第22話 邂逅

「お兄ちゃん……?

 い、いえ、お兄さま、そんなに声を荒げてどうしたのですか?

 手……痛い……」



 はっとして、俺は力一杯つかんでいたためか、血の気が失せて真っ白になりかけていた愛利奈の手から力を抜いた。



「ごめん、つい」


「いいですけど……。ここまで来たのに、後もう少しで目的地ですのに……お兄さまが行きたいと言ったから、私も行きたいと願ったのです。

 ここでやめてしまったら、何のために……今日一緒に来たのか、分からなくなってしまいます」



 愛利奈は俺の手を掴み、強く握り返して言った。

 強い意思が伝わってくる。


 その愛利奈の様子を見て思い出す。

 茜色の夢の中で俺が、懺悔のように言っていたことを。



『俺が愛利奈の願いを断ったばかりに——』



 夢の中の俺は、ひたすら後悔しているようだった。

 だとすると、愛利奈の意向を無視する方が危ないんじゃないか……?


 愛利奈が海に転落する、おおよその時刻は分かっている。


 明日の朝までに港を離れれば良い。そもそもここに泊まる予定などない。

 もうすぐ夕暮れ時になる。

 せいぜい一時間程度港にいて、用事がおわればさっさと帰ればいい。



 俺は愛利奈の手を握り返す。



「いやごめん。大丈夫、あの港に行こうか」


「は、はい、行きましょう。お兄さま」



 戸惑いを見せる愛利奈。俺はその様子を無視し、彼女を引っ張るようにして港に向け歩き始めた。



 ☆☆☆☆☆☆



 上るのは随分時間がかかったのに、下りはあっという間だ。

 俺たちはあっけなく港に到着した。


 潮の香りがする。海からの

 青い海に、白い堤防が堤防が伸びていて、片方に小さな灯台がある。

 あの灯台の近くで、悟さん……里桜さんのお兄さんが亡くなったのだという。


 ここに来てようやく気付いたのだけど、港から伸びる堤防は三つだ。

 写真もよく見るとそれが写っている。



「あの灯台、行ってみる?」


「……はい」



 港に面した通りに、雑貨やお土産のような物を売っている商店があることに気付く。

 俺は足早に立ち寄った。



「お兄さま、お花?」


「うん。手向けようと思って」



 俺は黄色い名も知らぬ花を手に取り、買った。

 そして灯台の近くまで二人で歩いて行く。


 愛利奈は言葉も少なく、今までの明るい表情はすこしなりを潜めていた。

 灯台と言ってもそれほど大きくはない。俺の身長の二、三倍、高さ四、五メートルと言ったところか。


 愛利奈が俺の手をぎゅっと握り返してきた。

 言葉が少なく、かすかに愛利奈の手が震えている。

 人が亡くなった場所に行くのが怖いのだろうか?


 いつもと違う様子に驚きつつも二人で寄り添い、その場所に向かう。



「あ……ここ……」



 灯台の近くまでやってきた。

 ざざーっと波の音と、カモメだろうか? 甲高いクゥークゥーという鳥の鳴き声が聞こえる。



「ここかな……あれ?」


「お花が手向けてありますわね」



 愛利奈の言うとおり、俺たちが商店で買ったものと同じ花が、灯台の片隅に立てかけてあった。

 誰かが、今でも花を手向けている……?


 その花はまだ新しく、今朝か昨日に置かれたものなのだろう。

 海の風もあるし、何日も残るとは思えない。


 とはいえ、他にも亡くなった人がいるのかもしれない。

 考えていても仕方ないので俺と愛利奈は手を合わせ、静かに祈った。


 しばらくして目を開ける。



「ここで……悟さんが……」


「そうですわね」


「でも……」



 正直、ここに来れば何かが分かると期待していた。

 しかし……。いざ来てみると、なんの変哲も無い小さな港で、灯台も何の変哲も無く、何か気になるようなものも無かった。


 強いて言えば、灯台に手向けられた花が気になる。それだって悟さんに関係するかどうかも分からない。



「じゃあ、帰ろうか」


「はい」



 愛利奈は少し元気がない。

 たぶん俺と同じ気持ちなのかもしれない。

 ここにくれば、何か新しいことが分かって里桜さんの力になれると期待していたのだろう。


 風が急に冷たくなった。

 ふと空を見上げると、いつの間にか鉛色の雲が全天を覆っている。



「あれ……これ、雨ヤバかったりする?」


「そうかもしれませんわ……!」



 ぽつ、ぽつと、冷たい水滴が顔に当たる。

 これは波によって飛び散った海水ではない。空から降り注ぐ雨だ。

 心なしか風も強く、体があっという間に冷えていくのを感じる。



「ヤバっ。早く戻らないと」


「お兄さま、走りましょう」



 ザーーーー。

 様子見にポツポツと降っていた雨粒は、気がつけばバケツをひっくり返したような勢いに変わっていた。


 ここ山陰には「弁当忘れても傘忘れるな」ということわざがある。

 急激に天気が変わるのは、よくあることだ。傘を忘れてびしょ濡れになって風邪を引くことだってある。

 昔は、そうやって体調を崩して具合が悪くなる人がもっと多かったのだろう。



「「はあっ、はあっ、はあっ」」



 俺たちは、港沿いで雨宿りができそうな場所を探し、開いている所に駆け込んだ。

 そこは小さな雑貨屋で、パンやジュースなどの食料品や雑貨などを売っている、さっき花を買った商店だった。



「ふう、助かりましたわ」


「ああ。お店開いていて良かった」



 店内に入り、辺りを見渡す。

 雨宿りをさせて貰うわけだし、何か必要そうなものがあれば買った方が良いだろうと思った。


 すると、数枚の白いタオルが畳んで重ねられているのを見つける。

 俺たちは随分と濡れてしまっていて、水滴を拭き取りたかったしちょうどいい。



「あのー、すいませーん」



 俺は姿の見えない店員さんが奥の方にいると信じて声を上げた。

 すると奥から「はーい」という声と共に、二十歳くらいの女性がぱたあたと駆けてくる。

 やや短めの髪の毛が目を引く、綺麗な人だった。

 どことなく、見覚えがあるような……?



「はいはい……あら、ずぶ濡れじゃない…………えっ」



 柔らかな声の女性は、俺と愛利奈を交互に見て、もう一度俺を見て固まる。



「う、うそ……悟……君……!?」



 お姉さんはくしゃっと泣きそうな表情になると、俺に駆け寄ってきて、彼女の吐息が感じられるほどに近づいてきた。



「「えっ?」」



 女性の接近に、俺はドギマギする。

 が、すぐに、何かに気付いた女性は俺から一歩引く。



「ううん……違う……よね……そうだよね……」



 どこか、悲しげで、切なげで、それでいて懐かしげで……失望した——そんな表情だった。

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