第20話 願い


 ……茜色に染まる夢を見ていた。



 俺は薄暗い自分の部屋で床に体育座りをしていた。



「俺が悪かった、愛利奈。

 俺が愛利奈の願いを断ったばかりに——」


 ぼそっと言う。


 俺は新聞を手に取り、見つめる。

 新聞の日付は、十月十日。

 地域面紙面に、小さく載っている記事を俺は凝視する。



【女子中学生、海に転落して死亡】



 俺の新聞を持つ手が震えている。

 記事を読み進める。何度も何度も……。



【警察などによると、十月九日午前六時過ぎ、近くにいた男性から、「人が海に落ちたかもしれない」と消防に通報があった】


【発見された中学生は病院に運ばれたが、死亡が確認された】


【岸壁には中学生のものと思われる靴が揃えて置いてあった】


【警察が、自殺と事故の両面で当時の状況をくわしく調べている】



 死亡した女子中学生の名は、上高愛利奈。


 俺は床に視線を落とす。



「おれが願いを断ったからなのか?

 教えてくれ……愛利奈……」



 消え入りそうな声をあげながら、俺はむせび泣いていた。

 部屋はどんどん暗くなっていく。

 夕闇が迫っている。



「さま……お兄さま……」



 どこからか声が聞こえる。

 愛利奈の声だ。



 ん?

 愛利奈は死んでいない?

 誰かに肩を揺すられている。


 薄暗かった部屋に光が差し込んでくる。



 ……茜色に染まる夢が終わる。




 ☆☆☆☆☆☆




「……お兄さま?」



 愛利奈の心配そうな声が聞こえる。

 声がした方向を見ると、愛利奈が首をかしげて俺を見つめていた。

 口をへの字にして、困ったような顔をしている。


 俺はその様子を見て安堵した。

 隣に座る愛利奈の温もりは確かなものだ。声も目に映る姿も間違いなく、現実のもの。

 愛利奈は生きている。


 この心臓が抉られるような感覚は何度目だろう?

 さっぱり慣れる気がしない。


 じわりと目頭が熱くなる。泣きたいわけではなくて……。

 身体が勝手に反応し、それを抑えることができない。

 前回ほど取り乱していないのは、あの新聞の記事だけでは信じられなかったからかもしれない。



「お兄さま!」


「うおっ!?」



 気付くと、愛利奈が俺の顔を覗き込んでいた。



「どうしましたの? 顔色が優れませんわ」


「あ、ああ。ちょっと嫌な夢を見ちゃってな」


「どんな内容ですの?」



 愛利奈が亡くなった記事を見る夢、などと言えるわけがない。俺は誤魔化すことしかできなかった。



「……愛利奈と喧嘩しちゃって、俺が家出する夢」


「まぁ、お兄さまったら」



愛利奈はおかしそうに笑う。



「……ははは。冗談だよ」



笑ってみせるが愛利奈は俺の目元に手を当てた。

愛利奈は優しく微笑みかけてくれる。……俺はその笑顔に救われる思いがした。



「そんなに悲しまなくても、わたくしは……お兄さまに…………じゃなくて!

 もう青谷駅に着くから降りないと!」



 そう言って、急に慌て始めた愛利奈は立ち上がり、ぼさっとしている俺の手を引いた。

 お嬢様口調が消えている。



「お、おう……」



 俺は鞄を背負い、先に歩く愛利奈の後を追いかける。

 愛利奈の足取りは、なぜか弾んでいるように見えた。



 ☆☆☆☆☆☆



 俺たちは青谷駅というところで下車した。

 そして、目的の港である船磯漁港に向けて歩き出す。


 ナビゲーションは全て愛利奈に任せていた。

 俺も行ったことがないところだ。そう言うと、愛利奈がルートを決めると言い張った。


 しばらくあるいたところで、俺はしまった、と思った。

 茜色の夢で見た新聞記事には、こう記してあったはずだ。



「人が海に落ちたかもしれない」

には中学生のものと思われる靴が揃えて置いてあった」



 砂浜ではなく、岸壁。

 つまり、愛利奈はどこかの港から転落する可能性が高い。

 その港とは、俺たちが今向かっている船磯漁港のことだ。


 愛利奈が海に落ちた日付は十月九日。これだけは覚えている。

 つまり明日の午前六時三十分過ぎに事故が起きる。


 だったら、港に近づかなければ良いわけだ。


 いや、待てよ?

 俺は何か、夢の中の出来事を見落としているような気がした。



「お、思ったよりきついですわね」



 愛利奈がぼやいた。

 坂道を上り初めてしばらく経つ。意外ときつい坂道だし、弱音を吐くのはしかたないのだけど。



「このルートを選んだのは愛利奈だろう?」


「そうですが、まさかスマホのアプリがこんな道を選ぶとは想いもしませんでした」



 結局スマホにナビをさせていたのか。なら、こんなこともある。

 ……って、あれ? おかしくないか?


 俺たちは港に向かっているはずだ。

 なぜ、山を登る必要がある?



「愛利奈……どうして俺たちは山を登っているんだ?

 港は山の上にないだろう?」


「うっ……お兄さまは、私の言うとおりに歩けばいいのです」



 何か思惑がありそうに見える。

 と言っても、歩けば歩くほど、愛利奈が死ぬ港に近づいていることになる。

 俺は急に怖くなってきた。



「引き返そう。

 このまま、家に帰ろう——」



 そこまで言って、俺は口をつぐんだ。

 夢の中の言葉を思い出したから。



『俺が願いを断ったばかりに』



 夢の中で、俺は深く後悔するように、何度もこの言葉をつぶやいていた。

 自殺なのか事故なのか分からないけど、愛利奈を拒絶してはいけない?


 愛利奈の願いを断ったら、ああなるのか?


 例え、港に近づかなくても、本当の原因を解決しなければ愛利奈が死ぬ運命から逃れられないとしたら?

 過去の里桜さんがそうであったように。



「お兄さま、何か言いましたか?」


「いや、なんでもない。この道なりにまっすぐに行けばいいんだな?」


「ええ、そうですわ!」



 俺は愛利奈の手を握り、彼女を先導するように歩き出した。

 つないだ妹の手の温もりを、とても懐かしく感じる。


 一つの決意をする。

 せめて、明日の朝を越えるまでは……愛利奈の願いを徹底的に叶えてやる、と。


 そうすれば、きっと、死から愛利奈を救えるはずだ。


 ……きっと。




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