第35話 疑念


 俺は、自分と大切な人が殺される、いつもの茜色の夢から目覚めた。

 茜色の夢は、大きな変化も無く、これといって新しい情報も無い。


 起き上がり、汗を拭って高鳴る鼓動が落ち着くのを待つ。

 先日初めて見てから、随分慣れたものだ。

 慣れたとはいえ、夢を見ている最中は体中の血が沸騰するような感情に押しつぶされる。目覚めた直後の身体の状況はひどいものだ。


 辛い時期を乗り切ることができたのは、里桜さんのおかげだろう。心配だからと土日も朝、家にやってきてくれた。


 だけど。今日に限って里桜さんは姿を見せなかった。



「愛利奈、里桜さんは?」


「今日はお休みだと連絡がありましたわ。風邪を引いてしまったのだとか」


「ちょ、早く教えてよ」


「ついさっきLINEがありましたので……お兄さまのスマホにも届いておりませんこと?」



 朝起きた直後に確認したときは、通知がなかったのだが……今見ると、確かにLINEが届いていたようだ。


 昨日会った時は元気そうだったけど、そのあと体調を崩したらしい。

 次の日も、その次の日も里桜さんは学校を休んだ。


 そして、里桜さんが来なくなって四日目、かなりよくなったらしいので、学校が終わったら彼女の家に様子を見にいくことにした。

 朝、朝ご飯を食べている愛利奈に告げるの。



「だいぶよくなったみたいだから、今日里桜さんの見舞いに行こうと思うんだけど」


「分かり……ましたわ」


「ん? 愛利奈も顔色悪くないか? それとも風邪?」


「そ、そんなことありませんわ……少し寝不足で」



 ほんの少しだけど、愛利奈の表情がすぐれないようだ。

 ここ数日、眠そうにしているのを見かけている。



「どうしたんだ?」


「い、いえ、その面白いマンガを借りたので、つい夜更かしをしてしまいました。ですので、放課後はお兄さまと御一緒できません」


「御一緒? 何か約束してたっけ」


「どうせお兄さま、里桜さまのお見舞いに行くのでしょう?」


「行くつもりだけど、愛利奈は行かないのか? まあ、寝不足なら無理しない方がいいな」


「そうですわね。ですから、お兄さまは一人で行ってください」



 そんなわけで、俺は放課後里桜さんの家に向かうことにした。

 風邪が完全に治るまで待っても良かったのだけど、顔を合わせていないと不安になったのだ。

 

 里桜さんの家の場所は、このまえ愛利奈と一緒に行ったので知っている。

 あの事件から、たった二週間しか経っていないのに、随分昔のような出来事に感じた。



 ☆☆☆☆☆☆



 放課後。俺は急ぎ足で里桜さんの家にやって来た。

 家の横には、乗用車が一台止まっている。ご両親の車だろう。


 俺は玄関のドアの前に立ち、インターフォンのボタンを押そうとする。しかし、その直前で俺の指が引き返した。

 指が行ったり来たり……なかなか勇気が出ない。



「うう……」



 どうにも、初めて人の家に来るというのは緊張してしまう。ご両親が出られるかも知れないし。

 そう葛藤していると、不意に入り口のドアが開いた。


 ん?

 見覚えのある顔が見える。


 赤城医師だ……!

 なぜ? どうして?


 ボタンを押そうとして固まっていた俺に気付いたようで、赤城医師が近づいてくる。

 俺の脳裏に、あの茜色の夢が浮かぶ。赤く染まったナイフを持ち、俺を殺そうとしてくる、あの恐ろしい赤城医師の姿が。

 思わず一歩後ずさる。



「おや、これは……お久しぶりですね、上高君」


「あ、赤城さん。ど、どうして?」



 まさか……まさか、今、里桜さんを殺したのか?

