第25話 涙

「お兄ちゃん……」



 俺がドアを開けると、愛利奈が枕を抱えて突っ立っていた。

 愛利奈は就寝用の浴衣を着ている。ピンク色で描かれた生地は可愛らしく、とても似合っていた。

 降ろした髪の毛に少しだけ幼さを感じる。



「どうしたんだ?」


「怖くて……眠れなくて……。一緒に寝て欲て欲しいけど……だめ?」


「はあ、もうそういう歳じゃないだろう?」



 言いかけてやめる。

 今日だけは愛利奈の願いは叶えてやらないといけない。それに、朝まで一緒にいれば、愛利奈一人海に向かおうとしてもすぐに止められる。


 愛利奈なりに、死が近いことを感じているのだろうか?

 そういえば、いつものお嬢様言葉が消えている。



「いや、うん、分かった。一緒に寝よっか」


「ほんと? わーい」


「お、おう……」



 言葉使い一つで、愛利奈の精神年齢が十歳くらい下がったような気がする。

 愛利奈はぱたぱたと嬉しそうに布団に枕を並べ寝っ転がった。

 そして、布団から出した右手で、隣をぱんぱんと叩くようにして言う。



「お兄ちゃん、こっち」


「へいへい」



 俺も愛利奈が示す指定位置に寝転がり、明かりを落とした。

 いつのまにか周りはしんと静まりかえり、愛利奈と俺の息づかいだけが聞こえるようになった。


 こうやって愛利奈と同じ布団で寝るというのは随分久しぶりだ。


 二人ともしばらく仰向けに寝ていた。しかし急に愛利奈は思い立ったように、俺の腕をとって枕の上に敷きその上に首を置いて俺に抱きついてくる。

 そして、俺の胸元で愛利奈がささやく。



「お兄ちゃん、あったかい」


「愛利奈もな」



 愛利奈が俺の背中に手を回す。

 その手のひらが震えていることに気付いた。



「お兄ちゃん……あのね……震えが止まらなくて……怖くて仕方ないの。

 灯台の所に手向けてあった花を見て……人が死んだんだって思ったら……」



 腕枕にされていない方の手で愛利奈の髪の毛を撫でる。



「そうだよな……怖いよな。夢でも怖いのに、現実だったらもっと怖いよ」


「夢……うん……」



 夢、と言ってしまったことに俺は後悔する。誤魔化そうと焦るけど、愛利奈は、不審げにするでもなく頷いた。



「い、いや、悪夢というか」


「うん……お兄ちゃん……お兄ちゃんも、死んだりしないよね?」


「まさか。死んだりなんかしないよ」


「……私ね……お父さんが死んでしまってから……お兄ちゃんをずっと……元気になって欲しいって思ってて……」



 次第に涙声になる愛利奈の声。

 あの時、父さんの死に対して愛利奈は泣いている様子がなかった。

 気丈に俺を引っ張る姿を見て、彼女を強いと思っていた。


 でも、それは違っていたのかもしれない。



「あの時は、愛利奈のおかげで立ち直れたと思う。今までありがとうな、愛利奈」


「ううん……私はずっと、これからもお兄ちゃんを元気にするから……ぐすっ……どうしてかな? 涙が止まらない」


「いいさ。今度は、俺が支える」


「お兄ちゃん……」



 ひっく、ひっくと嗚咽する愛利奈。

 その小さな体からは想像ができないほどの力でぎゅっと、俺にしがみついていた。


 愛利奈の涙を指で拭いながら、彼女の髪の毛を撫でる。

 あの時、愛利奈がしてくれたように、今は俺が彼女の力になれたら……そう思いながら。


 ひょっとしたら、愛利奈があの時流し忘れた涙を、今ようやく取り戻したのかもしれない。

 俺は彼女の背中に回した手のひらに力を込めた。



「うわあああん……」



 悲しみを分かち合うようにして、俺は愛利奈を強く抱き締めていた。



 時間が経ち、次第に泣き声が小さくなっていった。

 涙が涸れたのか、それとも気分が落ち着いたのか。



「お兄ちゃん……ありがと」


「何もしてないけどね」


「今こうしてぎゅっとしてくれて……私をひっぱってくれて……そんなお兄ちゃんが戻ってきてくれて……嬉しい」



 そう言って、愛利奈ははにかむような笑顔を見せる。

 さっきまであんなに泣いていたのが嘘のように。


 俺は必死だっただけなんだけどな。愛利奈のために何かをしたと言うよりは……俺が未来を受け入れられないから、それだけなんだよな。

 だからこそ……。



「辛いときはいつでも俺に言ってくれたらいいよ。無理しないで」


「ううん、もしこの先お兄ちゃんに大事な人ができたら、悪いよ」


「はあ、家族なんだからさ、そういうの遠慮すんな。なんなら、その大事な人と一緒に愛利奈の力になってやる」



 目を細める愛利奈。元気が出てきたのか、いつもの調子に戻りつつある。

 ぱっと表情が変わり、今度は意地悪をするような目つきで、俺を見つめた。



「大事な人かぁ。お兄ちゃんってさ、里桜ちゃんのこと好きなの?」


「ぶっ」



 思わず吹き出した。

 さっき他の人にも似たようなことを聞かれたな。

 今日はいったいなんだ?


