第24話 分岐


 風が強くなり、ざあざあと雨の打ち付ける音がする。

 由香さんが「濡れた服は洗って乾かす」と言い、俺たちにお風呂を勧めてくれた。



「愛利奈、暖まったか?」


「はい、とても良いお湯でしたわ」



 そう言葉を交わして愛利奈と入れ違いで脱衣所に入る。

 湯上がりの愛利奈は肌が桜色に上気していて、降ろした髪の毛は艶があり少し大人びて見えた。

 身内だし、いつも見ている姿だからどうとも思わない。とはいえ、由香さんが用意してくれた浴衣は女の子用なので、可愛らしい柄とサイズ感に思わず笑みがこぼれる。



「何でしょうか? お兄さま」


「いや、可愛いと思って」


「ま、まあ……そ、そんなことを言っても何も出ませんわよ?」



 言いながらも愛利奈の口元は緩んでいた。

 今、不吉な影は全く見当たらない。

 この愛利奈が自殺? 馬鹿馬鹿しいとさえ思う。



「じゃあ、おやすみ。くれぐれも外には出ないように」


「はぁ、おやすみですわ」



 俺の注文に怪訝な表情をする愛利奈だったが、これでいい。



 一通り身体を洗い、暖まるのもそこそこに俺はサッと風呂を上がった。いつもはわりとのんびり入るのだけど今日だけは烏の行水だ。

 由香さんが用意してくれたのは……サイズ感からして男物のジャージとTシャツだ。赤城医師のだろうか?


 着替えて、脱衣所から廊下に出ようとしたとき、不意にドアが開いた。



「ひゃあ!?」



 俺は思わず声を上げる。ドアを開けたのは由香さんだった。

 危ない。もう少し早かったら、俺のヌード姿が見られていたなぁ。



「ご、ごめんなさい!」


「いえいえ、大丈夫です。じゃあ、俺はこれで——えっ?」



 俺に触れる柔らかい体……由香さんが急にしがみついてきた。



「ああ……悟さん……どうして……」


「ちょ、俺は悟さんでは無いです」


「…………少しだけ、このままいさせて下さい……!」



 由香さんの取り乱す姿に、どういうわけか気分が少し落ち着いた。

 俺はそっと彼女の肩に手を置き、しばらく無言で立ち尽くしていた。



 ☆☆☆☆☆☆



「落ちつきましたか?」


「はい。ありがとう……ごめんなさい、迷惑でしたよね?」


「ううん、大丈夫です」



 正直こんな美人に近づかれてどうしようかと思ったけど。

 多分……由香さんが見ていたのは俺ではなかったのだろう。



「あの、それで優生君に相談があって……」


「はぁ、なんでしょう?」


「……その前に、先に部屋に案内します。優生君の部屋だけど……」



 そう言って由香さんは……俺の手を引いた。 

 俺は引っ張られるまま後を付いていくと、一つの部屋に通される。

 六畳くらいの部屋だ。布団が一つ敷いてあって、ソファやラックに収まるテレビがあった。殺風景ではあるけど泊まるくらいならちょうどいい感じだ。



「由香さん、この部屋は?」


「一応、来客があって泊まってもらうときに使ってた部屋なの」


「分かりました。ちなみに愛利奈は?」


「愛利奈さんは私の部屋の隣で、兄の部屋にしたの。年頃の男女が同じ部屋はマズいでしょ?」



 由香さんの言おうとしていることはなんとなく分かる。とはいえ、俺と愛利奈に限って何かあるとは思えない。


 愛利奈が寝る部屋は二階のようだ。由香さんの隣なら安心でもある。

 それに、俺の寝る部屋は玄関に近い。誰かが廊下を通りこの家から出ようとすれば気付けるだろう。

 もし愛利奈が海に向かおうとするなら、ここで阻止できるはずだ。



「分かりました。今日はありがとうございます」


「その前にあの、ゆ……優生君って、彼女とかいたりするのかな?」



 少しもじもじしながら、意を決したように由香さんが言う。

 急に俺の話になり、驚き戸惑いながらも答えた。



「い、いえ」


「じゃあ、その……好きな人は?」



 ぱっと頭の中に、里桜さんの笑顔が浮かぶ。俺を暗闇から、引っ張り上げてくれた優しい里桜さんが。

 俺はどう思っているのか?

 命を救ってあげたい。でもこれは好きという感情なのだろうか?

 俺は錯覚しているだけじゃないのか?



「ううん、今は……まだ……」



 俺が言い終える前に、ぱあっと由香さんの顔がほころぶ。

 由香さんのその表情を見て、俺はドキッとした。


 ここでなぜか、愛利奈を失うという夢が脳裏に浮かぶ。

 どうしてこのタイミングで?

 まさか……この返事で状況が変わるのか?


 俺は冷静に心を落ち着かせて思い出す。

 以前、愛利奈と二人で、里桜さんを説得して病院に連れて行った。その後、里桜さんとデートしていろいろなことを話した。

 里桜さんが楽しそうに話をしていることばかり思い出す。話の相手は愛利奈だったり、俺だったり。


 胸が温かくなる。ああ、やっぱり……。

 俺は先ほどの言葉をひっくり返す。



「ううん、います。大切な……守りたい人が」



 ほころんでいた由香さんの顔から色が失われた。



「えっ……でもね、高校生の恋愛って言うのはね、幻想を見ているだけかもしれませんよ? 本当に、その人のことを真剣に守りたいって思いますか? 例えば、命がけで」


「はい。俺は、何があっても守ろうと思っています」



 俺は驚くほどすんなりと覚悟の言葉を口にした。

 今までがそうだったように、これからも本気で守りたいと思っている。

 これは愛利奈も含んでいる。夢を見ていなければ、口にしなかっただろう。


 俺の表情を見て、由香さんは目を見開き、少ししてから肩を落とす。



「驚いた……じゃあ、どうしようもないね」



 俺と目を合わさず、由香さんが去ろうとする。

 いったい、何が言いたいのかさっぱり分からない。



「あの、相談があるというのは?」


「うーん……もう解決したのかもしれません」


「えっ、解決って、いつのまに?」


「ううん。優生君が守りたい人がいるって言ったのを見て、諦めがついたのかも」


「???」


「じゃあ、おやすみなさい」


「は、はい……おやすみなさい……」



 まったく言っている意味わからず、ぽかん口を開けた俺を置いて由香さんは去ってしまった……。

 一体何だったのだろう?



 ☆☆☆☆☆☆



 日付が変わった。

 俺はぼけっと明かりを付けたまま布団に寝っ転がっていた。

 幸い、眠気はあまりない。


 里桜さんからLINEが来ていたので、返事をしつつSNSを見て時間を潰していた。

 テレビを見てもいいけど、音があると誰かが廊下を通ったときに気付けない可能性がある。


 いつの間にか、あれだけ降っていた雨は蛇口を閉じるようにぴたりと止んでいた。

 風もあまりないらしく、しーんとしている。

 とにかく静かで、どんな物音も聞こえるような気がする。


 波の音は聞こえない。 

 ブーン……。

 昼間に聞いた蜂など、羽虫の羽ばたく音まで聞こえる。軒先にでも蜂の巣があるのだろう。



 とん……とん。

 廊下の方から足音が聞こえた。

 ん? 誰かこっちに向かっている?


 俺は起き上がり、ドアに近づくと、コンコンとドアがノックされた。



「はい俺は起きてます、何か用ですか?」



 誰だ? 由香さんか?

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