第21話 魚見台

 途中から急に山登りというかハイキングというか。

 山と言っても海抜十数メートル、その程度だ。


 とはいえ坂道を歩くのはやや疲れる。


 天気は快晴ですがすがしく、横から顔に当たる風が心地良い。

 ふと風上の方に目をやると、水平線が見えた。

 空より深い青色の海を綺麗だと思った。


 俺は視線を道の先に向ける。

 山の緑は意外と青々としていて、紅葉はまだまだ先の様子だ。



「はぁ……はぁ」


「……愛利奈、手貸してみ?」



 愛利奈がバテそうだったので、俺は彼女の手を握り引っ張った。



「きゃっ……」


「そろそろきついだろ? 山登りする格好じゃないよな」


「だから……誰のために……」



 何やら小声でぶつぶつ言っている愛利奈。

 彼女のゴスロリ風メイド服と、ツインテールが風に揺れている。


 愛利奈は俺よりもたくさん汗をかいているように見えた。



「大丈夫か?」


「ちょっ……ちょっと疲れただけですわ」



 そう口を尖らせながらも、愛利奈は俺の手をぎゅっと握り返してくる。

 心なしか、嬉しそうにさえ見える。


 愛利奈の手は汗ばんでいて少し湿っているけど、不快ではなかった。前にも幼い頃、こんなことがあったような気がする。


 兄妹で遊びに出かけて、日が暮れるまで遊んで……。父を失った事故の後はさっぱりしなくなったこと。

 愛利奈もその頃を思い出しているのだろうか?


