かそうとする。



「せ、先輩——」



 里桜さんが急にかすれた声で俺を呼び止める。

 見ると、俺の服の裾を彼女の指がつまんでいた。



「どうしたの?」


「あの、もう少しここにいてもらうことはできませんか?」



 少し瞳を潤ませて言う里桜さん。こんな状況で、立ち去ることなんてできるか?

 いや、できるわけがない!


 俺は、はやる気持ちを心の奥底にしまう。



「うん。ここにいる」


「ありがとう……先輩——」



 安心したのか、ほっとしたような表情をする里桜さん。

 一人で心細いのかもしれない。

 しばらく何も話さずに、見つめ合っていた。


 やがて、意を決したように、里桜さんが口を開く。 



「——あの、先輩。私がちゃんと風邪を治して学校に行けるようになったら、伝えたいことがあります」


「伝えたいこと?」


「はい。その、私の気持ちといいますか、先輩への気持ちを」



 里桜さんの表情は真剣だ。俺の目を射るような勢いで、まっすぐに見つめてくる。

 俺は目を逸らすことなどできない。

 鈍感な俺でも、里桜さんが何を言っているのか分かる。このタイミングなら、茜色の夢で見た事実「俺の誕生日前に付き合っている」という状況も理解できる。


 だからこそ。

 無粋だと思いつつも、敢えて俺は一つの疑問をぶつけた。

 自分でも最低な質問だと思うけど、聞かずにはいられない。



「俺への気持ちって、本当に俺だけのものなのかな?」


「……はい」



 俺の予想に反して、里桜さんは目を逸らさずに答えた。



「悟さんと俺を重ねたりしてない、と?」



 俺の顔を見て、彼女はくすっと笑った。



「前はそうだったんです。でも……今は……違います。あの日、誘拐されて何をされるか分からなかった私を、助けてくれたときに気付いたんです」


「な、何を?」


「先輩は、先輩だということです……。あの時の私を見る目は、悟兄と違ってました。ううん、優しくて、守ろうという気持ちは同じように感じたのですけど」



 ここで、里桜さんは真っ赤に頬を染める。



「家族と違う何かを先輩からは感じて……それからはずっと……その、想いが募って……」



 次第に声が小さくなっていく。

 その表情が可愛らしくて仕方ない。里桜さんは一息つくと、続けて口を開く。



「私の先輩に対する気持ちは、元気になってから改めて伝えたいと思います」


「わかった。じゃあ、俺もその時に……気持ちを伝えるね。良い返事が……ううん、むしろ俺の方からする」


「えっ? ……はい!」



 溢れるような笑顔で、里桜さんが言った。

 その表情には力が溢れていて、とても風邪で寝込んでいるようには見えない。

 俺は、緩む口元を必死に締めながら、立ち上がる。



「じゃあ、そろそろ、俺は帰ろうかな」


「はい。ありがとうございました……先輩……あの、すぐ元気になりますので、もう少し待ってて下さい」


「うん。待ってる」



 俺はこうして、里桜さんのお見舞いを終え帰宅したのだった。

 帰る時の足取りは、羽が生えているように軽いものだった。

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