第13話 ミサンガ

……茜色に染まる夢を見ていた。


 俺は制服を着て、見慣れない建物が見えるところに来ていた。

 建物の周囲の木々は、葉をすべて枯らしていた。


 風は冷たく、肌を冷やしていく。

 遠くに見える大山だいせんは、雪をかぶっている。

 季節は冬だ。敷地の周囲は畑が広がっているが、作物は実っておらず寂しい景色。


 少し広めの駐車場と、四角い建物が見える。


 何人か大人の姿が見える。皆、黒い服を着ていた。

 俺と同じように制服を着る生徒の姿もちらほら見えた。ハンカチで涙を拭っている者もいる。


 しくしくという、誰かが泣いている声が聞こえた。


 俺もハンカチを持っていて、それは多少湿り気を帯びている。


 大人たちの集まりから、漏れ聞こえる声があった。



「ストーカーに襲われたそうよ……かわいそうに」



 その言葉に弾かれるように、俺はもう一度周囲を見渡す。

 ここは、家から少し離れたところにある葬祭会館だ。以前、父の葬儀でここを利用したことがある。


 俺は建物の中に入った。名前を書いて、挨拶をして……。



「……里桜さん」



 黒い額縁の中に里桜さんの写真があった。たくさんの花に囲まれ、幸せそうに微笑む里桜さん写真が。

 ここでは里桜さんの告別式、つまり葬式が執り行われようとしていたのだ。


 俺の姿を見て駆け寄ってくる妹の姿が見えた。



「里桜ちゃん……里桜ちゃん」



 俺の胸に駆け込んできた愛利奈が、ひたすら涙を流している。



「酷い……酷いよ……滅多刺しだったって……顔にも包帯が……これでお別れなんて」


「ああ。酷いよな」



 俺の抑揚のない声が、まるで他人の声に聞こえる。

 里桜さんは何者かに殺害されたのだ——。犯人は捕まっていない。


 里桜さんの家の近くにある小さな公園で、彼女は血まみれの無残な姿で発見されたという。

 愛利奈の涙は留まることを知らず、俺の胸を濡らし続けた。泣きじゃくる妹にかける言葉も見つからない。


 俺も知らず知らずのうちに涙を流していて、手に持ったハンカチを握りしめ立ち尽くすだけだった。


 里桜さんが殺された。


 俺の右手首には、彼女がくれたミサンガが、ただ一つぶら下がっていた。



……茜色の夢が終わる。



 嘘だろ?


 俺は目を開けると、がばっと勢いよく起き上がった。

 汗で背中にくっつくシャツが気持ち悪い。

 すぐに立ち上がり、シャツを脱ぎ捨てると全身を伝う汗を拭き取った。


 ピピピピ! ピピピピ! ピピピピ!


 俺は忌々しげにスマホのアラームを叩きつけるようにして切る。


 何だよ……今の夢は!? 何だよ!? 里桜さんは助かったんじゃないのかよ?


 壁に拳をぶつけると、ドンと鈍く大きな音がして、拳に痛みが走った。

 ……いや、冷静になれ。鬱憤を晴らすように物に当たっても何一つ解決しない。


 俺は服を着るのも忘れ、机に座った。

 茜色ノートを取り出して夢の内容を書き写す。


 書いている途中で怒りなのか悲しみなのかよく分からない感情が渦巻き、机を殴りそうになる。

 俺は落ち着けと何度も自分に言い聞かせた。



 ストーカーに殺された? 里桜さんが? 滅多刺し? 誰に?



 あんなに元気で、健気で、優しくて。そんな里桜さんが……殺害される?