 いや、茜色の夢は変わっていない。夢の中では、ナイフを持ち鬼のような形相をしていたけど、今は穏やかだ。

 でも、でも……。もし今、里桜さんを殺害したのなら、次は俺だ。



「おや、どうしました? 大丈夫ですか?」



 赤城医師は歩く速度を上げて、俺に近づいてくる。

 逃げなければ。俺はそう思って後ずさろうとしたものの、つまずいてバランスを崩した。

 後ろに倒れる……!



「おっと」



 俺の傾いた身体を、走ってきた赤城医師が抱きかかえた。

 細い身体でありながら、俺を力強く支えてくれる。俺も思わず、彼に抱きつく形になった。


 目の前に、赤城医師の顔があり、目が吸い寄せられる感覚を覚える。

 整った精悍な顔立ちに、俺はおもわず顔を赤らめてしまう。


 こんなイケメン、ズルすぎる……。相当の人タラシかもしれない。

 普段なら素直に良い印象を持ちそうだけど、今は赤城医師にネガティブなイメージしか抱かない。



「大丈夫かい?」


「あ、はい……なんとか平気です」


「そうか。よかった」



 俺をスッと立たせ、一歩下がる赤城医師。

 いつのまにか、俺の恐怖心はなりを潜め、穏やかな声に落ち着きを取り戻していた。



「あの、どうしてここに?」


「下山さんが体調崩したのを聞いてね、様子を見に来たんだ。検査の話をしたんだけど、思ったより元気そうだったし安心したよ」



 果たして、この言葉を信じても良いのだろうか?

 もし万が一にも里桜さんを殺していたとしたら……と考えたところで、頭がクラクラとした。あり得ないと思いつつ、疑う気持ちが消えやしない。



「あの、お医者さんって暇なんですか?」


「今日はたまたま夕方に診察が終わってね。時間があったからね」



 俺の不躾な言葉にも反応せず、赤城医師は余裕の表情をくずさない。

 敢えて、俺は悪い意味で言葉を選ぶ。



「そうなんですね……随分、里桜さんを贔屓ひいきされているというか」


「まあ、これは僕の罪滅ぼしでもあるし……」


「罪滅ぼし?」


「いや、元々、下山さんのお兄さんとは知り合いでね、仲良くさせていただいていたんだ。知らぬ仲じゃないからね」



 その瞬間、LINEの通知音が鳴った。俺のスマホからだ。

 俺はサッとスマホを取り出して確認すると、里桜さんからだった。



「あの、今から里桜さんと通話してもいいですか? すぐ終わります」


「うん? いいけど……?」



 俺は震える指でスマホを操作し、里桜さんと通話を始める。



「もしもし、里桜さん?」


「あ、先輩! LINEありがとうございます。あの、ごめんなさい……わざわざ来ていただけるなんて」


「……っ」



 俺は元気そうな里桜さんの声を聞いて安堵する。……生きている。

 当たり前のことなのに、目頭が熱くなるのはなぜだろう?



「先輩?」


「……い、いや、もう家の前までて来ててね。赤城先生と話してるんだ。すぐ行くよ」


「じゃ、すぐですね。はい、待ってます」



 俺は通話を切り、ふうと息をついた。

 とりあえず、今は赤城医師の行動を詮索する必要は無さそうだ。



「ふうん……なるほど。上高君は……下山さんのことが——」


「な、なんでしょう?」


「いや、なんでも……青春だなって」


「か、からかわないで下さい!」


「ふふ……上高君が心配するようなことは何も無いよ……何もね」


「はい?」


「じゃあ、これで僕は失礼するから。ごゆっくり」



 そう赤城医師は言い残し、駐車場に置いてある車に乗ってさっさと帰ってしまった。

 まるで子供扱いされたような気がして、ムカムカしてしまう。


 余裕のある大人という感じだ。

 少し、むかっとしたものの、物腰は柔らかく、優しかった。

 本当に赤城医師が俺たちを殺すのだろうか? そう疑ってしまいそうになる。


 でも、何か隠しているような感じはした。

 それが、あの惨劇を引き起こすかどうかは分からないけど、赤城医師のことは調べた方が良さそうだ。


 俺は里桜さんの家の方を向く。

 彼女に聞いてみよう。

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