 図星なんだけどね。



「そ、それは……うん、好きだよ?」



 一回由香さんに聞かれたからか、するっと俺の口から想いが飛び出した。

 妙に嬉しそうに、愛利奈は口元をほころばせる。まるで自分の想いが成就したかのような、そんな表情をする。



「そっかそっか」


「でもさあ、里桜さんは俺じゃなくて悟さんが好きなだけじゃないのかな? 何か聞いてない?」


「さあ……どうかな? まあ、そういうのはお兄ちゃんが確かめたらいいと思うよ?」



 楽しげに言う愛利奈。しかし、急に一転して神妙な様子で眉を寄せる。



「でもね、里桜ちゃんを泣かすようなことしたら許さないから」


「うん。大丈夫。そんなこと絶対にしない」


「じゃあ、約束ね」


「うん、約束だ」



 小指を出す愛利奈に、指を絡め、クスッと笑い合った。子供の頃を思い出して。

 その後は、他愛のない話題に終始する。



「あー。なんか安心したら、眠くなってきちゃった」


「愛利奈気付いてる? 浴衣はだけてるぞ?」



 照明は豆電球一つとはいえ、暗闇に目が慣れてきていた。

 浴衣をとめるヒモがほどけたのか、肩が露出していた。



「温かいから……別にいい」


「まさか、他の人にもそんなんなのか?」


「違うに決まってるでしょ。他の人に裸見られるなんて信じられない。嫌に決まってる」



 相変わらず、抱きついてきて離れない愛利奈が言う。

 俺は石ころみたいなモノかもしれないな。あるいは空気?



「そろそろ寝るか?」


「うん。おやすみなさいお兄ちゃん」


「おやすみ、愛利奈」



 そうして、愛利奈は目を閉じた。すぐに、すやすやと静かな寝息が聞こえてくる。

 寝顔は穏やかで安らかだった。

 こんな風に穏やかな気持ちで愛利奈の寝顔を見られる日が来るとは思わなかった。


 もう、愛利奈の死から逃れられたのだろうか?

 俺はずっと愛利奈の寝顔を眺めていた。


 かなり時間が経った。俺は愛利奈を起こさないように、スマホを手に取り時間を確認する。

 時刻は午前五時すぎ。愛利奈が海に落ちて死んでしまうとしたら、そろそろ何かあるはずだ。でも、相変わらず愛利奈は眠っていて、起きる気配がない。


 愛利奈は俺の隣で器用に寝返りをうつ。既に裸に近い状態というか、もう帯しか纏ってなさそうだ。とはいえ起こしてまでどうにかする必要は感じない。


 午前五時三十分。

 ブー、ブブ、というスマホが震える音がした。

 音の主は愛利奈のスマホで、布団の反対側に置いてある。

 この振動音は恐らくLINEだろうけど、こんな時間に誰だ?


 幸い、愛利奈は起きる様子がない。手に取ってみようかと思ったけど、もうすぐ刻限だ。

 だったら、このまま愛利奈には眠っていて欲しい。俺は愛利奈に届いたLINEを無視することに決めた。


 しばらくすると、さすがの俺も眠くなってきた。

 愛利奈の体温と肌の触れあう感覚が心地良くて、ついうとうとしそうになる。

時計を確認すると、午前六時の五分前だ。


 あと五分。俺はスマホを持ちながらも愛利奈を抱きよせる。

 ……そして。

 ピピピピ……ピピ。


 午前六時になり、セットしてあったアラームが鳴るものの、すぐに止める。

 


「うーん……お兄ちゃん……もうちょっと……」



 愛利奈が足を絡ませ、俺の胸の辺りに頬を寄せてスリスリしてくる。

 いったいどんな夢を見ているんだ?


 愛利奈の死の刻限が過ぎた。

 何度も確認するが、間違い無い。午前六時を越えて、さらに時間は経っていく。

 愛利奈は静かに、でもしっかりとした寝息を立てている。


 ……生きている。



「ああ……愛利奈を救えた……」



 俺は、ぼやけていく世界の中でつぶやいた。

 次第に暗くなっていく視界、薄れていく意識。


 張り詰めていた意識が緩み、疲労によって襲い来る睡魔に抗うことができず、俺はゆっくりと目を閉じたのだった。



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