第23話 疑問

「お二人は、悟さんの妹さんの里桜さんと同じ学校なんですね……」



 ずぶ濡れの俺と愛利奈を見かねた商店の女性は「タオルをお貸しするので、使って下さい」と申し出てくれたので甘えることにした。


 彼女は赤城由香と名乗った。つまり、里桜さんの主治医である赤城医師の妹さん。

 そうだ、そういえば……俺と初めて会った赤城医師も、そして里桜さんも、さっきの由香さんと同じリアクションだった。


 亡くなったはずの悟さんが現れたというような、嬉しいとも驚きとも取れる感情が伝わってくる。

 もっとも彼女の方はより反応が大きく、感情的だった。


 もちろんすぐ別人だと気付くわけだけど、それからの由香さんはどうしても俺たちを引き留めたいようだった。


 俺と愛利奈は濡れた身体を拭き取ったあと、暖房を効かせてくれた居間に俺たちは通される。

 服はやや湿り気を帯びたままだけど、暖房のおかげか随分ましになった。

 幸い濡れたのは顔から肩の辺りまでで俺も愛利奈も下半身はあまり濡れていなかった。



「——はい。それで、こっちが俺の妹で、愛利奈って言います」


「こんにちは」


「こんにちは。愛利奈ちゃんも可愛いわね」



 愛利奈は俺の腕にしがみついて離れない。

 人見知りはあまりしないと思っていたけど、今は緊張しているようだ。



「今日はありがとうございます。こんなに急に降ってくるなんて思わなくて」


「そうね。たまたま、ウチに駆け込んできてくれて良かったわ。こうして話ができるし……兄さんの話も聞けたし……それに……」


「それに?」



 言い淀んだ由香さんは、目を逸らし俯く。やや頬が赤らんでいることに気付いた。

 この様子は、里桜さんのリアクションを思い出す。


 もしかして、由香さんは悟さんのことが好きだったのだろうか?



「ね、お兄さま……あのこと聞きませんか」



 俺の後ろに隠れるようにしていた愛利奈が言った。

 何を言いたいのか、愛利奈の表情から察する。



「悟さんのこと?」


「うん……灯台の」



 由香さんに向き合い、俺と愛利奈は意を決して、口を開く。



「あの、すぐそこの岸壁の先にある灯台に、花を手向けてありました。あれは、もしかして由香さんが……?」


「…………はい」



 一瞬驚いたような表情が見えたけど、すぐに元の優しい笑顔になった由香さんが続ける。



「お二人は、悟さんの……こと……ご存じなのですね」


「はい。あの場所で亡くなったのだと聞いています。そのことについて、何か……その、気になることとか……あったりしませんか?」



 言葉を選んだつもりだったけど、不自然になってしまった。これでは、何かを疑っているような印象になりそうだ。

 でも、せっかくここまで来たんだ。何かヒントを手に入れたい。



「…………いえ……。気になることは警察の方に全部話しましたし……。ただ、今でも……どうして自ら命を絶つ前に、相談してくれなかったのか……それが悔しくて」


「そうですか……そうですよね」


「悲しくて寂しくて。どうしようも無くなって、後を追おうと思ったこともありますが」



 後を追う……。

 俺ははっと、顔を上げる。茜色の夢の愛利奈が命を落とす理由も自殺だ。

 目の前の由香さんの様子に心配になる。



「由香さん?」


「うん……もちろん、もう大丈夫です」



 特に強がるわけでもなく、由香さんは優しい口調でそう言った。


 俺は大きく息を吸う。頭に浮かぶ一つの疑問が俺を動かす。

 里桜さんのストーカーが持っていた写真。その写真に写っていた港。

 そこに住んでいた赤城兄妹と、仲が良かった悟さんの自殺。


 俺は、由香さんにどう思われても良い、そう決心をして口を開いた。

 里桜さんの殺人と悟さんの自殺、もっと言えば愛利奈の自殺に何か関係があるとしたら……?