 俺の右手にある空色のミサンガが目に入った。これをくれた里桜さんの顔を思い浮かべると、少し気分が落ち着く。


 茜色の夢が示唆しているのは、このままだと彼女が殺されるということだ。恐らく冬の初め、十一月の末に。

 幸い時間はまだある。何としても阻止しなければ。



「お兄さま、すごい音がしましたけど、どうされましたか。開けますわよ?」



 不意に部屋のドアが開き、愛利奈がきょとんとした顔を覗かせた。



「愛利奈……おはよ」


「キャッ!?」



 愛利奈は、急に顔を赤らめて視線を外した。その様子を見て気付く。俺は服を着ていなかった。



「ちょっと、お兄さま……?」


「いいから、先に食べていて」



 背中を向けた俺の声を無視して、愛利奈は部屋の中に入ってきた。

 椅子に座ったままの俺の高等部が柔らかいものに包まれる。愛利奈は、俺を後ろから抱き締めてきた。



「また悪い夢……何がありましたの?」


「え?」


「……涙も拭かないで……どうされましたの?」



 愛利奈は、俺の頬にハンカチをあて、濡れた跡を拭き取ってくれた。



「いや、何でもない」


「無理したらだめですわよ」



 愛利奈の声は少し震えていた。

 返事をしないままにしていると、愛利奈は俺の気持ちを落ち着かせるように頭を撫でてくれた。優しい声に甘えそうになる。


 ——愛利奈の親友である里桜さんが殺される。どうしたらいい?


 俺は喉まで出かかったことを言い留まった。下手をすると愛利奈まで巻き込んでしまう恐れがある。



「いや、大丈夫だ。ありがとな。それに急いで服を着ないと」


「あ……うん」



 愛利奈が俺からスッと離れる。が、すぐには部屋を出ていこうとしなかった。



「俺の裸、そんなに見ていたい?」



 気分も落ち着いてきたし、そんな軽口を叩いてみる。



「もう。心配して損しましたわ。お兄さま」

 


 愛利奈もいつもの調子に戻り、ようやく部屋を出て行ってくれた。

 危ない。机の上に、茜色の夢ノートが出しっぱなしだった。


 俺はさっと夢の内容をノートに記し、机にしまって急いで着替え部屋を出た。



 ☆☆☆☆☆☆



 ピンポーン。



 朝食を食べ終わり、出かけようと言うときにちょうど里桜さんがやってきた。

 愛利奈と一緒に、玄関に向かい彼女を迎える。



「おはよう。恵里菜ちゃん、上高先輩!」


「おはようでございますわ」


「お、おはよう。里桜……さん」



 俺は彼女の微笑む顔を見た瞬間、つい動きを止めてしまった。


 夢の中の葬儀会場で見た写真の笑顔。

 今目の前にいる里桜さんは、同じように微笑んでいるけど、写真とあまりに違っている。


 ……生きている。


 俺は、つい彼女に駆け寄り、震える手で里桜さんの頬に触れた……温かい。



「あ、あの、先輩?」



 里桜さんが戸惑っているけど、その手を引っ込めることができない。彼女も振り払おうとしなかった。



「里桜さま、お兄さま。あたしは用事があるので先に学校に行きますわね」



 スカートをつまみ挨拶をする仕草をして、愛利奈は足早に去ろうとしていた。



「愛利奈さん?」



 里桜さんの呼び止める声に手を振って答えた愛利奈。でも、すぐにくるっと学校の方を向くと走って行ってしまい、あっという間に見えなくなった。


 俺は、抑えきれずに空いている手で里桜さんを抱きよせる。



「……上高先輩?」



 里桜さんは俺の顔を見上げていた。彼女の指が俺の頬に触れ、濡れた跡をなぞっていく。



「もう……どうしたのですか? 怖い夢でも見ましたか?」



 鋭い。全てを見透かされていそうな気がする。俺はよほど酷い顔をしているのだろう。



「うん。すごく……怖い夢を見た。君を失——」



 俺は何を言っているんだ。慌てて口をつぐむ。



「……大丈夫、私はここにいますよ?」


「……うん」



 彼女は背伸びをして、俺の頭を撫でた。いい子だから……泣かないで。とでも言うように。



「……落ち着きましたか?」



 少しだけ、彼女の手が震えている。同時に、里桜さんは無理矢理笑顔をつくって俺に向けてきた。その心と、行動に思わず俺もつられて口元が緩む。



「うん……ありがとう」



 感謝の言葉を伝えると、里桜さんは嬉しそうに頷いた。



「そろそろ行きますか?」



 里桜さんが俺の中指の先を遠慮がちにつなぎ、手を引く。

 俺を引っ張る力は、華奢に見える体に似合わぬほど力強い。

 俺は里桜さんに負けないように、引っ張るようにして彼女の手を握り返し、走り出した。


 タイムリミットは冬、雪が降った後だ。十一月末くらいだろう。

 だとすると、あと二ヶ月ほどある。


 おそらくあっという間に過ぎるだろう。

 俺の全身全霊をかけた戦いが始まる。



 ——彼女を死から救うために。

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