 愛利奈の表情は、やや疲れが見えるものの曇りは見えない。

 自殺するなんて信じられない。



「どうしました?」



俺の視線に気付いて、愛利奈は首をかしげている。



「ううん。なんでも。ほら、あそこが目的地なのか?」


「ええ。そうですわね」



 俺たちはようやく、とりあえずの目的地にたどり着いたのだった。


 そこは「魚見台」と呼ばれる海に突き出た高台で、昔はここから魚の群を見つけて漁に出たのだという。

 青い海と空を隔てる水平線がくっきりと見える。

 綺麗だった。思わず息を飲む。



「すごいな。もしかして、この高台からの景色を見たかったのか?」


「それもありますけど……こちらを見て下さい。お兄さま」



 東の方角には、海岸線がなだらかなカーブを描いている。

 そして、その手前には——。



「小さな漁港……波よけの防波堤兼が岸壁二つ……」



 俺はたまらず、スマホを取りだし確認する。

 つぶやきアプリを起動してストーカーと思わしきアカウントを確認する。


 目の前に広がる光景は、アップされている写真と同じだ。

 恐らく、この高台から撮影されたものだろう。



「ストーカーはここに来たことがある?」


「はい」


「でも何のために? 観光?」



 この魚見台という高台には駐車場が用意されている。そこには車が二台ほど停まっていた。

 観光客なのか、あるいはデートなのか。大人の男女で仲よさげに歩いている人たちがいる。



「いいえ。何かのメッセージのような気がしますわ」



 愛利奈はそう断言した。その様子は思慮深く、注意深く物事を判断している。

 あどけない表情で俺を追いかけてきていた妹のイメージと随分違い、大人びて見える。



「メッセージ? 何か俺たちに伝えたいことがあるってことか? それは何だ?」


「わ、分かりませんが……そうじゃないとこの写真の意味が分かりません」



 愛利奈は何か確信を得ているかのようにやや強い口調で言った。

 とはいえ、それが何か手が届かなくもどかしい想いも伝わってくる。

 だとしたら、俺がすべきことは——。



「俺も愛利奈の考えに賛成だ。必ず意味があると思う」


「はい!」



 嬉しそうに迷いを吹っ切るように顔を上げる愛利奈。

 そうだ、俺は以前、この笑顔に救われたのだ。


 父を助けられず塞ぎ込んでいたあの、絶望の日々。

 そこから、彼女は俺を掬い上げてくれた。

 いつかお礼の言葉を伝えたいと思いつつ、気恥ずかしいし距離が開いてしまったのでできなかったが……。


「愛利奈……あの——」


「そういえばお兄さま、何か音が聞こえませんか?」



 愛利奈は耳の後ろに手を当て、何かを聞き取ろうとする仕草をする。



「音?」



 俺も耳を澄ましてみた。

 ここは海に面した高台なので、びゅうびゅうという風の音がする。しかし、じっと意識を集中していると、かすかにブーンという音が聞こえる。

 羽虫、例えば蜂でも傍にいるかのような……。



「ん? どこだ」



 俺は周囲をぐるりと眺める。



「お兄さま! 後ろです! 蜂が……!!」


「えっ!? ひゃあああああ!」



 俺は叫び声を上げてしまった。

 振り返るとそこには——、何もいなかった。

 音もいつの間にか聞こえなくなっている。



「あれ? お兄さま……私の見間違いでしょうか?」


「お、おう……」



 いや一瞬取り乱してしまった。

 恥ずかしい。愛利奈は、俺をニヤニヤとして見る。



「お兄ちゃん意外と可愛いんだなあ……ごほん、可愛らしいのですね」


「えっ」


「ひゃあああっ!」



 愛利奈は俺の真似をして笑った。

 妙に可愛らしく女の子っぽくアレンジされている。


 こんなやり取り、ホントに久しぶりだなって思う。

 そうか……俺たちはまだ昔と変わらず兄妹でいられる……ふと、そんな感慨にふけると怒る気にもならない。

 俺もふと笑ってしまう。

 

 

「勘弁してくれよぉ。ぷっ」


「ふふっ。ではお兄さま、ここで写真撮影を……」



 愛利奈はそういって、俺の隣に来て、ぴったりと肩をよせくっつき腕を組んできた。

 彼女のやや高い体温と柔らかさを肩に感じる。

 もろに胸が触れているが、気にしていないようだ。


 里桜さんと同じようにしたら、俺が色々と大変なことになっていそうなのに。

 相手が愛利奈だとむしろ落ち着く。

 柔らかい膨らみに対しても俺は全く反応しなかった。



 カシャッ。



 愛利奈が精一杯手を伸ばし、スマホをこっちに向けて撮影する。髪の毛をやたら気にしながら何枚か撮影すると、



「うん、良く撮れましたわ」



 と、愛利奈は満足そうだった。



 俺は茜色の夢の内容を思い出す。

 愛利奈は、明日の朝六時半ごろ、あの港の岸壁から海に転落し……命を落とす。


 今はその前日の午後三時だ。

 港に近づいても大丈夫だろうか?


 俺は港の様子を見てみた。

 そこには、何人か人がいるのが見える。

 たぶん釣りでもしているのだろう。休日だし、昼間だし、天気だし、人の目も多い。


 だけど……。

 隣で微笑む愛利奈を失う可能性がある。

 彼女を失ったら俺はどうなるのだろう。

 そんな考えが頭をよぎり、怖くなった。



「やっぱ、帰ろうか?」


「えっ? どうしてですかお兄さま?」



 当然の疑問だ。

 ここまでやってきたのだ。愛利奈だってルートやこの魚見台のことなど調べてきた。これから先のプランだってあるのかもしれない。



「……いや、なんとなくだけど今日は日が悪いというか」



 俺としても歯切れが悪いなと思う。

 嘘でもつければいいのだけど、とっさに思いつくような嘘は、愛利奈に簡単に見破られそうな気がする。



「ではお兄さまだけお帰り下さい。

 わたくしは、里桜さまの力に少しでもなりたいので一人で行ってきます」


「ダメだ!」



 俺はつい叫び、愛利奈の手を力任せに掴む。

 突然の大きな声に愛利奈は目を丸くして俺を見ていた。



「お、お兄ちゃん……?」

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