 今のところ、それらを繋ぐ線を見つけられていない。



「悟さんは、本当に自殺だったんですか?」


「えっ……」



 突然の俺の質問に驚き、俯く由香さん。



「…………えっと、もしかして…………ううん、遺書もありましたから……間違いないと……思います」


「遺書?」


「はい……スマートフォンのメールで兄に送っていたそうです。

 それが証拠として認められたし、最初は疑っていた兄もすぐに納得していたので、私もそれを信じるしかなかったですし……」



 歯切れが悪いものの、彼女はそう言って黙ってしまった。


 会話が途切れてしまう。

 由香さんの返事に若干の違和感があったものの、終わった事件であり、警察もそのように判断したのだ。

 予想していたとはいえ、何も収穫がなかった。


 これ以上、聞けることは何もないだろう。

 愛利奈も長時間、港の近くにいても危険だし、もう帰ろう。そう愛利奈に合図しようとした時だった。


 ブー、ブーー。


 テーブルに置いた俺のスマホが鳴る。ディスプレイには「母さん」の文字が表示されていた。


 一体何事だろう?

 俺は一言断りを入れて、母さんと会話する。

 


「もしもし?」


『優生、今どこ?』



電話口の母さんの声はやや強張っていた。

何か焦ったような、不安そうな声色。



「今、話してた港の近くだよ。もうすぐ帰ろうと思ってるけど、何かあった?」


『良かった……じゃあ電車には乗ってなかったのね。外、凄い雨でしょ?』


「うん、そうだけど」


『雨で土砂崩れがあったみたいで、電車が脱線したってニュースがあってびっくりして……』



 母さんの安堵の声と逆に俺は焦り出す。

 俺たちは今晩ここに足止めされる?

 いや、それはマズい。



「じゃ、じゃあ……どうやって帰ろう? 母さんが迎えに来るとか?」


『うーん……ちょっと遠いし、もう暗くなるし、この雨の中運転する自信はないなぁ。道もどうなってるか分からないし、近くに民宿とか、ホテルとかないかしら? ちょっと探してみて』



 母さんは話しながら、スマホアプリで宿泊場所を探し始めたようだ。迎えに来ることは全く考えていないらしい。

 確かにこの雨と暗闇の中、また別の災害があるかもしれない。それよりは明日、明るくなってから移動する方がいい。


 でも、愛利奈をこの港から遠ざけないと。明日の朝まで、いや今日中に!



「明日も雨が止まなかったらどうするの? それなら、今すぐ来てくれた方が良いよ」


『あら、そこの近くに民宿とホテルが何件かありそうね。うーん、ちょっと微妙なホテルもあるけど民宿なら……。明日日曜日だし、無理せずゆっくり帰って来なさい。明日も雨が止まないなら、親戚の誰かにお願いして迎えに行くから』


「で、でも……」


『もう高校生なんだし、大丈夫でしょ? 愛利奈のこともよろしく。

 泊まるところが決まったら連絡ちょうだい』


「ええぇ」



 ダメだ。夢のことを話しても信じてくれないだろう。

 俺は仕方なく通話を切る。

 すると、会話から察したのか由香さんが口を開いた。



「優生君、ウチに空き部屋があるから、泊まってもらっても構いませんよ……ううん、是非ウチに泊まって下さい」



 突然の申し出にびっくりしつつも、結局押し切られる形で俺たちは由香さん——赤城医師の家に泊まることになったのだった。


 この流れは前と同じだ。事態は思うように、都合良く変わっていかない。

 ああすればよかったと思っても容赦なく時間は過ぎ、状況は夢を再現するように進んでいく。

 ただ、今回違うのは——愛利奈の死の刻限が明日早朝に迫っていることだ。


 ふと、視線を感じて愛利奈の方を見た。

 すると、やや不安そうな面持ちで俺を見つめ、きゅっと俺の服の裾をつまんでくる。



「お兄ちゃん……あっ……お兄さま、どうされました?」



 自由の利かない、見知らぬ旅館やホテルより、由香さんの好意に甘えた方がいいのかもしれない。

 まだ何か、彼女や赤城医師が住んでいたり、悟さんが泊まっていたというこの家にヒントがあるかもしれない。



「ううん、きょ、今日はここに泊まろうか」



 俺は返事をするように愛利奈の手を握り返すと、彼女はこくりと頷いた。



「はい」



 状況はあまり良いとは言えない。

 愛利奈の自殺に対して、まだ何も分からない状況だ。


 もし何かあるとしたら、日が変わってからだろう。それからが勝負だ。

 絶対に……愛利奈を守る。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る